終わったところから始まる・・・

ピアノの発表会は終わって・・・・のはずなんだけど、なんとなくまだ熱が冷めない。
というか、やっぱりくやしいんだろうなぁ、私。
あんなに練習したのに、なんであんなに弾けなかったのって。

全然レベルは違うけど、この週末やっていた世界フィギュアの選手たちとも重なる。
十分がんばっている、どの選手も、それぞれすごい練習してきている、大会に照準をあわせて整えてきている。それでも、結果にこれだけの差が出てしまうわけです。浅田選手にしても、今シーズン苦しんではきていたけど、四大陸に向けて驚くほど持ちなおしてきていて、コーチの話でも、この世界フィギュアの前、日本ではかなり状態がよかったと。だからトリプルアクセルを・・・と思ったら現地に来て突然崩れ始めた。それでもこだわって本番でとんだ勇気を私と称えたいし、このくやしさがこの先次のシーズンへのエネルギーになると信じています。

思い出してみたら、昨年の世界フィギュア高橋選手は、これで燃え尽きて引退か・・・という話も流れていた中、予想もしないスケート靴のビスが演技中外れるとかそんなアクシデントで中断、そのでも演技を続けたけど、メダル獲得ならず・・・という結果。こんな演技で自分の競技生活を終わりたくない、来シーズンも続けるんだ、と、あのアクシデントがあったから、今回の素晴らしい演技までの道のりにつながったと思うし、今から思えば、あのアクシデントに感謝したいぐらい。

失敗が人間を育てるというのは本当にあると思うし、試練があるから人間は成長できるというのも、本当だと思う。ただ、その只中にいるときには、そんなことは見えないだけ。通り過ぎてみたら、そうだった、あの時の辛さが自分を成長させてくれたんだなってことになるんだよね。

今回、号泣モノの感動演技を見せてくれた羽生くんだって、去年の震災があったときは、今シーズンはもう無理だーって正直思ったんじゃないかな。でも、それが逆にエネルギーになって、というか彼の強さと周りの人のサポートで、それをエネルギーに変えて、この結果だもんね。すごいなー。

今日も、さっきニュースを見ていたら、水泳の北島選手が四年ぶりに自分が作った日本記録をぬりかえたって。素晴らしい。

成功する人たちってのは、良き結果も悪しき結果も、すべてエネルギーに変える強さを持っているのかもしれないですね。

ってことで、そんなすごい人達には比べられるわけもないけど、学ぶことはできますね、シロートとしても(^oo^)

こないだの本番で、つくづく思いました。毎日一生懸命練習したし、自分の中でよくここまで来たな・・・というところまで持ってきたと思うけど、まだまだピアノのことは分からないことだらけ。どうやったら、上手になれるんだろう、どうやったら本番までのコンディションをうまく整えられるんだろう、どうやったら本番の日の過ごし方がベストになるんだろう、本番、その瞬間に1番いい状態にもっていけるんだろう、自分の楽器じゃないホールで、自分の部屋じゃない場所で、たくさんの人達の前で、前後に素晴らしい他の人たちがいろんな曲を弾いている中で自分の曲に集中して、どうやったら小さい音が綺麗に出るの? どうやったら汚くない深くて説得力のあるフォルテが出るの? どうやったら美しくレガートでメロディがつながるの? どうやったら重音がきれいに? どうやったら右手と左手のバランスがきれいに? どうやったら速いパッセージを続けても手が疲れなくなるの?

どうやったら?どうやったら?という疑問ばかりが残るのです。本番を終えると。
それで、「あーもっと一生懸命練習しなくちゃ」と、ぎゃくに一番ヤル気が出るときでもあるのです。本番後って。

今回、特に強く思ったのは、表現とタッチ。日々の練習の中で、いろんなことを考えて、ピアノの横に置いたノートに書きこみながら、そうだこう弾けばいいんだ!を積み上げているけど、もっともっといろんな弾き方、いろんな表現、いろんなタッチを知りたいとつくづく思いました。限界があるなぁって、自分が気がつくことだけだと。指の独立とか、脱力とか、そういうことだけではなくて、もっと身体の能率的な使い方、身体の各部分と最終的に鍵盤にふれる指先との関係を知りたいし、それがいつも一定でなく同じでなく、こんな曲のときはこんな使い方、こんな音色のときはこんな使い方、こんな速度のときはこんな使い方、こんな時代の曲のときはこんな使い方・・・と、自分の中で系統だてることはできないの?って。

昨日、近所の楽器店に楽譜を見にいって、ふと買ってきたのが
「ベレンス 四十の練習曲(タッチと表現のための) 作品61 (全音ピアノライブラリ-)」 市田儀一郎 著
というもの。
市田儀一郎さんって聞いたことあるな・・・と思ったら、我が家にある分厚い本
「 バッハ・インヴェンションとシンフォニーア」という、バッハのインベンション二声と三声全曲をひたすら詳しく解説した本を書いた人だ。

ベレンスという作曲家は初めてきいた。知らなかった。中身を眺めてみると、練習曲そのものはわりとオーソドックス。でも、最初にかなりのページをさいて、市田先生の演奏法に関する説明があって、それがかなり面白かった。「旋回」という言葉や、その他ピアノのハンマーのことなどメカニック的なことも書かれていて、解剖学的な腕の図があったり。なんか、ここに私が足りない部分があるかもしれない・・って思わず購入。

この練習曲そのものをやるかどうかはこれから考えるとして、ここに書かれた演奏法を今持ってる曲で試してみる価値はありそう。ってことで、今日昼間、ちょっとやってみた。うーん・・・・なんかいいかもしれないっていうのもあるけど、ちょっとひじとか手首が痛くなったかも(^oo^;) やり方が下手くそなのかな。しばらく試してみよう。

ピアノは私の本業じゃない、とずっと逃げてきた気がする。
かといって、歌も、合唱はできるけど一人で歌うのは苦手。コーラスの指導はしているけど、気楽なシルバーコーラスだから、楽しくやってるだけだし・・・とこれもどこかで言い訳してきた気がする。
指揮だって、たいして何もできないけど、どこかちゃんと向き合ってないというか。
考えてみれば英語だって、これだけを仕事にするという覚悟もなく・・・。

全体的にどっちつかずの人生、歩んできてるなぁ、私(^oo^;)

すべてにおいて中途半端で、すべてにおいてどこか逃げてきたけど、何か少し感覚が変わってきたなと思うのが、ここ数年。いや去年から今年ぐらいにかけてかなぁ。NYから帰ってたいして何も新しいことやらないまま、40代も終わりに近づいて、50歳にもうすぐっていよいよなってきて、ああ人生も後半かぁなんて思い始めて。というか、何歳で終わるかなんて人生分からないわけで、後半なのか、もうすぐ終わるのか、まだまだ終わらないのかも分からないんだけど、勝手に自分は平均年齢ぐらいまでは人生全うすべしなのかなと思い込んでるわけですね。それで、ちょっとここらで「がんばってみる」ってことやらないと、体力も気力も、もしかして命さえなくなるかもしれないだよーって、そういういい意味の追い詰められ感みたいなのが出てきた気がします。


「知りたい」「わかりたい」「成長したい」と思うことは悪いことではないはず。
私の場合は、そのジャンルがいくつかに渡っているのだけど、あまりそれぞれを抑えず、その時その時、これが知りたいって思ったことを突き詰めていくのもいいのかな・・・と最近そんな風に思います。その時々のトレンドみたいなのがあって、で、また一周して、いくつか前のトレンドに戻ってきたとき、寄り道したことが別のジャンルに生きてくる可能性だってある。いや、それはきっとあるって、日々実感しているし。

しばらくゆっくり、これもするし、遊ぶぞー、これもしたい。
でも、くやしい気持ちが残ってるからこそ、さらに練習したい、こういう気持ちも大切にしようと思います。
インフルエンザ以来二ヶ月近くお休みしてた歌のレッスンも、再開したいぞ。無理のない範囲で。
むくむく・・・とそんな気持ちがわきあがってくる季節でもあるのかもしれないですね、春って(^oo^)
[PR]
トラックバックURL : http://butako.exblog.jp/tb/18076584
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by butakotanaka | 2012-04-03 23:26 | 音楽・趣味 | Trackback | Comments(0)