幼いころの私は、自分が経験したことのない世界の出来事や、遠い国に起こっていることは、絵本の世界のお話とあまり区別できていなかった。幼いころ・・・というか、つい最近までそうだし、今だってそんな風に思ってしまうことがある気がする。

人生、少しずつ年を重ねてくると、知り合いや友人が増えてくる。そうすると、それまで、遠い世界の出来事だった、その向こうに、一人一人の人間がいるとわかってくる。

そんなことをここ何日か考えていた。

まったく関係のないいろんな出来事を通して、そんなことを。

政治の世界。世の中の人たちって(自分も含めて)、「お上」の悪口は自由に言えると思ってる傾向、ありますよね。どうせ遠い世界のことだから、いくら文句言っても大丈夫。もちろん、自分の意見を主張することって大切なんだけど、時に、すごくプライベートなことだったり、外見だったり、人間性だったり。ときに、そこまで言っていいのか?と思うことも。特に、何かスキャンダルが起きたとき、最初は小さな声から始まるけど、あ、言っていいんだって、何か許可が下りたような気がして、そしたら、一気に始まる。いわゆるバッシング。

友達の中には、政治の世界で働く人もいて、ふと彼のことを考える。自分のボスのこと、自分が働いている世界のことを、ここまで言われたら、きっとつらいだろうなぁ。


芸能人に対しても似てるかな。いわゆる公の人なんだから、何を言われても当然だし、すべて私生活もさらけ出されても当然、ぐらいに私たち「一般市民」は思ってしまうことがあって、時々それが「痛い」なぁって感じる。自分も気がついたら、そうしていて、そういう自分も痛い。

芸能人にたくさん知り合いはいないけど、昔、学生時代にアルバイトしていたお店のオーナーがいわゆる芸能の世界の人だった。普段はごく普通の地味で真面目な、芸にしっかり打ち込むタイプの人。テレビに映っている芸能人のこと、ときにメチャクチャけなしてしまう自分だけど、時々、その人のことをふと思い出して、自分の知ってる人が、尊敬している人がバッシングされたらつらいやろなぁなんて思ったり。


大きな災害やテロで犠牲になった人。この場合。数字。どこか遠い世界に起きた事件だと、「千人ぐらい亡くなったんだよね」って、そうやって適当に言ってしまうときがある。「ぐらい」って。

東日本大震災で亡くなったり行方不明になった人の合計は、二万人近い。でもそれを「だいたい二万人」とはとても言えない。だって、そこに一人一人の人生があるんだもんね。一人一人に家族があって友達がいるんだもんね。

昨日は、東日本大震災の半年目で、NYテロから十年の節目。
ニューヨークでテロがあった2001年、私はその地に足を踏み入れたこともなかった。テレビ画面の中で、大きなビルに飛行機が突っ込む瞬間をこの目で見て、映画みたいやぁ、と茫然としていたのを覚えている。大変なことになった・・とも思った。だけど、誰も知り合いのいない、世界で有名なその街のこと、どこか遠い世界で起きた、まるで絵本の中の話のようにとらえていたかもしれない。

私の人生でその後、そのニューヨークで長い期間を過ごすことになり、友達をたくさん作ることになった。今、テロの場面がテレビに映し出されるのを見ると、まったく違う感情が湧き出てくる。胸が痛む。追悼式典でマイクで読まれる一人一人の名前、そこに一つ一つの人生が、大切な人生があったのだなぁと思う。

昨日の夜は、テレビで追悼式典を映して、ネットでニューヨークのラジオ局WNYCをつけていた。いつも聴いている番組のホスト、ブライアンが特別番組を担当し、リスナーからの電話を受け、人々の思い出話や、今も続く心の痛み、胸にくすぶる疑問に耳を傾けていた。その中で、時々珍しく彼は、自分の体験も語った。あの日、自分の番組が始まるほんの少し前に事件が起こり、現場からほんの数分しか離れていない市役所のビルの中にあったラジオ局にも、すぐに避難指示が下る。ブライアンは自分の番組をミッドタウンにあるNPRのスタジオからやることになり、移動することに。というか、全員がそっちに移動してそこから放送するはずだった。でも、ニュースを読むスタッフのうち、一人は、どうしても残るという。ここに残って、みんなが別のスタジオに移動して放送体制が整うまで、つなぐという。危ないから避難した方がいいという意見ももちろんあったけど、彼の強い意志で、ラジオ局の社長とプロデューサーとその彼だけが残って、ミッドタウンのスタジオで放送体制が整うまで、ニュースを送り続けた。その日の夕方だったか、初めて公式に犠牲者の数が発表された。スタッフが持ってくる情報はいつも信頼しているブライアンだけど、そのあまりの多さに、大きな数字に目を疑い、「これは本当?事実なの?」と聞いてしまったという。今までメディアの仕事をやっていて、さまざまなニュースを伝えてきたけど、あの時、あの数字を読んだときが、一番きつかったと語っていた。あまり普段感情的にならない人だし、センチメンタルな話はしない人。それだけに彼のその話は、私には重たく響いた。

ラジオで仕事している人。ジャーナリスト。どんな体験をしても、何を言っても、たいしてこたえないに違いない。そう思うかもしれない。でも、たった一度だけどその番組に出たことがあって、スタッフや彼とも話をしたことがある私には、そうは思えない。あつかましいけど、とても近い友人だと感じる。


遠い世界だと思う、出来事、数字・・・。そこに、血の通った人間がいて、一人一人の人生がある。その一人一人に家族があって友達がいて、仕事がある。その人が住む地域社会があって、そこに文化があって・・・。

ジョン・レノンのかの有名な曲「イマジン」じゃないけど、本当に想像力というのは、大切だなぁと思う。
たとえ会ったことがない人でも、訪れたことがない場所でも、自分から遠く離れていると思うようなところでも、遠い世界の人だと思うような人でも、きっと違わない。みんな同じはず。それをいつも覚えていないと、時々大きな間違いを犯してしまう気がする。それをわかったうえで、自分をしっかり持つことも大切だし、自分の意見を言うことも大切で・・・でも、それは時々とても難しくて。事なかれ主義になる自分もいるし、逃げてしまう自分もいるんだけど。


自分の想像力を絶やさないように、大切にして生きていきたいなぁ。
小さなことにも、大きなことにも。楽しいことにも、悲しいことにも。大切なことにも、くだらないことにも。ニュースにも、音楽にも。想像力って、あった方がいいよね。
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by butakotanaka | 2011-09-12 22:47 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)