昨日、ピアノの練習、感覚を一つずつ個々に研ぎ澄ませていって・・・とそんな話を書いたら、今日、facebookに友人が推薦してくれていた記事が、そんな私の心にピタンとはまった。

Noa Kageyamaさんという方で、アメリカの名門ジュリアード音楽院で学んだバイオリニスト。卒業後はインディアナ大学にてスポーツ心理学の博士号を取得し、現在はジュリアード音楽院の教授として、本番でベストパフォーマンスを引き出す方法を指導されているんだそうです。
記事(日本語)はここにあります。
音楽だけでなく、どんな分野の人にも通じる、最も効率よく能力を高める方法について書かれています。

納得できることたくさん、やってみたいことたくさん、そして私がこれまでにやってきたことも含まれていて、嬉しくなりました。なかでも、自分の記憶力を信じず、ノートを作って気づいたことを書き留めていくとか、練習は単純な繰り返しでなく、だらだらと長時間やるのでもなく、必ず頭を使うとの話。心がけていても、なかなか難しいことで、それを習慣にするのも難しいこと。

でも、子供の頃のピアノのレッスン、そして、若いころの保母になるため、音楽系大学に入るための練習など、昔の自分と、ここ数年、英語や再開したピアノ・声楽のレッスンに対する自分との一番の違いは、これやなーってつくづく思います。体力が弱り、老眼もきて、更年期も来て、集中力も前よりは短時間しか続かなくて・・・。マイナス面の方が目についてしまうけど、それでも一番違うことは、「考えよう」として練習してることかなーと。だって考えないと、繰り返しだけでは、何も成果が得られないから。現実的に、単純な繰り返しだけで成果が得られるほどは繰り返せないから(^oo^;) でも、この弱った自分だからこそ、人生のなかで、今が一番音楽と近い気がするし、これからもう少し近づいていけるんじゃないかなーという気もしています。

この先生の文章とてもいいので、覚えておいて、何度も読み返そうとおもいます。

そして、英語を学ぶ私にとってさらにいいのは、英文の記事もしっかりここにあることなのだ。英語で読みたい方は、ぜひぜひどうぞ(^oo^)
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by butakotanaka | 2012-09-26 22:00 | 音楽・趣味 | Trackback | Comments(0)

音楽にも語学の発音にも、はたまた生き方にもからまってくるのだけど、とりあえず音楽カテゴリにしました。

歌は、あまり毎日すると喉が疲労してしまうし、体調悪いときにやると悪化するので毎日しないけど、
ピアノの練習は、できるだけ毎日と思っていて、少々体調が悪くても、短時間でも・・・とつとめています。しかし、実際は、しんどいよー、だるいよー、気分がのらないよーって、毎日とはいかないんですけど(^oo^;)

体調が万全でなくても、ヤル気がなくても、とりあえずやるというのを続けていると、本当に日々自分の中に変化がおきるというか、感じることが変わってくるのです。面白い。

大体、時間がない、でもちょっとだけ・・・と思ってやる練習は、集中力があるようで、やっつけ仕事になるので、実りが少ないのが私の場合です。とりあえず、全部の曲をさわっておこーって、走ってしまうというか、じっくり取り組まないのであまり「気づき」がありません。

だらだら長いのも、無駄に疲れてよくないけど、ある程度時間に余裕がある方が、何かに気づいたとき、それにこだわって、何度も繰り返したり、いろんな曲で試してみたりできるので、やっぱり実りは多いです。

昨日のピアノの練習で気づいたのは、「振動」。
先々週、風邪ひいて、それも一段落したと思ったら、先週は、奥歯の下が腫れまして(^oo^;)
体調が弱って疲れが溜まって、抵抗力がないせいもあるかも・・・と歯医者さんに言われました。確かにその前ちょっと忙しかったからなー。そのせいかどうか分からないけど、あっ、風邪の後だから鼻づまりが続いたせいかな、耳の調子もよくなくて。そんなときは、ピアノ弾いててもワンワンと変な響きがして、うるさくて、なかなかつらいです。

耳が元気なときは、聴こえの違いで、少しでも「いい音」にしようと弾いてみます。あるいは歌だったら、身体の外に聞こえるいい響きで・・と思える。

でも、耳が元気じゃないと、耳がアテにできないので、違う感覚を使うことになります。たとえば、指、手首、ひじ、肩、身体などが無駄に緊張していないかとか、目で見て変な形になっていないかとか。

昨日は、「振動」に気持ちがいきました。
どちらかというと「触覚」になるのかな。
時間がなくて必死で弾いてるときには、感じないこと。見てるだけでは感じないこと。聴いてるだけでも感じないこと。

昨日は、できるだけ打鍵の瞬間に、「すぱっとした」振動、「ゆがまない」振動、「割れない」振動を得ようとしてみたら、すごくいい感じだった。五本のうちどれかの指を押さえっぱなしにしたまま、他の指が別のことを弾くというのもよく出てくるのだけど、この「保持音」も、振動を消さないように、振動を気持ちよく続けて、振動の波を変えないようにうまくフェイドアウトして・・・と思ってると、今まで強く弾いたり、やたら保とうとしたときには得られなかった効果が出てきました。

おっ、これは英語の発音にも使えるなーと思いましてちょっと意識して、英語の音読。口の中で起こっている振動を意識。気持ちいい振動、ゆがまない、割れない振動で、各子音、母音を発音しながら、フレーズをつないでいくと、なんとなく言葉もスムーズに聴こえる気がする。

で、また考えました。
健康はありがたいと思うけど、すべて揃っていることはありがたいと思うけど、たとえば、すべて揃っていない人は、かわいそうなのか、不幸なのか。そこは違うことも多いのかなと。
いわゆる五感というもの、すべて揃っていると、逆にわからない、鈍感になることってあるなーって。

視覚に集中して、あえて聴かないで、弾いてみる、歌ってみるとわかることがある。
聴覚に集中して、たとえば目をつぶったりして、あるいは暗闇のなかで、弾いたり、歌ったりしてみると、わかることがある。
触覚に集中して、あえて見ない、聴かないでやってみて、初めて、わかってくることがある。

昔、全盲の方のピアノを短期間だけど指導していたことがあって、素晴らしく暗譜が早いのに驚いたのを思い出しました。見える情報を得られないことで、聞こえてくる情報や、さわって得られる情報にその分集中するというか、それが生きる術になっていて、磨かれるのでしょうね。

聞こえない方は、逆に見える情報や触って得られる情報にとても敏感だったり。

全部揃ってると、そのことに慢心するというか、感覚一つ一つに対して、とても適当に付き合っているような気がするなぁ。時々、あえてそのどれか一つに集中して、他をシャットアウトしないと、その感覚本来の働きを認識できないというか、生かし切れないのかもしれないですね。

こんなことを考えたのは、ここ最近の体調不安定も原因かなー。といっても、たいして深刻なものではないんだけど。いわゆる「お年ごろ」というのもあって、考えこんでしまうだけなのかも。悩んでいるというのとも違うんだけど。

たとえば、耳鳴りがたくさんするとき、何年か前に突発性難聴したこともあって、いつか耳が聞こえなくなったらどうしようって考える。とても悲しいといったんは思うのだけど、あー、そうなったら、見えることに集中できるはずだから、音楽はさすがに難しいだろうけど、本をたくさん読んだり、何か思いを書き残したり、そんなことを楽しめる人生になるかもねーって行き着く。

こないだ、歯の治療に行った時、去年ブリッジにしてもらった歯、抜いた歯を支えているお隣の歯の根本が弱ってきていて、もしこれがダメになったら部分入れ歯になり、そうなると、かなりしゃべりにくくなるって言われて、ちょっと落ち込んだ。しゃべったり、発音したり、歌ったりすること、それを時々指導することで暮らしているのに、ちょっと困るかもなーって。そうなったらどうしようってちょっとだけ思った。

でも、しばらくしたら、落ち着いてきて、なるほどね、もしそうなったら、また違う境地が開けるかもって。入れ歯になったらなったで、その状態で、いかに効率的に発音するか、完璧でなくても、趣味としていかに楽しく歌や語学を続けられるかを開拓するチャンスやろなぁって。そうなって初めてきっと、弱い人達の気持ちが理解できるんやろなぁって。

はたまた、口から音に出すのが苦手になったら、ピアノをやれってことかもなとも。両方ちゃんとなんて無理だよ、どっちか一つにしなさいという、神様からのアドバイスなのかもねーって。力ぬきなさい、気持ちを楽にしなさいってことなのかもなーって。歌や語学が、そんなに突き詰められないって決まったら、それはそれで、ピアノに集中できるチャンスかもね。

こんな風に考えていくと、まぁ限界というのはあるかもしれないし、そうはうまくいかないのかもしれないけど、人間、何か一つでも感覚が残されていれば、それを生かして、人生を楽しめることができるのかもしれないし、それは逆に、何かとても深いことを究めてゆくときには、助けになる場合もあるかのもしれないですね。

大病された方が、落ち込みそうな人生なのに、そのことによって、逆に人生の意味を知って、喜びを知ったと言われるのを聞くと、すごいなーと思うけど、そう思えることがきっと本当にすごいのだと思うけど、それはそれで真実なのかもしれないですね。


そうそう、感覚の話とは違うけど、こないだ阪神の金本選手がインタビューで、「オフが勝負だと思って、一年目からやってきました。自分は体格的にも才能にも恵まれたわけではなく、ホームランは無理だろううと思われていたから、逆にそれをバネに、他の選手が遊んでいるときが勝負だと思って、自分に課してやってきました」と。去年と、今年、ピアノの発表会に出て、出るたびに、まだまだやなーって落ち込んだけど、そのあいだの時期、今こそが勝負なのかもしれんなぁ。発表会があって、その曲だけ練習して、それはそれで弾けるようにはなるけど、表現できることには限界があって、それはやっぱり基礎力の差。その基礎力を得るには、結局毎日の積み重ね。

今年50歳になったわけだけど、この年になって、毎日ちょっとずつ練習する生活してる自分が不思議。こんな大人になってる自分を子供の頃は想像してなかったな。大人になったらもっとのんびりというか、余裕で生きてるのかと思ってた。特に50代なんて、もう坂道降りてるやんとか想像してたかも。でも、実際、なってみると、まだまだやん、青いやん、未熟やん、その分成長できるやんって感じ。しんどいけど、楽しいね(^oo^)
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by butakotanaka | 2012-09-25 08:40 | 音楽・趣味 | Trackback | Comments(0)

整理整頓は難しい(;oo;)

先週まで、なんだかバタバタしてて、とうとう風邪までひいて、
歌のレッスンをキャンセルする始末。あーあ、体調管理できない自分に落ち込んだ。
昨日のピアノのレッスンあったけど、今週から来週にかけては、予定が少なめで、ちょっとのんびり。

この連休は、けっこう楽しかったかな。
日曜は、たこぶのお父さんが入居しているグループホームで、敬老会というイベントがあって、
私達も初めてボランティアとして参加しました。
いつもお義父さんがお世話になってるし、何かの形で役に立ちたいなーと思っていたのでよかった。
同じ系列の他のホームの館長さんが、もともと一人でギター弾き語りをされるはずだったのだけど、少しでも盛り上げになればということで、お手伝いを申し出たのだ。たこぶはタンバリンと歌、私はキーボードと歌。

事前に練習する時間は、本番前の半時間のみ(^oo^;)それまでは、FAXとメールで、やる曲の打ち合わせをして、それぞれ別々に準備。どんな方なのか、会ったこともなく、声も聞いたことないまま当日。その上、前の晩、急遽、深夜シフトのスタッフがお休みになり、カバーされたそうで、不眠のまま敬老会に来られた。体調が万全でないなか、全力で奉仕してくださり、私達もそれにのせられて、楽しく歌声コーナーをすることができた。

入居者の皆さんは、驚くほどの笑顔と元気な歌声で、参加してくださった。歌ってすごいねー、音楽ってすごいねーと、キセキのようなチカラを感じました。

なんとなく、やり遂げた感があり、月曜の祝日もいい気持ち。
ふと思いつき、懸案のオーディオ関係を考える。昔からあるオーディオコンボがだいぶ古くなっていたり、スピーカーがやたら大きかったり。一階と二階にあるんだけど、なんとかしたいということになった。で、思い切って・・・というか、金額的には思い切ってないけど(^oo^;)、いわゆる「ラジカセ」的な持ち運びのできる一体型の小さいのを見に、ビックカメラへ。事前に、価格サイトやアマゾンで傾向、人気度を調べて言ったら、私達が探しているカセット付きのものは、ステレオコンボタイプではほとんど発売されてなくて、ラジカセタイプの持ち運びできるものだと少しあり、しかも東芝が売れ筋の主流みたい。

ネットを見ていたときは、5000円程度の機種でいいね・・と思ってたけど、実物を見たところ、もうひと回り上のサイズで、9000円程度のものに結局決めた。決めては、音質。スピーカーが大きくなるので、余裕ができ、音質がいい、ラジオがデジタルでチューニングできたり、なんというか、長く使うための安心感のようなものがある。カセットは普段の生活ではほとんど使わないけど、1年に一度、シルバーコーラスの練習音源を作るとき、CDとカセットが半々なので、そのダビングに必要なのだ。まだまだカセットはなくならないなぁ、少なくとも私達の周りでは。

早速家に持ち帰り、オーディオ周りを整理。どちらに上質なものを置くか、据え置き型のスピーカーはどちらを残すか、レイアウトは?と、二人でああしてみたり、こうしてみたりして、決めた。買ってきた小型持ち歩きのラジカセは、二階のダイニング・リビングというか何でも部屋に(^oo^) 今まで大きなスピーカーを2つ並べて置いていたところに、新しいラジカセを置くと、すごーくスペースが広がる。ついでに他のいらないものも整理して、一階のステレオも、いい方を残して、少し整理。なんだかスッキリ。


で、今日。
生徒さんが来られる予定がないので、洋服の整理しようかなーと思い立つ。
洋服タンスって、ほんま、どんどんたまりますよね。特に女は(^oo^;)
ここ数年新しく服って、そんなに頻繁に買うわけでないけど、それでも時々、1000円だとか、500円だとか、安さにつられて、買ってしまう。ワンピ好き、ゴムスカート、のびのびパンツ好きの私。そう、楽な服が好きなのね。体型が年々変わってくるから、その楽な服の形も変わってきて、昔の服をそのまま着れることもあるけど、似合わなくなる服も多い。時々、もう着ないよなーというのは、人にあげたり、処分したり。

今日、タンスの中を見て、改めて思ったのは、上着系が多いよなーってこと。
コートやら、ジャケットやら。でもって、しばらく何年も袖を通してないのも多い。でも、だからといって簡単に捨てられない。ほとんどの場合、その理由は、買った時の値段。コートって、昔高かったのですな。五万とか簡単にした。もっとした時もあった気がする。ロングコートとか、年に数回しか着ないけど、それでも処分しようと思えないねんなー。重くて、着るのもしんどいってのが多いのに、それでも。あー、決断力のない自分(^oo^;)今日は、ハーフタイプのジャケットで、これはさすがに着ないだろうという、香港で買った安物の綿入れを処分決定。背広タイプのジャケットなんて、ほとんど着ないけど、改まった席や仕事でいつか着るかも。。と、あるかないか分からん機会に備えて、捨てられない小市民の私。

あと、カットソーやティーシャツ系。これまた、多い。はやりの形は時代によって変わるけど、上半身ものってそんなに変わらない。そんなに簡単に破れたりもしない。だから捨てるタイミングがない。こっちは高価なものは少ないけど、重ね着できるかも、寝間着にできるかもって、何かと理由をつけて、捨てられない。今日も整理できたのはほんの数枚やった。しゅん。

その意味では、一番処分の決心しやすいのは、下半分もの。ズボンやスカートかな。だって、はっきり入らなくなったり、入っても似合わなくなったり、ウェストの位置が時代によって変わってきているもんね。裾のデザインも、今では無理でしょうってのが多くなって。うちの中では一番整理できてる方かなー。

あと、ほんまにぜーんぜん来てないのに、本番用のドレスとかがある。ロング。
昔、時々安くで婚礼貸衣装の中古バーゲンとかやってて、数千円で買ってた。それぞれ数回ずつは着てるけど、今では、ロングドレス着る機会なんて皆無。処分すれば?と自問するも、いや、それでもいつか着るかも、いや、着ないかもしれないけど、誰かがもらってくれるかも・・・とか思っている自分が愚かか?(^oo^;)

カバンもなー。こんなになくてもいいでしょうってぐらいあって、捨ててもいい気がするけど、なんとなく押入れに収まっているものをすぐに捨てられない弱い自分。

本類は、読み終わった一度で十分のエンタメ系とかのは、日本語のも英語のも、売ればいいよね。いいねんけど、お店まで運ぶのが、車のない私達には重かったり。一度、ブック・オフに家まで来てもらって持って帰ってもらったけど、それもかなりの量がないと頼みにくいし。ためまくったら、もう一回それをしてもいいかな。

生きていくってことは、モノがたまるってことやなぁ。
子供の頃から若いころにかけては、けっこう数年おきに、引越しの機会があった私。そういう暮らしだと、貯めこむ前に、引っ越しが来て、それをチャンスに整理ができるんだけど、同じ家にもう20年以上住んでいるから、ほんま、貯まる一方。

あー、靴もあったなー。色あせたり、かかとが減ってるのとか、もう履かないのとか、整理したいなー。

整理整頓って、スッキリもするけど、エネルギーいりますね。
意思の弱い自分を再確認(^oo^;)(^oo^;)

さっ、今日の整理はこれぐらいにして、練習しよっと。
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by butakotanaka | 2012-09-19 13:55 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)

前にもこんな話を書いた気がするなぁ。
そうだ、仲よしの変蝠林さんとのお別れの場で、新しい出会いがあったときやったなぁ。

今回の訃報は、自分の直接の知り合いではなく、そのご家族。

先週末、結婚してベルギーに住んでいる友人のお母様が、急逝された。
そのほんの数日前、娘さん家族が住むベルギーでの二ヶ月という長期滞在を終えて、日本に帰国されたばかり。伺ったら事故だったとのこと。私はその友人とはもう何年も会っていないのだけど、SNSで互いの日記を読み合い、コメントをしあったり、ときにはメールを交換して、心の結びつきがあったので、突然、元気だったお母様の訃報に接して、異国に住む娘として、どんな気持ちだっただろうと思うと、心が痛んだ。彼女のご家族のことを思って、週末を過ごした。

そして、週が明けて、水曜だったか。
今度は、シルバーコーラスのメンバーの方の息子さんが急逝したとの知らせが入ってきた。
こちらも、ご病気だったということではなく、元気で通院も何もしていなかったのに、心筋梗塞でご自宅で亡くなっていたのが見つかったのだとか。43歳。ご主人も早くに亡くされて、母一人で大切に育ててきた、たった一人のお子さんだったのに。地域でボランティアなどに力を尽くされて、困っている人を見たらほっておけない方で、そんな素敵な生き方をされてきた方に、こんな悲しみが起こっていいのかって、知り合いの私でさえ受け入れがたい訃報だった。今日、午前中のコーラスの練習を終えて、20名ほどのメンバーと一緒にお母様の地元での告別式に参列させていただいた。

人の人生って、本当にある日突然「カット・オフ」されてしまうことがあるんだなぁと、実感。

それでも、そんな中でも、別れがあるから出会いがあるのだと、神様から一筋の光を与えられた気がする出来事もあった。

シルバーコーラスの皆さんに連絡の電話をまわす過程で、ずっと気にかかっていた方のご家族と連絡を取り合うことができた。連絡を取り合うことができただけではなく、心を開いてお話することができて、同じ世代として、親しくお話することができた。

指導するコーラスのメンバーは、全員シルバーで、中には、色々な面で少しずつ強くはなくなってきている方もおられる。2週間に一度の練習といっても、その間お預かりする立場としては、時に、ご家族と話しておきたい、いろんなお話を聞いておきたいと思うことがある。ご家族と信頼関係を築いて、ご本人に弱い面が出てきていても、なんとか月に二回、みんなと一緒に歌い、練習のあとランチしながらお友達とおしゃべりするこの大切な時間を、続けられるように協力していただきたい、できる限り続けてほしい・・・と。そして、そういう気持ちをご家族も持っていてくださるとわかれば、とても心強い。

今回も、訃報はとても悲しかったのだけど、そのことがきっかけで、新しく深いつながりも与えられた。


今日の練習で歌った曲の中に「夢みたものは」というのがあって、

夢見たものは、ひとつの愛
願ったものは、ひとつの幸せ

という歌詞があるのだけど、何歳になったって、夢も願いも持ち続けたいと思うし、そのことで愛や幸せが得られるのだと思う。何もかもやり尽くして終えられる人生なんて、ありえないと私は思うし、いつも何かの途中なんだと思う。あー、これもまだやりたかったのに、これもやろうと思ってたのにぃーって、いろんなことがまだ終わってないから、いつもいつも先にまだやりたいこと、願いや夢があるから、人生って飽きないし、楽しいんだと思う。自分もそうでありたいし、周りの人達にもそうであってほしいなぁ・・・と。

大切な家族を亡くした友人たちに、まわりにいる私達が何をできるのか全然わからないけど、今は、新しく与えられた出会いに感謝して、それから、願いや夢を持ち続けることに気が付かせてくれたことに感謝して、何かできることがいつか与えられることを、次の願いにするしかないのかな・・・・。

心も身体も、なんだかずっと忙しかった今週も、終わっていく。
こうやって、時間は、決して立ち止まらないで、進んでいくやなー。

時間も手伝って、大切な人を亡くした人たちの心の痛みが少しずつでもやわらいでいきますように。
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by butakotanaka | 2012-09-07 23:19 | 日常生活 | Trackback | Comments(0)


Applecheeseさん
 が主催される英会話クラスに復活してから、二回参加しました。
以前通っていたのって、2008年春にNYに行くそれよりも前だから、2007年ごろだっけか。だからもう五年近く前になるのかな。人生初めての翻訳のお仕事をいただいて、その仕事で使う翻訳ソフトの講習会を開催しておられたのがApplecheeseさんで、それがご縁でクラスに参加することに。

久しぶりに参加してみて、適度にカジュアルで、適度に勉強になる真面目な部分もありで、テキストもかなり実用的なイディオムが毎回10種類ぐらい学べていい感じ。まっ、どんどん忘れていくのだけど(^oo^;)

なにより、このクラス、主催者さんも、先生も、なんというか雰囲気が安定しているのですね。だから、心地よいです。余計な気を使わなくていいし、なんでも言えるムードがあって。今のところとても快適に参加させていただいておりますっ。


で、こないだから体験したり、見学したりしている英語学校のディカッションクラスにも、参加を検討しているのだけど、悩み中。自由予約制で、10回。一回は一時間弱。
今、一番ブレーキになっているのが、自由予約制といいつつ、違う曜日、違う時間の設定で月に4クラスしかないこと。10回のチケットは4ヶ月有効。ということは、月に二回では足りなくて、三回受講する月も出てくる。いろんな曜日と時間があるのは便利だけど、4回のうち3回も参加するとなると、クラスの方に自分の都合をあわせる比率が増すって気がする。こっちが都合のいい日時にいつでも・・・という感覚ではなくなる。

もう1つは、トピックが少ないと思うこと。
このクラスは指定された新聞記事を読んでいって、それを元にディスカッションするのだけど、月に四回のクラスはあっても、トピックは二種類しかないのです。つまり、二回は同じトピック。学校としては違う先生が担当するから、話の内容も変わってくる・・・とはいうけど、それでももう少しトピックの数やクラスの数が多いと「自由予約制」の意味をなしてくると思うんだけど。今のところ生徒さんが一人しかおられないのだとか。だから、逆にいうと、ラッキーマンツーマンになることも多くなると思うから、半分プライベートのクラス・・と思えばお得なのかなー。

これ、マヂで悩み中。

しばらくは、復活したApplecheeseさんのクラスだけにしぼって、生活のリズムの様子を見ようかなー。
年末にかけては、コーラスの本番やクリスマスなんかで、バタバタしてくるだろうし、特にここ数週間、なんだか色々忙しくて、疲れがたまり気味。だからちょっと消極的になっているのかも(^oo^;)

いやいや、疲れたときは、いっかい休憩して、頭も身体も元気になってから、ゆっくり考えるのがいいかもね。あせりは禁物。もう若くはないから・・・とあせってしまうけど、結局中身のない時間を過ごすことになると、時間もお金ももったいないもんね。歌やピアノのレッスンも大切にしたいし。

もうちょっと悩もう。
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by butakotanaka | 2012-09-06 22:16 | 英語・学校 | Trackback | Comments(0)