気持ちの起伏が激しい今週
2017年 11月 04日
今週というか、ここ数週間に色々なことが、特にぶたこ母がらみであって、気持ちの起伏が激しい日々が続いている。
特に今週は、大きな動きがあって、その大きな動きのための準備期間に、たくさんのやり取りが母とも、その関係の人たちともあって、今まで自分がやらなかった部分を受け持つことになって、新しいハンコを作ったり、名刺を作ったり、たくさんのメールやFAXのやり取り、判断、もの探し、手続き、書類の作成や発送。。。。その過程で、聴力や視力が弱い母に理解してもらうのがとても難しいときが多くて、そのことに神経を使ったり、時には大声を出さなくてはいけなかったり、何度もFAXを送らなければいけなかったり、そしてその末にまったく理解してもらえてなかったことが分かって落胆したり。
今週はそんなことがある一方で音楽の活動も色々あって。
水曜は、ピアニストさんと冬の旅の合わせ。すなわち私の役割は歌。ドイツ語の歌。ここ二か月ぐらい勉強してきている歌だけど、毎日積み上げて勉強できているわけではなくて、あっち行ってみたり、こっち戻ってきてみたりの学び。というか、歌ってメロディを学ぶ日もあれば、和音がどうなってるか学びたい日もあって、伴奏のピアノと歌がどうからんでるかに注目する日もあるし、特に歌詞に注目して意味を深く掘り下げたい日、発音を掘り下げたい日、発音を掘り下げるのでも、一つ一つの子音や母音なのか、一つの単語のシェイプなのか、一つのフレーズの流れなのか、呼吸はどう未熟なのか。。。。そんな色々やってるうちに、あっという間に時間が過ぎる、エネルギーも尽きる。だから、何週間学んでいても、何も進歩していないような気がする時があって。でも、何周もそんなサイクルをグルグルしていると、ある時、あっ、なんかスタートした時よりも、だいぶ長い道のりを進んできているんだって、そう思える時が来る。進もうとして進んだ実感がなくて、でもそれでも進もうともがいたものにしか味わえないそんな世界があるって、ほんとに若い頃は知らなくて、もっと少ない部分からしか音楽をとらえてなかったなー。
今回の合わせは、今月後半にあるアンサンブルの集まりで歌う3曲。三回目ぐらいの合わせで、互いのやり取りもだいぶかみ合ってきて、うまくいかないところも逆にはっきりしてきて、どちらがどうずれているのか、テクニックなのか気持ちなのか、何がよくないのかも互いに分かってきて。それがすぐにその場で解決することなのか、その場では方向だけ確認して、あとはまたその日から次の合わせまでにそれぞれが努力して、よりよくしようと積み上げてくるのか、そんな判断も必要で。今回の合わせの中でも、こうなるのが理想、だけどきっと今回の本番までには、理想には届かないね、でも、来年になっても、その先になっても、この曲たちは繰り返し、互いの人生がまじりあってる限りやっていきたいねって、そんなことも言い合った。音楽の仲間がいるって素敵。
そして。今日金曜は、そのアンサンブルの集いでやるもう一つの曲の合わせ。
ホルンの友人とのアンサンブルで私の役割はピアノ。
ピアノを他の人に弾いてもらって自分が歌うときと、自分がピアノを弾くのとでは、練習の仕方や心の持ちよう、なんというかいろんな使い方が違う気がする。切り替え難しい。でも、だからといって一つだけやってるのがいいかは、ここまで来ると、私の場合は違うのかもしれない。私の場合は、歌やピアノや指揮を色々やるからこその気づきがあって、それがうまく影響しあっている気がするから。どれも優秀というとこまではいけないのかもしれないけど、自分なりの進歩を遂げながら、人生を閉じるところまで進んでいきたい。
ホルンは楽器で歌とは違うはずなんだけど、でも呼吸を使って吹く楽器だから、ここ何回か合わせを重ねていて、本当に歌と同じなんだねって深く実感。
音の跳躍が広い時の心理的な恐怖感、不安感。
苦手な音程のときのトラウマ感。
支えがうまくいかないとき。
音域の中で、チェンジ、声でいうと地声と裏声みたいな切り替えがある場合に、音色の変化をできるだけわざとらしくないようにして、歌詞が、歌が、すんなりと届くようにする工夫。
言葉がついているとしたら、の言葉のリズム感みたいなものをメロディとどう重ね合わせるのか。
そして、アンサンブルの相手とのからみ。
そんな色々を、ホルンの友人と話し合い、わからないことは質問したりすることは、ほんとに得難い体験で、素晴らしい学びの時間。あまり知らなかった楽器のことを知り、それがまた自分の取り組んでいる歌にも通じるんだと分かる喜び。私が苦労したことを彼も同じように苦労していて、私がヒントを得たことが彼の役に立ったりする。そして、その音がそのフレーズが音色が、どんどん変わっていって、まるで歌詞がついた歌に聴こえていって。私のピアノも上手くいったときは、少し歌に聴こえて、いや、そうなってるといいな。
ずっと合わせ練習に付き合ってくれているたこぶが、ホルンとピアノって溶け合うねんなー、ええ感じやなー(^◎^)って言ってくれた時はほんとに嬉しかったな。
あと一回、本番前日に合わせるのが最後。
それ以外は、自分で自分を研ぎ澄ませて、よりよく仕上げていく。孤独な作業だけど、その先にパートナーと合わせたときの、前よりもさらに磨かれた音楽が奏でられる喜びがあると思えるからがんばれる。楽器と自分のピアノでアンサンブルするというのは、ピアノのソロを弾くよりもやりたいことで、私の夢だったことともいえる。これからの人生でそんな経験がより多く積めるといいな。いや、より多くって、量をやたら多くしたいんじゃない。一つ一つの機会はじっくり大切にして、でも、それが一度きりや数回きりじゃなくて、重なっていくといいな、とそんな感じかな。今回のホルンの友人とも、次はこんなんどうかなって、そんな話も始まっていて、これからもこの関係が続いていくと嬉しいな。来年があるとしたら、その時にはもっと引き出しの多い、いろんなことにこたえられる、そして彩りがあるピアノが奏でられる自分になっていたい。
ということで、週末。
明日はオフで、明後日は、そのアンサンブルの集まりでのもう一つの出番。
普段は合唱しない楽器の人たちが半分ぐらいまざるメンバーでの合唱アンサンブルの練習会。日本語の合唱組曲「旅」から5曲。
どうやら全部を私が指揮することになりそうとなってきて、明日はその勉強をしなくちゃ。あさっての練習会は関西に住むメンバーが集まる。
で、本番前日には関東から来るメンバーのための特訓練習。
まったく練習に参加することができず、音源だけを聴いて自習してくれている人たちとは当日だけの合わせ。そんなさまざまなやり方でさらってきた人たちが、当日どんなアンサンブルを奏でるのか、どのぐらい愛を交わすことができるのか、どんな風になっても、きっとものすごく楽しいに違いない。失敗とかあるかもしれないけど、それさえきっとめちゃ楽しいはず!
その日を最高にするために、私もがんばって準備しなくちゃ。
母のことは、いつも難しい。
子供の頃からの想いの積み重ねがあるから、だと思う。
1歳から10歳まで離れていて、そのあと、一緒に暮らしてからもほぼ食事を一緒にすることもなく、別々の部屋で互いに鍵をかけて暮らしていて、いろんなことがあって、あまり近い親子関係になれないまま大人になって。
最近の母は、弱くなってきていて、その分、不機嫌になったり、突然切れたりすることは少なくなったけど、それでも、不安定な母が時々出てきて、私はそれにどう対処すればいいのか、学んできたはずなのに、いや、表面上は学んできた自分として冷静に対処している自分がいるんだけど、心の中の波立ちは相変わらずで。笑い飛ばしているようで、気が付いたら、ふと涙がにじんでいたり。そんな風に乱れている自分に、驚いたり。感情の起伏が大きいと、魂が疲れるというか、そこから実際に肉体的に体調を崩すこともあったり。
だから、母との接触の頻度が多くなると、どうしても自分の体調にも影響するのは、これは仕方なくて。今回のこの動きからすると、どうやら、これからは、今までの何倍も接触しなくてはいけないことが多くなりそうで。
親孝行することは、親がこれまで自分にしてくれた経済的なことや生んでくれたことや、そんなことを考えると当たり前のことなんだけど、親との相性とか、自分と親との関係というのは、決して他の人には理解できない部分もあるのは事実で、だからこそ、一番わかっている自分が、他からの評価や評判をあえて気にしないで、自分を守ることを優先する、というのも、時には必要だと、これもこの年になるまでの経験で学んだこと。時々、すごく疲れたときは、小さな嘘をついてでも、休んだり、引っ込んだりしてもいいんだって、自分を許してあげる。ちょっぴり贅沢したり、おいしいもの食べたり、バカらしいことしてみたり。
そんな疲れた時間の中で、忙しいはずなのに、音楽してる時間、あー幸せだなって思えた。そう思えるところまで積み上げてきて、音楽から離れないでよかったな、そう思える一週間でもあった。
特に今週は、大きな動きがあって、その大きな動きのための準備期間に、たくさんのやり取りが母とも、その関係の人たちともあって、今まで自分がやらなかった部分を受け持つことになって、新しいハンコを作ったり、名刺を作ったり、たくさんのメールやFAXのやり取り、判断、もの探し、手続き、書類の作成や発送。。。。その過程で、聴力や視力が弱い母に理解してもらうのがとても難しいときが多くて、そのことに神経を使ったり、時には大声を出さなくてはいけなかったり、何度もFAXを送らなければいけなかったり、そしてその末にまったく理解してもらえてなかったことが分かって落胆したり。
今週はそんなことがある一方で音楽の活動も色々あって。
水曜は、ピアニストさんと冬の旅の合わせ。すなわち私の役割は歌。ドイツ語の歌。ここ二か月ぐらい勉強してきている歌だけど、毎日積み上げて勉強できているわけではなくて、あっち行ってみたり、こっち戻ってきてみたりの学び。というか、歌ってメロディを学ぶ日もあれば、和音がどうなってるか学びたい日もあって、伴奏のピアノと歌がどうからんでるかに注目する日もあるし、特に歌詞に注目して意味を深く掘り下げたい日、発音を掘り下げたい日、発音を掘り下げるのでも、一つ一つの子音や母音なのか、一つの単語のシェイプなのか、一つのフレーズの流れなのか、呼吸はどう未熟なのか。。。。そんな色々やってるうちに、あっという間に時間が過ぎる、エネルギーも尽きる。だから、何週間学んでいても、何も進歩していないような気がする時があって。でも、何周もそんなサイクルをグルグルしていると、ある時、あっ、なんかスタートした時よりも、だいぶ長い道のりを進んできているんだって、そう思える時が来る。進もうとして進んだ実感がなくて、でもそれでも進もうともがいたものにしか味わえないそんな世界があるって、ほんとに若い頃は知らなくて、もっと少ない部分からしか音楽をとらえてなかったなー。
今回の合わせは、今月後半にあるアンサンブルの集まりで歌う3曲。三回目ぐらいの合わせで、互いのやり取りもだいぶかみ合ってきて、うまくいかないところも逆にはっきりしてきて、どちらがどうずれているのか、テクニックなのか気持ちなのか、何がよくないのかも互いに分かってきて。それがすぐにその場で解決することなのか、その場では方向だけ確認して、あとはまたその日から次の合わせまでにそれぞれが努力して、よりよくしようと積み上げてくるのか、そんな判断も必要で。今回の合わせの中でも、こうなるのが理想、だけどきっと今回の本番までには、理想には届かないね、でも、来年になっても、その先になっても、この曲たちは繰り返し、互いの人生がまじりあってる限りやっていきたいねって、そんなことも言い合った。音楽の仲間がいるって素敵。
そして。今日金曜は、そのアンサンブルの集いでやるもう一つの曲の合わせ。
ホルンの友人とのアンサンブルで私の役割はピアノ。
ピアノを他の人に弾いてもらって自分が歌うときと、自分がピアノを弾くのとでは、練習の仕方や心の持ちよう、なんというかいろんな使い方が違う気がする。切り替え難しい。でも、だからといって一つだけやってるのがいいかは、ここまで来ると、私の場合は違うのかもしれない。私の場合は、歌やピアノや指揮を色々やるからこその気づきがあって、それがうまく影響しあっている気がするから。どれも優秀というとこまではいけないのかもしれないけど、自分なりの進歩を遂げながら、人生を閉じるところまで進んでいきたい。
ホルンは楽器で歌とは違うはずなんだけど、でも呼吸を使って吹く楽器だから、ここ何回か合わせを重ねていて、本当に歌と同じなんだねって深く実感。
音の跳躍が広い時の心理的な恐怖感、不安感。
苦手な音程のときのトラウマ感。
支えがうまくいかないとき。
音域の中で、チェンジ、声でいうと地声と裏声みたいな切り替えがある場合に、音色の変化をできるだけわざとらしくないようにして、歌詞が、歌が、すんなりと届くようにする工夫。
言葉がついているとしたら、の言葉のリズム感みたいなものをメロディとどう重ね合わせるのか。
そして、アンサンブルの相手とのからみ。
そんな色々を、ホルンの友人と話し合い、わからないことは質問したりすることは、ほんとに得難い体験で、素晴らしい学びの時間。あまり知らなかった楽器のことを知り、それがまた自分の取り組んでいる歌にも通じるんだと分かる喜び。私が苦労したことを彼も同じように苦労していて、私がヒントを得たことが彼の役に立ったりする。そして、その音がそのフレーズが音色が、どんどん変わっていって、まるで歌詞がついた歌に聴こえていって。私のピアノも上手くいったときは、少し歌に聴こえて、いや、そうなってるといいな。
ずっと合わせ練習に付き合ってくれているたこぶが、ホルンとピアノって溶け合うねんなー、ええ感じやなー(^◎^)って言ってくれた時はほんとに嬉しかったな。
あと一回、本番前日に合わせるのが最後。
それ以外は、自分で自分を研ぎ澄ませて、よりよく仕上げていく。孤独な作業だけど、その先にパートナーと合わせたときの、前よりもさらに磨かれた音楽が奏でられる喜びがあると思えるからがんばれる。楽器と自分のピアノでアンサンブルするというのは、ピアノのソロを弾くよりもやりたいことで、私の夢だったことともいえる。これからの人生でそんな経験がより多く積めるといいな。いや、より多くって、量をやたら多くしたいんじゃない。一つ一つの機会はじっくり大切にして、でも、それが一度きりや数回きりじゃなくて、重なっていくといいな、とそんな感じかな。今回のホルンの友人とも、次はこんなんどうかなって、そんな話も始まっていて、これからもこの関係が続いていくと嬉しいな。来年があるとしたら、その時にはもっと引き出しの多い、いろんなことにこたえられる、そして彩りがあるピアノが奏でられる自分になっていたい。
ということで、週末。
明日はオフで、明後日は、そのアンサンブルの集まりでのもう一つの出番。
普段は合唱しない楽器の人たちが半分ぐらいまざるメンバーでの合唱アンサンブルの練習会。日本語の合唱組曲「旅」から5曲。
どうやら全部を私が指揮することになりそうとなってきて、明日はその勉強をしなくちゃ。あさっての練習会は関西に住むメンバーが集まる。
で、本番前日には関東から来るメンバーのための特訓練習。
まったく練習に参加することができず、音源だけを聴いて自習してくれている人たちとは当日だけの合わせ。そんなさまざまなやり方でさらってきた人たちが、当日どんなアンサンブルを奏でるのか、どのぐらい愛を交わすことができるのか、どんな風になっても、きっとものすごく楽しいに違いない。失敗とかあるかもしれないけど、それさえきっとめちゃ楽しいはず!
その日を最高にするために、私もがんばって準備しなくちゃ。
母のことは、いつも難しい。
子供の頃からの想いの積み重ねがあるから、だと思う。
1歳から10歳まで離れていて、そのあと、一緒に暮らしてからもほぼ食事を一緒にすることもなく、別々の部屋で互いに鍵をかけて暮らしていて、いろんなことがあって、あまり近い親子関係になれないまま大人になって。
最近の母は、弱くなってきていて、その分、不機嫌になったり、突然切れたりすることは少なくなったけど、それでも、不安定な母が時々出てきて、私はそれにどう対処すればいいのか、学んできたはずなのに、いや、表面上は学んできた自分として冷静に対処している自分がいるんだけど、心の中の波立ちは相変わらずで。笑い飛ばしているようで、気が付いたら、ふと涙がにじんでいたり。そんな風に乱れている自分に、驚いたり。感情の起伏が大きいと、魂が疲れるというか、そこから実際に肉体的に体調を崩すこともあったり。
だから、母との接触の頻度が多くなると、どうしても自分の体調にも影響するのは、これは仕方なくて。今回のこの動きからすると、どうやら、これからは、今までの何倍も接触しなくてはいけないことが多くなりそうで。
親孝行することは、親がこれまで自分にしてくれた経済的なことや生んでくれたことや、そんなことを考えると当たり前のことなんだけど、親との相性とか、自分と親との関係というのは、決して他の人には理解できない部分もあるのは事実で、だからこそ、一番わかっている自分が、他からの評価や評判をあえて気にしないで、自分を守ることを優先する、というのも、時には必要だと、これもこの年になるまでの経験で学んだこと。時々、すごく疲れたときは、小さな嘘をついてでも、休んだり、引っ込んだりしてもいいんだって、自分を許してあげる。ちょっぴり贅沢したり、おいしいもの食べたり、バカらしいことしてみたり。
そんな疲れた時間の中で、忙しいはずなのに、音楽してる時間、あー幸せだなって思えた。そう思えるところまで積み上げてきて、音楽から離れないでよかったな、そう思える一週間でもあった。
by butakotanaka
| 2017-11-04 01:35
| 日常生活