少しだけ・・

少しだけ気持ちが楽になったかもしれません。
少しだけ何かができたから。

前のエントリで紹介させていただいたビーワン東北支援さんのお手伝いをしてきました。
木曜の午後、二時間ほどは私一人で。物資の仕分けです。
といっても、そんなに多くの仕事はなく、働き手がたくさんおられたので、私がしたことといったらお米10キロ袋から、5合ずつ小袋に分ける作業だけかな。あとは、ご自宅を提供しておられるご家族の子供たちと遊んできた感じ。五人の子供さんがおられて、みんなとっても可愛かったです。ボランティアで集まった人たち、半分、いやこのご家族含めると半分以上が、アメリカ人のみなさんです。会話は日本語と英語のミックス。英語の方が多かったかも。いい勉強にもなりました。


で、人数が足りてきた様子だったのでいったん帰宅。何かあればまた呼んでくださいといっておいたら、呼び出しがかかり、土曜の午前から午後にかけては、たこぶと二人で参加してきました。東北に出発する車に物資を積み込む作業です。バンが三台とトラック一台だっけな。ガレージに山盛りだった物資が、あっという間に積まれていって、ほぼ空っぽに。次の便までにまた集めなければ・・・そんな気持ちになりますね。運転手さんは全員外国人で、積む作業の間もほぼ英語で。別に私が英語でやってるボランティアを探したわけじゃなくて、たまたま生徒さんの一人が紹介していただいたのがこのグループだったわけなんだけど、少しは私が英語を話せることも役に立ったようで、これもめぐり合わせなのかなぁと思います。

作業を手伝ってくれた近所の子供たちとも合間に楽しく話して、将来の夢を語ってくれる子、ぽつぽつと自分のことを話してくれて、前日よりも仲良しになってくれた子、そんなふれあいも楽しかったです。

今回の震災の被害は、甚大で、物資提供もプロに任せたほうがいいという意見もあると思います。こういった小さな個人の集まりが、まして遠い関西からガソリン使って運んで、どのぐらい能率的か・・・そんなことを考えていては何もできません。逆に私たち日本人って、行っても迷惑にならないか、どうせ大きな会社や自治体や団体から物資が行ってるんだから、自分が動かなくても。。と思いがちです。

でも、そこに集った人たちは、とにかく動こう、とにかく誰かが何かを必要としているはず。そう信じて活動しておられて、本当に尊い働きだなぁと思いました。

善意で集まった物資は、さまざまでした。

食べものは、缶詰、りんご、オレンジ、タマネギ、カップ麺、レトルト食品のカレーやおかゆ、ベビーフード、カロリーメイトなどのエネルギー系、水など飲み物系、お米、日持ちのするパン類、お菓子類

その他、使い捨てカイロ、カセットコンロ、コンロの燃料、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、キッチンペーパー、おむつ(赤ちゃん用、大人用)、女性の生理用品、お尻拭き、マスク、紙皿、紙コップ、割り箸、

思い出すだけでもこんな感じです。これから復興が進んでいくにつれて、必要なものは刻々と変化していくようです。でも、まだまだ長い道のりだと、運んでいる人たちは実感してもおられるようです。大きな避難所単位ではモノは届いても、自宅で避難生活を送っておられる方は、足である車も失い、近所のスーパーも壊滅してしまい、少しの現金が残っていたとしても、手に入れる手段がない地域も多いようです。小さなグループができることは小さいかもしれないけど、それでも、確実に、誰かの手に渡り、誰かに喜んでもらっていて、その積み重ねこそが素晴らしいのかなぁと思いました。

ドライバーさんの一人は、仙台在住の方でした。
在宅でお仕事をされている最中に地震におそわれ、家族をつれて逃げたそうです。ご家族が一緒だったことや、ご自宅が無事だったことは不幸中の幸いだけど、本当に怖かったと話してくださいました。家族は今関西に疎開中で、自分はこうやって東北に物資を運ぶボランティアをすることで、自分たちが住んでいた愛する町を少しでも助けたいと思っておられるそうです。被災された自らがそうやって動かれていて素晴らしいなぁと思いました。

ほんの小さなことだけど、何もしないよりは、マシなはず。better than nothingという言葉が英語にもあります。なんとなく、深く深く沈んだ底から、ほんの少し浮き上がった気がした2日間でした。
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by butakotanaka | 2011-03-28 17:08 | 日常生活 | Trackback | Comments(2)

昨日、個人レッスンの生徒さんが教えてくださいました。
東花園駅近くを拠点に、支援物資を募って、自分たちでトラックを運転して届けておられます。もうこれまでに三度も物資を届けられたようで、四回目が、明日、金曜の夜に出発予定とのことです。これから長期化も予想されるとあります。下記に転送していただいたメールの一部を引用します。
詳しくは、ウェブサイト、ビーワンをご覧くださるか、メールや電話でお問い合わせください。

また現地で必要とされている物資のリストは、要望にあわせて、変わっていきます。
募ったものがもう十分集まったという場合もあります。
下記リストにある支援物資を届ける場合でも、届ける前に、ビーワンにお電話かメールで問い合わせた上でお願いします。必要な物資のリストは、ビーワンのウェブサイトでも、常に更新されているようですので、そちらの方も参考にしてください。


***************引用開始*********************
先日はたくさんの方々の救援物資のご協力、本当にありがとうございました。お陰様で私の車の中は皆様の思いでいっぱい!バックもサイドミラーも見えないような状態でドキドキしながら、届けることができました。その後仕分け詰め込み作業も少しお手伝いができ、ビーワンの方々との良い交流もでき感謝です。(仕分け作業お手伝い下さる方ご一報を。)
でも、まだまだ食料など足りないそうです。次回はドライバーが見つかれば金曜日夜出発予定です。もしお知り合いの方に転送できるようでしたら、下記の内容の転送をよろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーー
《救援物資ご協力のお願い》

現在は火を使わずに食べることができる、日持ちのする食べ物などが大変不足しています。これから物資支援のお考えの方はよろしくお願いします。衣料品、毛布類は現在のところ十分あるので、今のところ必要ありません。ありがとうございます。

《現地からのリクエスト》
第一番:食品!! Priority Need Category #1: FOOD!!

・缶詰め Canned food
・カップラーメンなど Cup noodles
・レトルト食品 retort-pouch food カレー/ハヤシ
・レトルト食品 retort-pouch food ご飯rice
・パン(日持ちする物) Bread (with storable duration)
・果物 りんご、オレンジ、みかん(箱入り) Fruit: Apples, orange, mikan (boxed)
・野菜 キャベツ・ポテト・たまねぎ・にんじん・長持ちやさい
Vegetables: cabbage, potato, onion, carrots and other long lasting vegetables
・お米 (1kg(5杯) ずつに分けて、ジップロックに入れてください。
Rice - (Divide into Ziploc bags of 1 kg (5 cups) each.)
・エナジーバー (カロリーメート)・ナッツ- Energy bars/ nuts
・栄養補給ゼリー飲料(ウィダーインゼリーなど)Energy drinks
・離乳食 - baby food

第二番:その他Priority Need Category #2: Other

・下着・パンツ(男性・女性・子供-新品) Men’s, Ladies, Children’s underwear (New)
・靴下(男性・女性・子供- 新品 )Men’s, Ladies, Children’s socks (New)
・電池(特に単1)Batteries (especially D-size, others OK too)
・ろうそくCandles
・カイロHand Warmer
・生理用品 Feminine products
・ウェットティッシュ - Wet tissue
・殺菌ジェル(水なしで手を清潔に保つため)/ Hand sanitizer gel
・水のいらないシャンプー Dry Shampoo (no water needed)
・口内洗浄液(モンダミンなどの小さいボトル)Mouth Wash - small bottles
・マスクMask
・軍手Work gloves
・卓上カセットコンロ Portable gas range
・卓上ガスボンベ Gas for portable gas range

≪献金で買う≫

・灯油 Kerosene
・ガソリン Gasoline
・軽油 Diesel


★ホームページ
http://b-1.jp/new/tohokuaid/→地図検索できます
★連絡先
ビーワン東北支援本部
チャド ハドルストン宅 (東花園駅徒歩2分)
〒578ー0931
東大阪市花園東町2ー3ー19
TEL072ー943ー0240
Email tohokuaid@gmail.com


支援は長期化すると思います。引き続き、必要な物資リストの最新情報などメールを送ることがありますが、ご不要の方はお知らせ下さい。ご協力よろしくお願いします。長々と失礼致しました。

**********引用終了*******************

主催しておられるのは、アメリカから来られたキリスト教の伝道師ご夫妻のようです。
それにしても、この大阪からトラックで支援物資を届ける・・・そのエネルギーに感動してしまいます。
協力してくださる方、物資面も、仕分けのお手伝いも、またトラックの運転手さん(交代要員)も必要なようです。よろしくお願いします。
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by butakotanaka | 2011-03-24 14:05 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)

なごみます(^oo^)

お友だち、syarakuさんのブログを紹介します。
syarakuのブログ

とても素敵な春らしい写真が満載です。ながめているだけで穏やかな気持ちになります。

syarakuさんとは、今年の一月横浜まで友人に会いに行った時にお知り合いになりました。
友人の名前(ハンドルネーム)は変蝠林さん。

今日はその変蝠林さんとの出会いを書きたいと思います。
もうどのぐらい前になるでしょうか。結婚してすぐの頃だから、15年以上前かもしれません。まだインターネットが主流になる前で、私たちはニフティというプロバイダーでパソコン通信をしていました。その中のフォーラムという機能で、いろんなサークルに参加していました。全国ふるさとフォーラムというのがあって、日本中のいろんな方が、自分のふるさとの話をしたり、お互いの土地を訪ねあったり、質問に答えあったり、そんなフォーラムだったと思います。そこで奈良オフというイベントがあり、奈良に一泊旅行に出かけました。

その参加者の中に、変蝠林さんがおられました。もうその頃で70代になられていたと思います。
ご夫婦で参加されていて、お二人とも笑顔がとにかく素敵。太陽みたいなんです。一緒にいるとそのふかふかの太陽の光や暖かさに包まれているような気持ちになります。奥様は昔コーラスをされていたということで、みんなが賑やかに話している宴会を抜け出して、二人でロビーで長い時間お話したのを覚えています。どんなことを話したかは、細かくは思い出せないけど、初対面なのにそんな抵抗もなく、親しくお話したなぁという印象です。なかでも、実はガンを患っているのよ・・・と穏やかな笑みを浮かべながら話してくださったことが心に残りました。ご病気をしておられるようにはとても見えなかったので、心の中で大きな驚きを覚えた私でした。

そのオフでキラキラ輝くお二人の写真を何枚か撮らせていただきました。
そして、オフが終わってから、あんまり素敵だったのでその写真を何枚か、うち数枚は大きく引き伸ばしてお送りしました。

それからどのぐらいたってからでしょう。変蝠林さんの奥様の訃報が届きました。おそらく数ヶ月後だったと思います。奈良オフからしばらくして、ホスピスに入られて、闘病の末亡くなられたとのことでした。

奥様が最後にお元気で旅に出かけた・・・それが奈良オフになりました。
そしてあのキラキラ笑顔の写真を変蝠林さんは大切にしてくださっていたようです。
ある日、テレビを見ていたら、シルバー世代がパソコン通信を積極的に活用・・・のような内容で、なにげなく見続けていたら、なんと変蝠林さんが出てきたのです。ご自宅での取材で、色々話しをされるうちに、なんと「これが亡くなった妻で・・・」と、私がお送りしたあの引き伸ばした写真がテレビ画面に! 「これは、ぶたこさんという方にいただいたんですよ」とニコニコ顔で。うわっ、私のことやん!と驚きました。大切にしてくださっているんだなと改めて思いました。

それからずっと、濃くはなかったけどお付き合いが続きました。
年賀状を送ると、毎年のようにお正月お電話があります。「ぶたこさん、あけましておめでとうー!変蝠林ですっ」って、とても大きな声で。お正月から明るい空気を運んでくださいます。何度か横浜まで会いにも行きました。マンションに泊まらせていただき、みんなで中華街にくりだして、プリクラを撮ったり、中華料理をごちそうになったり。

そんな変蝠林さんにお出しした年賀状が、今年、戻ってきました。
返事がないぐらいなら心配しないのですが、戻ってきたということは、お引越しされたのかな。それとも、ご病気に?と少し心配になりました。

お仲間と作られているメロウ倶楽部というウェブサイトがあります。スローガンには「メロウ倶楽部は高齢者の積極的社会参加を情報化の支援によって促進し、豊かな活力に溢れた21世紀の長寿社会を目指します」とあります。元気なシルバー世代の会員の皆さんが、日々の暮らしを語り、そして次の世代に伝えたいことを記す、そんなサイトです。ここで中心的メンバーの変蝠林さんのこと、ここならご存知の方がおられるかもしれない・・・そう思い、掲示板にことの経緯を書きました。お元気かどうかご存知の方はおられますか?と。

掲示板を見た会員の方が、連絡してくださり、ご家族と連絡がとれました。
やはり、去年、病に倒れられたとのこと。命にもかかわる状態が続いたけど、奇跡的に快復されたとのこと。でも、身体に麻痺が残り、一人で暮らすことは難しくなったので、今は施設で暮らしておられると知りました。具合がとてもおわるいのなら、難しいけど、もし落ちついていて、私たちが行ってもいいのなら、大好きな変蝠林さんに会いに行きたいね・・・となりました。

それからは、とんとんとん・・・とコトが運んで、一月半ば、横浜でミニ新年会が開かれました。私とたこぶは、新幹線こだまで横浜への旅。宿泊は、別の横浜の友人宅にお世話になりました。

新年会には、変蝠林さんと、娘さん御夫婦、それからメロウの仲間が何人か来られていました。
身体が少し不自由になられたということで心配していたのですが、変蝠林さんは昔のまま。ユーモアあり、笑顔もあり、食欲も旺盛で、もう宴会は大盛り上がりです。もちろん少し身体が動きにくいわけだから、車椅子のお世話にはなっているし、言葉がうまく出てこないということもあります。でも、スピリット、魂は、本当にそのままで、またまた私たちは元気をいただきました。宴会の最後は、みんなで「ふるさと」を歌いました。変蝠林さんは、自分も歌いながら指揮までしてくれました。ほんとにほんとに楽しい再会の宴会でした。

再会の宴会で、新しい出会いもいただきました。
それが、今回ご紹介したsyarakyさんをはじめてとする、何人かのお仲間です。
変蝠林さんご家族とお別れしたあと、残ったメンバーでお茶をしにいって、また少し話し込みました。
それぞれ素敵に人生を歩んでこられた皆さんのお話は、どれも楽しくて、時間を忘れました。

私たちの大好きな変蝠林さんが運んでくれた新しい出会いを、これからも大切にしていきたいなぁと思います。

宴会の席で、「あー、楽しかった! 来年もやりましょうね! 新年オフ、またやりましょうね!」と思わず提案してしまいました。一年に一度、こうやってお互いの元気を確かめ合う、大好きな変蝠林さんと会いたいなと思ったからです。実現しますように。実現させたいな。お互いがまた元気で、そして今、大変な状況にある日本が、少しでもそのときまでに元気を取り戻していますように。
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by butakotanaka | 2011-03-24 09:40 | 日常生活 | Trackback | Comments(2)

祝結婚20周年のままではあかんやろ・・とは思っていたんだけど、何か書こうと「投稿」モードで画面を開くこと数回。それでも、結局何もかけないまま、時間がたっていきました。

あの巨大地震が東北・関東地域襲った3月11日、私は、一階のピアノ部屋で一人練習をしていました。
ふと、めまいがした。そう思ったのです。なんかクラクラするなーって。
そのめまい感覚が止まらない。そのうち、家中の壁がミシミシと音を立てているのに気が付いた。この音は、いつかどこかで聞いた事があるなぁ。そうだ、あの神戸の地震の日もこんな音がしていたなぁ。あれ・・・と気が付くと、壁にかけてあるカレンダーが大きく左右にゆっさゆっさと揺れていました。

あ、これは地震だ。そんなに大きくないけど、久しぶりに大きい。しかも、何?この長さ。いつまで続くの? しばらくたったら終わると思っていたけどなかなか終わらない。これはもしかして、このぼろい三階建ての一階にいるのは危険なのかも? 次にまた大きいのが来ないとも限りらない。だいたい、震源はどこなんだろう。きっと近いはず。ここでこれだけ揺れを感じたのだから、近いはず。中部あたりか中国地方あたりか、和歌山あたりだろうか。

二階にあがって、テレビをつけた。えっ? 震源遠いやん。ってことは、あっちはどのぐらい揺れたの? 思わず表に出た。近所の人は誰も表に出てきてなかった。私だけか。恥ずかしいな。でも、見上げると電線が大きくゆっさゆっさと揺れている。やっぱり大きな地震だったんだ。大阪はたぶん震度3ぐらいなもんだったと思うけど、それでもかなり怖かった。揺れそのものも怖かったんだけど、なんかもっと深いところで、なんだかとても怖くなってきた。だんだん怖くなってきた。

テレビにまた戻った。これ、大丈夫なの? 神戸の地震みたいにひどいことになったらどうしよう・・・わりと最初の段階で私はなぜかそんなことを考えていた。

気が付いてすぐに、たこぶのご両親に電話。お父さんが電話に出たけど、えっ?地震?そんなんあったんかー?こっちは元気やでー・・・と平和モード。そうか、気が付かないぐらいやったんか。ぶたこ母に次に電話。留守番電話だったから、地震あったけど元気ですか?モノが落ちてきてないですか?とメッセージを入れる。それから近所の一人暮らしの仲良しさんにお電話。こちらも地震があったことに気が付かずうたた寝していたそうで。あれ、なんだか私、敏感すぎるんかな。

でも、私の予感以上のものすごいことがそれから起きようとしていた。
一通り気になる人に電話が終わって、もう一度テレビを見た私は凍りついた。これ、生中継なの? そうまさにあの津波が街を飲み込んでいくその瞬間をテレビが中継しているのだ。それに多分武田アナだったと思うけど、生々しい実況をつけて。起きていることが信じられなかった。こんなん見たことない。海沿いだけでなくて、津波がどんどん街中に入っていく。かなり高い土手の上を走っていた幹線道路も越えていく。こんな津波、外国の映像でしか見たことない。今まで地震は怖くても、その後に来る津波警報をどちらかというと軽く見ていた私、こんなことが日本で起きるなんて、にわかには信じられなかった。

それから、たこぶが会社から帰るまでがすごく長く感じた。一人でいることがとても心細かった。大阪なのだから、実際はたいした揺れでもなく、たいした被害でもないはずなのに、ただひたすら不安だった。

たこぶが帰って、それから私たちは三日間、ほとんどずーっとテレビのニュースから目を離せなくなる。

その間、音楽仲間であのあたりに住む人たちの無事が少しずつ判明してほっとする一方で、このブログを通じて知り合った友人が確かあの地域のはずだとメールしたものの、なかなか返信がなくて、あー大丈夫なのかと気を揉む。でも、彼女からも週明けになってだったか返信が! ご本人とご主人や子供さんは無事だったものの、他のご家族に被害があったようで、本当にこの地震は大変なことになってきたんだと改めて実感。

そんな中でも、大阪は、停電もなく、地震の影響も少ないので、心は揺れつつも、日々の予定はキャンセルされることなく行われる。一つだけ翌日土曜に出かけるはずだった阪神のオープン戦が中止に。当然のことだろう。週明けからは、コーラスの伴奏の仕事、初めての体験となった通訳の仕事も入っていた。レッスンにも日々生徒さんが来られる。しっかりしなくちゃ。

この地震の後、正直何をどう書けばいいのか分からなかった。自分の気持ちの整理がつかなかったのもある。でも、もう一つは、なんというか、自己規制というのかな。こんなこと書いたら、気楽すぎるか? こんなこと書いたら、誰かが傷つくかも? 私は当事者じゃないのにどう書いてもうそになるのかな? とか、いろんな思いが渦巻いてしまう。実際、mixiやtwitterでは、こんな書きかたしないで、とか、ああいうのは間違ってるとか、他人の書き込みの内容や方法に批判が飛んだり、よかれと思ってやっていることがうまく働かなくて、誰かがそれをやめてと言ったり、そんなことを目にしていると、なにを書いても、難しいなーと思う。

だんだん気持ちが落ち着いてきて、人のやり方や思いを誰も批判できないし評価できるものじゃなくて、誰もが自分の持っている力、やり方で、この地震に対する思いを表現し、記録し、そしてできるやり方で貢献する、誰かを何かの形で助ける、結局、誰一人同じ人間がいないのと同じで、みんなが違う方法や気持ちを持っていて当たり前なのだと、いきついた。そうなんだ。

だから、自分のやり方を表現する前に、自分で評価してしまって止めるのはやめよう。そして、同じように他の人の思いややり方も尊重して、受け入れよう。そんな風に思えるようになってきた。


哀しい思いは、消えない。どうしたらいいのかもよく分からないけど、とにかく、私は外国にいる友人に私の思いや、得られる情報を伝えることにしようと考えた。それで、外国の友人とつながっている自分のfacebookページに、日々の思いを書き、得られた情報をあげ、くれたコメントに一生懸命返事を書いた。外国でニュースを見ていると、日本で伝えているよりもずっと刺激的に危険度が高く伝えられているようで(特に原発の話)、みんなとにかく心配してくれている。facebookだけでなく、いろんなメールが毎日のように届いた。NYから、ワシントンから、イギリスから、オーストラリアから・・・・。以前通っていたブルックリンの教会では、こないだの日曜にみんなで「さくら」を歌ってくれた。私が楽譜を運んで、みんなに教えてあげた曲。私がいたときに、聖歌隊を指揮させてもらった曲。あのときも桜がきれいに咲いていた。そういえば、もうすぐ桜の季節だ。そんなことさえ忘れてしまうぐらいのこの10日だったなぁ。

記録のために書いておくけど、地震のあと、BBCの番組に電話で出演した。日本人の一人として思うことを話してほしいと頼まれて、かなり悩んだけど、出ないよりは出てみよう、自分の気持ちを話してみようと思った。自分でも気づかなかったことに気が付かせてくれたのは、「神戸のときにボランティアをしたということだけど、今度の地震でも何かやるつもりですか?」という質問。何も考えていなかったけど、知らないうちに「もちろん、私で役に立つことがあれば何でもやりたいです。ただ、今はまだ私たち一般市民が出る幕ではなくて、プロの人たちに任せる局面です。これがすぎて、時がくれば、きっと私たち市民が、自分の持っている神様からの贈りもの、何かを使って必ず役に立つときが来ると思うんです」と答えていた。

神戸のとき、小学校に通い、避難している子供たちの遊び相手のボランティアを数週間やった。遊び場所を失い、親が復興のことで頭がいっぱいの中、子供たちも大きな不安をかかえながら、することもなく退屈しきっていた。私たちがいって、歌ったりゲームをしたり、ただ話したりしたことで、何か彼らの助けになってくれていたら・・・と願っているけど、今は、どうしているのかなー。可愛かったなぁ。初日に出会ったばかりなのに、いきなり私のひざの上にのってきた女の子は、ずっと私のそばから離れなかった。手をつないで離さない子もいた。たこぶにやたら噛み付く子もいたなぁ。

今度の震災は私たちの住む土地から離れた場所で起こったし、今行ったとしても、食べものや寝る場所を占領するのさえ申し訳ないし、きっとたいして役に立たない。何ができるんだろう、どうしたらいいんだろう。今は何も分からないけど、きっと何か見つかるはず。誰もが何かを持っているのが人間なのだし。私のように何も資格もないし、たいした技術がなくても、それでもできることはあるはず。みんなが違った能力を生かして、人と人をつなぐために、被害を受けた人たちが、もう一度住みよい町を作り、素晴らしい人生を歩むために、日本中の人たちが何かしたいと思っているはず。いや、日本中だけじゃない、私のところにもたくさんのメッセージが届いているけど、世界中の人たちが思っているはずなのだ。

無理にがんばって欲しくない。無理に笑ってはほしくないけど、いつか、心から笑える日が、みんな一緒にお腹から笑える日が来ますように。いや来るようにしなくちゃいけない。せっかくの人生なのだから。


神戸の地震のときも、生きていくうえでの価値観に大きく影響したと感じた。
でも、今度の震災は、さらに多くの人に、私を含むみんなに、どう生きればいいのか、そんな価値観にまた影響を与えたと思う。今は、どんな影響だったのか、まだいえない。決められない。何年かたって、後で振り返ったときに、あれがきっかけで私の人生はこうなったなぁ・・・と思うのかもしれない。

私にできることは何だろう。
たいしたモノは持ってないけど、少しだけできることは、音楽だったり、英語だったり、なのかな。こんなことでも、きっと何かの役には立つよね。

それから、こうやってブログを持っている。日本語と英語で。何かを発信できるかもしれない。
分からない。何から、どうすればいいのか。

ただ、何かしたい、何かしなければ、きっと私は今、まだもがいている。
そして、日本中の人が、私と同じように、それぞれの立場でもがいているのだと思う。
他の人の悲しみや心を本当のところ理解するのは、きっと不可能なんだと思う。
「思いやる」って言葉があるけど、このぐらい哀しいのかな、このくらいつらいのかな、このくらい大変なのかなって思いやって、どうやればそれを和らげることができるのかなって考えることが大切なんだろうな。いつも思ってるよって積極的に関わることも大切だし、いつも思ってるんだけど、あえてそっとしておいてあげることだって、同じように大切なのだと思う。

一生懸命考えよう。
あまり思いつめずに。
思いつめると脳みそが動かなくなるから。
笑うことは忘れないようにして、人生を楽しむ気持ちは忘れないようにしよう。
日々の暮らしがどれほど大切で、どれほど得がたい素晴らしいものか、感謝しながら生きていこう。

ね。
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by butakotanaka | 2011-03-22 16:38 | 日常生活 | Trackback | Comments(4)

祝・20周年(^oo^)

もう日付が変わってしまったけど、気がついてみたら、3月2日は結婚記念日です。
しかも、よく数えてみたら、キリのいい20周年だということに、前日になって気がつきました。

気がついた・・・というか、私が「あっ、明日、結婚記念日やんっ」とふと気がつき、
「いつやったかな、結婚した年?」ときいたら、
たこぶが「忘れてんのかいな、91年やがな(^◎^)」と答えてくれ、
「えっ、ほんなら、丁度20年やん(^oo^)」と気がついた・・・という流れなのでした。

20年って、なかなかすごいよなー。
その前に付き合ってた期間が4年以上はあったと思うのです。
そう思うと、48歳の私の人生の丁度半分、たこぶと一緒にいるんだなーって。

出会ったのは、たこぶが指揮をしていた合唱団に私が入団して、アルトで歌い始めて。
入団したきっかけは、私の短大時代の親友が誘ってくれて。その友人の弟がその合唱団で歌ってた。で、その友人と二人で入団したのです。最初は歌ってただけだったんだけど、その頃、彼がもう一つ指揮していた自分が出身の大学の合唱団がピアニスト探してまして、そんなに上手じゃなくてもいいから、練習にちゃんと来てくれる人というような条件だったと思うんだけど、やってくれないかと誘われた。私は、その頃、色々自分の人生で悩んでいて、きっと何か打ち込めることが欲しかったのもあるんだけど、思い切って引き受けた。

今思い出してみても、なんで引き受けたんだろうか、よくわからん(^oo^;)
だって、ピアノ、そんなにうまくなかったしなー。
でも、とにかく、一生懸命練習したなぁ。あの頃。ソナチネに毛がはえたぐらいしかピアノ弾けなかったと思うし、指も弱いし、まともにスケールも弾けなかったのに、家では大きな音出して練習できない環境だったから、ひたすら大学の部室に夏も冬も通って、大学生よりも長い時間部室にいて、練習した。学生たちともお茶したり、練習の後は居酒屋に飲みにいったりと、青春をやりなおしていた感じ。

そうする間に、指揮者とピアニストということで、いろんな相談するし、一緒にステージのこと考えるしと、たこぶと過ごす時間が長くなって、一番の友人になり、音楽上のパートナーになり、そしていつしか、人生のパートナーとしても考えるようになったのかな。

最初は音楽のつながりだったし、暮らしのそのほかの部分でどのぐらい相性がいいのか不安だった。過去の失敗経験もあるし、慎重になっていた私、とにかく長く付き合ってみないと分からんなぁって。だから四年もかかった。で、四年もかけただけあって・・というか、いや、さらに期待以上に、予想外にともいおうか、私たちの相性はよかったみたいですね。だって、今でも20年たったって思えないぐらい、おもろいし楽しいし、気が合うし。あんまりケンカにならないし。

音楽以外の面でも、読書好きだったり、のんびりするの好きだったり、話すときと静かなときと両方あって別に気まずくならなかったり、生活上の価値観が近かったり、お散歩が好きだったり、結婚してからたこぶが私につられて旅好きになってくれたり、結婚した当初は相撲に夢中、その後二人してプロ野球にシフトして今では甲子園通いも共通の楽しみになっていたり。

音楽との付き合いは、結婚した当初よりも薄くなってきたかなと思うけど、自分たちのペースを見つけたともいえるのかな。

これから先、私たちの人生がどうなっていくのか、それこそ神のみぞ知るだけど、少なくとも、出会ってからこれまで、本当に幸せだったし、これから大変なこととか、しんどいこととかあっても、相性がいいパートナーに恵まれたということに感謝しつつ、乗り越えていけそうな気がするなー。

結婚記念日の夕食は、ホテルディナー・・・ではなく(^oo^;)
関西スーパーで、100円引きになった海鮮ちらし寿司(ひな祭り用で売ってた)、茶碗蒸し、焼き鳥数本(キモタレ必須)、天ぷら(たこぶの好きなしょうが天は必須ね)、えびグラタン(298円が198円!)、これにほうれん草バター炒めを作り、デザートはミルクレープ(これも二つで238円になってたよ。定価は328円だっけな)と、ほうれん草以外はほとんど買ってきたもので楽させてもらいました。豪華ディナーやったなー。写真はたこぶが撮っていたので、そのうちにブログにあがるのかな。

夕食後は、熱血タイガース党のキャンプレポート録画してあったのみながら、今年はタイガースは優勝やな・・・と楽しい気分になり、その後、私はたまっていたメールの返信、たこぶは今度のコーラスで使う楽譜の清書をしてくれています。


たこぶとの結婚は、神様がくださった一番の贈りものだと思っています。
これからも、楽しくのんびりと、自分たちのペースで暮らしていこうね、だんな様(^oo^)
はっぴー・あにばーさりー♪
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by butakotanaka | 2011-03-02 23:59 | 日常生活 | Trackback | Comments(3)