旅の旅(^oo^)
2017年 10月 15日
少しの前のブログで、今年の夏の音楽イベントのことを書いたのだけど↓
夏のイベントはみんなで二日間だけのオーケストラを作って、いろんな音楽を演奏しようってものだった。
で、毎年秋から冬にかけては、その同じ仲間の有志が、関西で集まって、もう少し小さいアンサンブルを一日楽しもうという会をもう何十年も続けている。
今年の夏、とても久しぶりに夏のオーケストラの集まりに参加した私たち、その流れで、んじゃ久しぶりに秋のアンサンブルの集まりも、地元関西でやってるんだし、今年は日程も合うから参加しちゃえーってことに。
平たくいうと発表会形式というか、朝から晩まで、いろんなグループが順番に出てきて、いろいろ演奏するのを残りのメンバーが聴くっていう趣向。
組み合わせは、ほぼ何でもあり。二人のデュエットもあれば、三人のトリオ、四人のカルテットとか。歌と楽器もあれば、楽器同士も。
私は今年このイベントで、ずっと勉強してる冬の旅から三曲をピアノの友人とやるのと、ホルンの友人のピアノ伴奏で一曲。
で、時々、たくさんのメンバーでやろうってのもあるのです。毎年必ずあるというわけじゃないけど、たとえば、ビオラばっかりでビオラアンサンブルとか、ギターばっかでギターアンサンブルとかもあれば、オーケストラできるほど人数いないけど、なんとかかき集めてバッハのブランデンブルク協奏曲やっちゃったり。
そういう大人数ものの中で、今年は、私と旦那様企画で、普段歌わない人たちも含めて合唱やっちゃおう!という出し物も。曲は、高校生のころ流行ってた佐藤眞作曲「旅」。あら、冬の旅といい、今年は旅ものが多いな>私。
アンサンブルのグループにはいろんな人たちがいて、もう何か月も前からずっと一緒に練習している組もあれば、普段は離れたとこに住んでいて、これやろうって決めたらお互い別々に楽譜を勉強して、集まり前日とか当日初めて合わせてみて、それで本番やっちゃう、そんな人たちも。よく練られたアンサンブルも面白いけど、そういう短期間で準備されたものも、スリル満点で、よくここまでできるなーって感心することも多い。何十年も集まりの歴史が積み重なると、二世も育ってきて、親子連弾、親子共演、年の差アンサンブルとかも。
私たちが企画したこの「旅」企画は、全員で集まってやるのは、きっと本番のみ。なので、事前に楽譜は送付して、各自見ておいて、あとは、関西に住んでるメンバーのみ来られる人たちだけで、二回ほど練習会をすることになった。嬉しいことに、楽器のメンバーもたくさんやりたいって声を上げてくれたんだけど、せっかくの機会だから、私の周りの歌えるお弟子さんや昔の教え子数人にも声かけてみたら何人か出てくれることに。
そんな通信メンバーと非通信メンバー、または歌う人メンバーと非歌う人メンバーが寄り集まって、先日一回目の練習会。楽しかったー!
前に立つ私も、最初は、まあ音をゆっくりとりながら進めていくのがいいのかな、とも思ってたけど、みんなちゃんと家で予習してきてくれていたり、過去に歌った経験があったりで、案外歌えるぢゃん!ってことで、発声のこと、響きのこと、アーティキュレーションやフレーズ、テンポのことなど、かなり突っ込んだところまで練習してしまって、気が付いたら5曲でみっちり二時間半!
終わった後、みんな、うへえーーーしんどかったーーと言いながらも、瞳がキラキラ!そして、そのあと、楽しかったー!という声が聞こえてきてほっとした。
曲としては、中高生がよく歌うというレベルなのかもしれないけど、だからこそ、人生経験をある程度経てきた、長く音楽と向かい合ってきた私たちが、改めてこういうシンプルな曲に取り組んだとき、どんな化学変化が起きるのか、本番が楽しみ!もちろん、毎日欠かさず練習している学校のクラブ系の合唱団にはかなわないところはたくさんあると思うけど、でも、おぢさんおばさんが本気で、詩の内容や音楽の奥深さを「語ろう」としたときの、みなぎる「力」みたいなものが聞こえてくるような演奏になるといいなー。
あと一回練習会があって、それで次は本番。イベント合唱団だから、それっきりだけど、だからこそ、限りある時間を思い切り楽しみたい。そのためにも、私にできる準備はしっかりしなくちゃ。
今日の午後は、ホルンの友人が来てくれて、フランツ・シュトラウスの曲を合わせたんだけど、こっちもまた、20年ぐらい前に私たち夫婦が通っていた教会に来てくれて演奏したとき以来の共演で、お互いにあれからいろんな違う道のりを経て、二人とも音楽と離れないでこうやって戻ってきたこと、再共演できることがとても嬉しいし、はっきりといろんな面での成長が感じられるのも嬉しい。もっといい音楽、いい音、雄弁な流れが出せるように、ピアノも練習しなくちゃ。
でもって、冬の旅、も。
最近は、ぶたこ母の大きな用事もたくさんあって、実はバテ気味だったりもするんだけど、だからこそ、自分にとって大切な音楽を捨てたくはないと、強く思う。これがあるから救われているとも思う。どちらもエネルギーを使うのだけど、使った後の感触が違うのかも。母を助けられることは、育ててもらった恩義を考えるともちろん幸せなことなんだけど、やっぱり本音は、しんどいわけで。音楽をやっている時間があるからこそ、しんどいことを幸せだと思う余裕ができるかもしれない。
人間、自分が自分らしくいられる時間を持ち続けることって、本当に大切。
ハードな生活が続いて、ただ物理的に動く時間を減らすだけでは元気にならない不思議。内容のバランスが大切。
少しずつ無理ができない年齢にもなってきているけど、少しずつ人生の残された時間も減ってきているわけで、どこまで、いつまで、こういう地道な努力をする時間やエネルギーや環境を与えてもらえるのか、そんなことをよく考えるようになった今日この頃。
あまり深く悩みすぎず、いま、こうして少しでも与えられた時間を、大いに楽しむ。惜しみなく努力する。そうするしかないよね。誰にも最期がいつになるのか分からないからこそ、人生を楽しめるのだろうし。
そんなんいいつつ、
ここ数日、ちょびっと腰痛気味で、かがんで靴下はけなかったり、落ちたものも拾えなかったりしたんだけど、今日あたり少しマシに。
やはり、トシやな(^oo^;)(^oo^;)(^oo^;)
夏のイベントはみんなで二日間だけのオーケストラを作って、いろんな音楽を演奏しようってものだった。
で、毎年秋から冬にかけては、その同じ仲間の有志が、関西で集まって、もう少し小さいアンサンブルを一日楽しもうという会をもう何十年も続けている。
今年の夏、とても久しぶりに夏のオーケストラの集まりに参加した私たち、その流れで、んじゃ久しぶりに秋のアンサンブルの集まりも、地元関西でやってるんだし、今年は日程も合うから参加しちゃえーってことに。
平たくいうと発表会形式というか、朝から晩まで、いろんなグループが順番に出てきて、いろいろ演奏するのを残りのメンバーが聴くっていう趣向。
組み合わせは、ほぼ何でもあり。二人のデュエットもあれば、三人のトリオ、四人のカルテットとか。歌と楽器もあれば、楽器同士も。
私は今年このイベントで、ずっと勉強してる冬の旅から三曲をピアノの友人とやるのと、ホルンの友人のピアノ伴奏で一曲。
で、時々、たくさんのメンバーでやろうってのもあるのです。毎年必ずあるというわけじゃないけど、たとえば、ビオラばっかりでビオラアンサンブルとか、ギターばっかでギターアンサンブルとかもあれば、オーケストラできるほど人数いないけど、なんとかかき集めてバッハのブランデンブルク協奏曲やっちゃったり。
そういう大人数ものの中で、今年は、私と旦那様企画で、普段歌わない人たちも含めて合唱やっちゃおう!という出し物も。曲は、高校生のころ流行ってた佐藤眞作曲「旅」。あら、冬の旅といい、今年は旅ものが多いな>私。
アンサンブルのグループにはいろんな人たちがいて、もう何か月も前からずっと一緒に練習している組もあれば、普段は離れたとこに住んでいて、これやろうって決めたらお互い別々に楽譜を勉強して、集まり前日とか当日初めて合わせてみて、それで本番やっちゃう、そんな人たちも。よく練られたアンサンブルも面白いけど、そういう短期間で準備されたものも、スリル満点で、よくここまでできるなーって感心することも多い。何十年も集まりの歴史が積み重なると、二世も育ってきて、親子連弾、親子共演、年の差アンサンブルとかも。
私たちが企画したこの「旅」企画は、全員で集まってやるのは、きっと本番のみ。なので、事前に楽譜は送付して、各自見ておいて、あとは、関西に住んでるメンバーのみ来られる人たちだけで、二回ほど練習会をすることになった。嬉しいことに、楽器のメンバーもたくさんやりたいって声を上げてくれたんだけど、せっかくの機会だから、私の周りの歌えるお弟子さんや昔の教え子数人にも声かけてみたら何人か出てくれることに。
そんな通信メンバーと非通信メンバー、または歌う人メンバーと非歌う人メンバーが寄り集まって、先日一回目の練習会。楽しかったー!
前に立つ私も、最初は、まあ音をゆっくりとりながら進めていくのがいいのかな、とも思ってたけど、みんなちゃんと家で予習してきてくれていたり、過去に歌った経験があったりで、案外歌えるぢゃん!ってことで、発声のこと、響きのこと、アーティキュレーションやフレーズ、テンポのことなど、かなり突っ込んだところまで練習してしまって、気が付いたら5曲でみっちり二時間半!
終わった後、みんな、うへえーーーしんどかったーーと言いながらも、瞳がキラキラ!そして、そのあと、楽しかったー!という声が聞こえてきてほっとした。
曲としては、中高生がよく歌うというレベルなのかもしれないけど、だからこそ、人生経験をある程度経てきた、長く音楽と向かい合ってきた私たちが、改めてこういうシンプルな曲に取り組んだとき、どんな化学変化が起きるのか、本番が楽しみ!もちろん、毎日欠かさず練習している学校のクラブ系の合唱団にはかなわないところはたくさんあると思うけど、でも、おぢさんおばさんが本気で、詩の内容や音楽の奥深さを「語ろう」としたときの、みなぎる「力」みたいなものが聞こえてくるような演奏になるといいなー。
あと一回練習会があって、それで次は本番。イベント合唱団だから、それっきりだけど、だからこそ、限りある時間を思い切り楽しみたい。そのためにも、私にできる準備はしっかりしなくちゃ。
今日の午後は、ホルンの友人が来てくれて、フランツ・シュトラウスの曲を合わせたんだけど、こっちもまた、20年ぐらい前に私たち夫婦が通っていた教会に来てくれて演奏したとき以来の共演で、お互いにあれからいろんな違う道のりを経て、二人とも音楽と離れないでこうやって戻ってきたこと、再共演できることがとても嬉しいし、はっきりといろんな面での成長が感じられるのも嬉しい。もっといい音楽、いい音、雄弁な流れが出せるように、ピアノも練習しなくちゃ。
でもって、冬の旅、も。
最近は、ぶたこ母の大きな用事もたくさんあって、実はバテ気味だったりもするんだけど、だからこそ、自分にとって大切な音楽を捨てたくはないと、強く思う。これがあるから救われているとも思う。どちらもエネルギーを使うのだけど、使った後の感触が違うのかも。母を助けられることは、育ててもらった恩義を考えるともちろん幸せなことなんだけど、やっぱり本音は、しんどいわけで。音楽をやっている時間があるからこそ、しんどいことを幸せだと思う余裕ができるかもしれない。
人間、自分が自分らしくいられる時間を持ち続けることって、本当に大切。
ハードな生活が続いて、ただ物理的に動く時間を減らすだけでは元気にならない不思議。内容のバランスが大切。
少しずつ無理ができない年齢にもなってきているけど、少しずつ人生の残された時間も減ってきているわけで、どこまで、いつまで、こういう地道な努力をする時間やエネルギーや環境を与えてもらえるのか、そんなことをよく考えるようになった今日この頃。
あまり深く悩みすぎず、いま、こうして少しでも与えられた時間を、大いに楽しむ。惜しみなく努力する。そうするしかないよね。誰にも最期がいつになるのか分からないからこそ、人生を楽しめるのだろうし。
そんなんいいつつ、
ここ数日、ちょびっと腰痛気味で、かがんで靴下はけなかったり、落ちたものも拾えなかったりしたんだけど、今日あたり少しマシに。
やはり、トシやな(^oo^;)(^oo^;)(^oo^;)
by butakotanaka
| 2017-10-15 23:13
| 日常生活