本を読むのは好きなんだけど、たこぶみたいにちゃんと読書の感想を書くことがないわたくし(^oo^;)、最近で感動したのは、たこぶのブログにもあった長崎ぶらぶら節。それはそれは美しい日本語というか、心に届く日本語で書かれていて感動した。登場人物にも、ストーリーにも、そして何より音楽に関しての記述に深さ、喜び、哀しさが、全部含まれていて。

・・・・あれ(^oo^;)、このエントリは長崎ぶらぶら節の感想を書くつもりではなくて・・・・。

私は、YA(ヤングアダルト)作品が好き。中学生あたりの年代がターゲットなのかな。小学校高学年や高校生も含むかも。最初にYAにはまったのは、英語の勉強つながりだった。大人向きは難しいからと、英語で書かれたYA作品を何冊か読んで、自分の子ども時代、思春期の頃の胸の痛みを思い出して、キュン・・となった。特にアメリカのYA作品は、親の離婚や、虐待や、恋する気持ちの芽生えなど、日本の子ども向け作品ではあまり読んだことのない、人生を生きる上での苦しさや、それを乗り越えるたくましさを描いたものが多かった。

そんな作品を読むうちに、ああ、こんな素敵な作品を紹介するような仕事がいつか、死ぬまでに(^oo^;)できればいいのになぁ・・・なんて思うようになった。あくまでも夢ですけどね(^oo^;) っていうか、最近は、肩こりで長い時間PCに向かうことが難しくなるし、老眼だし、そんな仕事なんて無理やろ・・・なんて思うんですけどね。

勉強会に参加したり、通信講座を受けたりして、いざ自分で訳してみようってなって、改めて感じるのは、結局自分の日本語の貧弱さ。思うことや感じることを、的確に、しかも子ども世代に通じる言葉で、こむずかしくない言葉で伝えるための日本語をひきだしてくる貯金がまったくないということ。

去年、1年のアメリカ滞在から帰国してすぐ、向こうで読んで感動した作家さんの本を訳してみようとしたけど、早々と挫折。あかん、私の日本語あかんやん(^oo^;)・・・・。で、そこから、もう一回日本語の本読まなくちゃ・・・となりました。大人向けの本を読んでいたんだけど、最近になって、図書館でふと訳書ではないYAコーナーの本を手にとった。うわ、思ったより素敵な本があるやん・・・と思ったのが、たこぶもこないだ書いていた【8分音符のプレリュード】松本祐子。昔、私が子どもだった頃、こういう思春期向けの小説ってなかった気がするし、そんな年代からおませな子は、太宰とか読んでた気がする。こういう作品もあるんやーなんて発見。

あー、また前置きが長いがな(^oo^;)

そんなわけで、日本語で書かれたYA作品に興味を最近持っておりましてね、こないだウォーキングの帰りに近所の小さな図書館に寄って、タイトルや表紙の裏とかに書かれたあらすじ読んで五冊借りてきた。適当に選んだその中に同じ作家の作品が偶然二冊あって、それが草野たきさんの書かれたもの。そして、その二冊が、一番おもしろかったし、心に響いた。


「ハーフ」は、少年、真治が主役。お父さんとお母さんの三人暮らし・・・ぢゃなくて(^oo^;)、この子のお母さんはヨウコという犬。なので二人と一匹の家族なのです。小さな頃から、お父さんから、お前のお母さんはヨウコだから・・と育てられ、どこに行くにも何をするにもヨウコが一緒。お父さんは、ヨウコのことを心から愛している様子が伝わってくる。でも、真治が大きくなるに連れて、その不自然な「家族」を家族として受け入れ、普通に暮らしていくことに、どこか小さなヒビワレが生じてくる。自分自身がそれでいいと思おうとしても、友達や周りの視線、言葉に傷ついたり、傷つかないぞって思おうとしたり。そんなある日、ヨウコが行方不明になり、お父さんはショックで普通の生活を送れないほどに・・・・。そんな中で、真治は、自分の本当のお母さんは誰なんだろう、どうして犬のヨウコがお母さんなんだろうと疑問を持ち始める。


「メジルシ」は、少女、双葉が主役。両親がもうすぐ離婚、双葉はこの春から全寮制の高校に進学。父親の提案で家族は最後の家族旅行にと北海道へと向かう。これはその旅が始まってから終わるまでの物語。双葉は、いつの頃からはお父さんのことを健一くん、お母さんのことを美樹さんと呼ぶようになった。両親の前では「お父さん」「お母さん」と呼ぶんだけど、仲良しの友だちの前や自分のなかで親のことを考えるときにそんな呼び方をすることで、気持ちが楽になる自分を発見したから。親が離婚することも、家族がバラバラになることも、みんな独立して、ただ「解散」するだけなんだから・・・と考えると気が楽だ。この家族旅行も全然気が進まないけど、とにかくお父さんの願いを最後にかなえてあげるために、旅の終わりまでがまんがまん・・・という感じ。でも、旅が進むごとに、ただ時間が過ぎるを我慢・・・というわけにはいかなくなり、気持ちのぶつかり、高まり、落ち込み、怒り、絶望、いろんなものがこみあげてくる。



この二冊に共通して出てくるキャラとして・・・。

子どもは、「いい子」。というより、いい子を演じてる。
どこかで機能していない家族。
お父さんは、とてもいいやつ。まじめ。まっすぐ。あつい。で、ときどきそのまっすぐさが、うざい・・かも。
お母さんの存在は、どこかで母親として足りない部分をかかえている。
友だちの存在も大切な役割をになっている、でも家族の代わりにはならない。

ぐるっとまわるけど、もう一度子どもに戻って、そんな機能しない家族のなかにいると、子どもって、「いい子」あるいは「大人な子ども」になるしかないのですね。物分りがいい、ませている、ムリはいわない。で、親からは、この子は大丈夫と思われる。でも、子どもっていうのは、絶対的な安心の中で、ワガママを言ったり、時々は爆発したりしながら成長するのがおそらく健全で、そんな機会を持てない、持ってはいけない環境だと、少しずつ少しずつ、雪が静かに降り積もるみたいに、たまってくる。子どもってのは、思ったよりもずっと周りとの「調節機能」みたいなものを持っていて、でもそのままでいると、どんどん苦しくなって、いつか限界に達してしまう。この二つの物語に出てくる子たちは、たぶん幸せな方なんだろうなぁ。まだ「子ども」であるうちに、そんな限界を見せることができて、爆発することができたから。でも、そこに至るまでの苦しさが、胸が痛くなるほど、読んでいると伝わってきます。


この子たちに、私は親近感をもった。
私が子どものとき、親と暮らしていなくて、周りのオトナたちの顔色を見ていたからかな? ワガママはいえない立場なんだから・・・と、どっかで我慢してたから? 親と一緒に暮らしてからも、家にいないことが多かったし、私には兄弟もなく、親も母親しかいなくて、その母もいつも仕事が忙しくて、悩み事を相談する気になれなかったからかな?

そんな風に自分を「特別だから」と、かわいそうな存在に押しやってしばらく考えたあと、思いなおした。

いや、もしかしたら、私と違う環境で育った人でも、誰もが親近感をもつのかもしれない。
表面から見て、どんなに恵まれて育ったように見える人でも、どこかのポイントで「息苦しさ」を感じる、これが思春期なのかなって。そして、そのキズや思いは、大人になっても、心の底のどっかにズキズキ、チクチクって残っていて、こんな作品を読むと、そんな気持ちがむくむくっと出てくるのかもしれない。そんな気持ちを思い出すのも悪くないのかもしれない、そう思ったのでした。


うーん、うまく書けないけど、素朴でとてもいい作品です。この作家の他の作品も読んでみたいな。うん、読んでみよう(^oo^) 皆さんも図書館で見かけたらぜひ手にとってみてください。大人の心にもしっかり響くと思います。
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by butakotanaka | 2010-05-23 19:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)