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ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。

by butako

ぶたこぶのコレ書いて~予感

帰国してすぐは、毎日やることないなー、妙にヒマやなー、どうしよーとか言ってた私ですが、最近、なんとなくほぼ毎日予定が詰まってくるようになりました。フルタイムで仕事しているわけじゃないのに、なんだか気持ち的にバタバタしとります。

で、またまたしばらく寝かせていました、たこぶとの交換エッセイ。今回、たこぶが投げてくれたお題は「予感」です。予感ですか。予感ねー。霊感でもない。ヤマ感でもない。第六感とはまた違うよね。

予感。たこぶ的にいうと、私は予感が当たりやすいタイプみたい。特に、野球見てるとき、私が「次、ホームランっ」とかいって、本当にホームランが出たときがあったり、たこぶが「次は打つで(^◎^)」といったときに、私が「いや、三振!」となんか感じる。それが当たっていたりすることも多い。これ、「多い」ってだけで、何も確率的に証明されていないし、はずれてることも同じように「多い」って気がするけど、たこぶはなぜか私の予感が「当たる」と信じているみたい。

たぶん、その一番大きな原因は、新庄やろなぁ。
阪神からメジャーにいって、日本ハムで現役生活を終えた、あの新庄選手のことです。
まだ阪神にいた頃やったか、ある試合で、新庄が敬遠ボールをヒットしたことがあったんです。そのとき、私たちテレビの前でライブで見てました。で、新庄の打席が来て、敬遠。キャッチャーが立ち上がって、横にずれた。

なんか、私は、腹が立ってた。勝負してーやーって。で、「新庄、打てぇぇぇぇ!!」と叫びましてん(^oo^;) そしたらたこぶが、完全にわたくしをバカにしたように「ナニいうてんの? 敬遠やのに、打つわけないやん(^◎^)」とせせら笑いまして。私は、「そんなことないで、打てるかもしれん。新庄、まけるなー、敬遠なんかくそくらえやー、打ってまえーーー」と叫び続けてまして。

次の瞬間です。たこぶの目がテンになりました。
新庄が、バットを思い切りのばして、フォームも何もあったもんちゃう、野球の基本も関係ないっとばかりに、バットを思い切り振り回しましてん。そしたら、そのバットがボールに当たった! で、しかも、ヒットぉぉぉ!!

これに、たこぶは、ものすごく驚いたようで(^oo^;) 私は勝ち誇ったように、「ほれほれほれ、見てみぃなー、私のいうたとおりになったやろ? 新庄うったやろ? でへへへへへーー」というわけです。

それからでしょうな。たこぶが、「ぶたこの予感、恐るべし」と思い始めたのは。

何か印象的なこと、大きな予感が一つ当たると、「こいつの予感は当たるのだ」と、思い込ませることができる、ええ例なのかもしれないです。


私自身、自分の予感が当たるかというと、ようわかりません。
っていうか、予感とは違うけど、目の前にいる人が、何が欲しいのか、何を考えているのかを「感じる」ことには、もしかしたら敏感な方かもしれんなーとは、思ったことがあります。もちろんはずれることもあるし、鈍感になることもあるけど。

学生時代アルバイトしていた飲食店で、お客さんがタバコを吸いたいなーって思ったその瞬間に灰皿を出していたり、何かこぼした瞬間におしぼりを出していたり、メニューが見たいなと、目をやった瞬間に、ハイっとメニューを差し出したり。このアルバイトで培われたものかとも思っていたけど、考えてみたら、もっと昔から来ているのかも。

子供の頃から、自分の両親や兄弟と暮らすことがほとんどなくて、誰か他の家族の中に入れてもらって暮らしてきた私。いってみれば、他人の中で育ってきたともいえるわけです。とても大切にしてくれたけど。なんというか、異文化の中で暮らしてたともいえるのかな。というか、自分自身の文化がなかった。自分の直接の両親や兄弟だけと、大きくなるまで暮らし続けると、自分たちだけのルールや習慣ってのができて、それがその家を出るまで続くけど、私は数年ごとにその「文化」が変化してまして。高知に住んでたとき、兵庫、大阪、そして自分の母親と。自分の母親と暮らしはじめたときでさえ、その前に暮らしていたのは一歳の頃で、それ以来になるわけだから、はじめて一緒に暮らすのとほとんど同じ。新しい「文化」がそこにありました。

暮らす家族が変わるたびに、新しい環境になじまなくてはいけなくて、空気を感じなくてはいけなくて、うまくやっていきたいと子供心に思うんでしょうね。きっと。それから、家族以外の友人や先生たちとの関係も、その一時的な家族と同じように大切だった。それで、周りで起きていることや、周りの人たちが思っていることを、感じよう、わかろうと必死でしていたのかもしれないです。

たこぶと結婚してから、自分の家族が初めてできたような気持ちがしています。結婚して18年。ずーっと同じ人と、しかも二人だけで暮らしてきているから、二人だけのルールや習慣ができて、それが何も言わなくても続いていく。これが快適だったりするんですね。だから、なにごとも敏感にかんじる必要はなくなって、楽になりました。っていうか、楽になって初めて、あー楽やなーって分かったという感じかな。

子供の頃の私は、一生懸命感じようとしていたんだなって、今になって分かるわけです。
だから、この人はこれからこんなことするんじゃないかな、こんなことが起きるんじゃないかな、こんなことを思ってるんじゃないかなって、それを感じようとするから、それが「予感」につながることも、時々あるのかもしれないですね。

こうやって、自分で整理して考えると、ほんと、人間って面白いですね。元々持ってる性格もあるけど、環境によって作られるものも大きいのだなぁと。

で、自分の子供時代を「かわいそうに・・・」と思うかというと、そうでもないです。
この「感じよう」とすることは、語学をやっていても、あるいは音楽をやっていても、おおいに役立っていると思うから。語学でも、自分が知っている言葉や表現は限られているし、知っている言葉でもいろんな意味合いが多方面にある。そういう足りない部分を補うのは、相手が何を考えているのか「感じる」ことなのかもしれないです。それによって、コミュニケーションがスムーズに行くような気がするんですね。相手の気持ちに共感することができれば、そんなに流暢に離せなくても、通じることってありますもんね。音楽でも同じで、隣で歌ってる人がどうしているのか感じてあげると、ハーモニーもうまくいったりするし、前で引っぱっている指揮者がどう思っているのかを感じることで、音楽が流れていく。


こう書いていくと「予感」というのは、ある意味、周りで起きていることにアンテナを張って、「感じた」ことのデータをもとに打ち出す計算結果に近いのかもしれないなーって思ってきました。どうかな?>たこぶ。

もしかしたら、まったく何の根拠もなしに、ふと感じる「予感」みたいなものもあるのかもしれないけど。そういうのがあったら、思い出したら、また書いてみたいと思います。


ってことで、予感の話はおしまい。
次のたこぶに書いてもらうお題、何にしようかなー。

うーんと・・・・。基本的な言葉にしよう。たこぶがどう思うか興味ある。
「喜び」 これにします。いろんな「喜び」があると思うし。

んじゃ、たこぶ、コレ書いて~(^oo^)
by butakotanaka | 2009-10-15 11:51 | ぶたこぶのコレ書いて