アメリカで友人と話したばかりなのに。。

昨日の朝起きて、たこぶがテレビの速報画面を声に出して読むのを聴いて、にわかには信じられなかった。障がい者施設でのおぞましい事件。

今日に至って、容疑者のSNSへの投稿や最近の言動、2月に衆議院議長に宛てた手紙の内容などが明らかになり、この人が恐ろしい妄想にかられ、自分を正義の味方だと思い込み、犯行に及んだ可能性が高いことがわかってきた。

ここ10年ほど、私はシルバーコーラスの指導をさせていただいているけど、その前の数年、7-8年にわたっていたかもしれないけど、障がい者の方たちのコーラスを指導していた。家の近くに障がい者センターというのがあって、フルタイムの仕事を疲れ切って、慰留してくれた会社とも最後はケンカみたいになって無理やり辞めて、しばらく何もやる気になれなかった日々の中、ある日、広報誌で障がいを持つ人たちのコーラスの練習がすぐ近所で月に2回おこなわれているのを知った。最初から指導などまったく考えていなくて、とにかく何か、自分ができることを探したくて、でもその頃の私は、仕事にも音楽にも疲れ切っていたから、本格的な音楽活動をするような気持にもなれなくて、この障がい者コーラスのお手伝いは、そんな私には、生きることへのリハビリになるというか、何かやさしい希望みたいなものを与えてくれそうな気がして、センターに連絡して、ボランティアをさせてもらえないか頼んでみたところ、OKが出た。

指導されていた先生は、もと小学校の教師で、とてもお人柄が素敵な方。でも、楽器を弾くのが苦手で、最初は皆さんの中に入って、一緒に歌っていた私だったけど、お手伝いするようになってすぐ、ピアノでの音取り役を頼まれた。そのうち、発声や体操のお手伝いもするように。先生とは練習の後、ランチやお茶をご一緒して、親交も少しずつ深まっていった。

コーラスは50人近くのメンバーで、障がい者ご本人たちだけでなく、介護するご家族もメンバー。介護の生活の中で、色々疲れやストレスがたまる中、歌うことが解消になると喜んでくださっていた。脳性麻痺の人たちにとって、緊張して、ちゃんと動こうと思うほど、体がかたまったり、逆にその反発で思ってもみない極端な動きが出てしまったりするのだけど、どんな風に動いてもいいんですよーっていう体操の時間は、のびのびと体を開放する時間になると言ってくれた。脳梗塞などの後遺症でリハビリ中の方は、言語に障がいが残っていて、話すことのリハビリを受けていたけど、歌うことでお腹から声を出し、歌のテンポの中で言葉を発することが何よりのリハビリになって、はっきり話せるようになってきたとキラキラ笑顔で報告してくれた。

介護生活はもちろん大切だけど、介護している家族の方たちも、障がいを持つご本人たちと一緒にほんの少しの進歩、変化を一緒に喜んでおられた。

ボランティアになって数年たったとき、年に一度のコンサート(施設に訪問演奏してくれるギタマンオーケストラと共演するのが毎年のならわし)直前に、先生が体調を崩され、本番の指揮ができなくなり、急きょ私が代役に。そして、先生はそのまま復帰されることなく、そこから私が指導を続けることになった。

ボランティアでお手伝いしているのとは違い、指導となると、なんとなく責任みたいなものを感じて、すべてを把握しておきたい、という緊張感というかあせりみたいなものが出てきた。

今でも忘れられないのは、担当の職員の方に
「皆さんの障がいの度合いを知っておきたいので、個々の方の状況を教えていただけますか?」とお願いしたときのこと。

その職員の方の返事は、
障がいというのは病気なのではなく、それぞれの方の個性だと思ってほしい。それぞれの方の状況は、個人的なことになるので、お話しはできない。それぞれの方と先生が親しくなるにつれて、ご本人やご家族から直接聞いてください。先生がしている指導は。今のところ何も問題はないので、思うようにこのまま続けてください。

というようなもの。
私はガーンっと何かを突き付けられたようなショックを覚えました。
私は障がいを持つ人たちをどこかで色分けしようとしていたんじゃないかってことです。そうだ、人それぞれ性格が違っていたり、育った環境が違うように、障がいだって、その人の持つ個性の一つなのだと考えればいいんだと気が付きました。もちろん普段の生活の中で不便なことはたくさんあるけど、不便なことがあるからこそ、特別に与えられる感覚や才能もあって、マイナスなことばかりじゃない。それは分かっていたつもりなのに、表面的に状況を把握しようとしていたなんて、なんて自分はバカだったんだろうと気づきました。

そこから指導をやめる数年後までの間、メンバーの方々とは素晴らしい思い出をたくさん作りました。お別れの時には、個性あふれる手書きの色紙をいただいて、今でもピアノの部屋に飾ってあります。生駒山麓混声合唱団と名付けたそのコーラスとの思い出は、とても大切なものとして今も私の心の中に残っています。皆さん、簡単ではない人生を送ってこられて、様々な困難を乗り越えてこられた、何事も笑顔で乗り切るという、潔さ、芯のあるさわやかさのようなものを持った人たちばかりで、たくさんのいい刺激を受けました。

きれいごとだけでは済ませられないこと、たくさんあると思うけど、人が生きているということ、一人一人の人生は、意味あるもので、それは当人にとっての意味だけではなく、その人が生きていることが、誰かにとっても意味がいること、人と人は影響しあって生きている、そう信じたいです。家族同士かもしれないし、仲間同士かもしれないし、介護する人とされる人の関係かもしれない。


タイトルの話になりますが、1か月のアメリカ滞在で渡米した2日後に、あのフロリダ、オーランドの襲撃事件が起きました。50人が犠牲になり、多くが重傷を負った信じられない数の犠牲者が出た事件です。そのあとすぐにエリオットと詩人の恋の合わせがあって、日本での銃規制はどうなんだ、殺人や自殺の状況はどうなんだと聞かれました。

私が彼に答えたのは、
日本では銃を持つことは基本的に違法で、警察が持っている以外は、闇市場で手に入れる危ない人たち、あとはハンターがいるとは思うけど、ハンターが持つ銃で事件が起こるというのはあまり聞いたことがない。だから、日本で起こる殺人事件はほとんどが刃物によるもので、刃物だとそれほど多くの命を一度には奪えないし、奪おうとしてもその前に誰かが止めに入ることが可能だと思うから、数人以上が一度に犠牲になることは、ほとんどない。自殺に関しても、銃での自殺は警察官に時々みられるけど、一般の人の間ではほぼないと思う。

ほんの少し前に交わしたこの会話が、こんな恐ろしい形で否定されるとは思ってもみませんでした。刃物でこんなに多くの命を一人の人間があんなに短時間に奪うことができるなんて、想像もしていませんでした。

セキュリティを高めることだけで、この問題は解決しないと思うし、解決する一つの方法があるわけでもないとは思うけど、一人ひとりが命の意味について改めて考えなくてはいけないし、介護される側とする側の肉体的・精神的な負担の軽減についても、考えなくてはいけないのかもしれないです。私はえらそうに言える立場ではまったくなくて、そういう生活のさなかにいる人たちのことを本当の意味で理解できていないかもしれないけど、でも、他人事としてとらえるのでなく、今回のような考えの人間が生まれないような世の中って、どうしたらつくれるんだろうって、考えることはやめてはいけない気がします。
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# by butakotanaka | 2016-07-27 09:39 | 日常生活 | Comments(0)

切り替えなければっ。

アメリカでの詩人の恋プロジェクトも本番を終えて一区切り、唱歌の集いも終了。

ということで、ギアチェンジせねば、ですね。

明日は久しぶりに自分のピアノレッスン。
10月には先生の門下生の発表会に出ることになっていて、シューマンソナタ二番の第一楽章を以前弾いたのだけど、その終楽章を弾く予定。譜読みがなかなか進まない。超ゆっくりなら読めるけど、すんなりはなかなか弾けない。時間がかかる。私は何事にも不器用で、時間をかけないとできないのだから、これは仕方ない。時間をかけるからこそ見えてくることがあるのだし、その分たくさんの時間楽しめるのだから。

そして、この発表会では、弾いてみたかった名曲、スラブ舞曲の連弾も弾かせてもらうことに。同じ先生の門下で同じ曜日にレッスンを受けておられる方。私は昼間でその方は夜。発表会の本番でしかこれまでお話しする機会がなかったのだけど、今回は連弾するということで、何度か夜のレッスンにお邪魔して合わせていただかなくては。うまくいきますように。ネットで連弾の演奏を聴いてイメトレするも、連弾って簡単じゃない。私は今回セカンドパートで低音域。椅子を少し左側にずらして練習。そうすると、方向感覚というか、いつもの中央のドのところに体の中心がこないから、ちょっとしたジャンプでも間違ったところに飛んでしまうし、鍵盤に対する指のあたる角度みたいなのも違って違和感。これに慣れて自然に弾けるようになるには、やはり練習あるのみだー。


アメリカに行く前の数か月は歌の先生にもピアノをみてもらっていた。私が伴奏を弾いて、先生に歌っていただくというイレギュラーなもの。でも、そのおかげでアメリカに行ってから、エリオットと伴奏合わせしたときに、うまくいったのだ。先生には本当に感謝。で、エリオットから与えられた次回の課題は、シューベルトの冬の旅。名曲中の名曲。そして、この夏やったシューマンの詩人の恋の16曲をはるかに超える全24曲。いつ一緒に演奏できるかは何も決まっていないけど、また3年前にシューマンを約束したように、これから1年なのか2年なのか、じっくり時間をかけて、このシューベルトの曲集を勉強していくんだと思うと、ワクワクする。。。。と言いたいところだけど、ちょっと途方に暮れる(^oo^;)というのも正直な気持ち。しんどいよーって心の底から自分の悲鳴も聞こえる。歌を一曲一曲レッスンで見ていただき、歌詞の意味を調べて発音を勉強して、歌えるようになったら、今度は伴奏の勉強に入って。これまでシューマンのリーダークライスと詩人の恋で2回たどってきたこのサイクル。いつも、もうあかん、でけへんーーって投げ出したくなるぐらいハードやったし、今回も深い深い内容の曲やから、簡単じゃないはず。でも、できる、と信じて取り組んでいくしかないよね。っていうか、取り組むべき課題があること、与えられていること、一緒に取り組む相手が素晴らしい音楽家であること、こんな幸せなことはないのだ、がんばるのだ。

歌の先生にこのことをメールしたら、先生にとってもご指導が楽なはずはないのに、「ワクワクします!」と返信をくださった。その先生のお気持ちにも答えたい。この曲集を通してまた自分が新しい段階まで進歩できますように。

月に一度通っていたチェンバロのレッスンは、ここ数か月、余裕がなくてお休み中。
帰国後には再開するって心に決めてた。習っている中では一番初心者のチェンバロだけど、私の音楽の好みというか相性としては、古楽には愛を一番感じる。だから上達したい。今回のアメリカでのワークショップでも、古楽のコンサートで歌ったパーセルが一番自分らしく演奏できたし、指導してくださったチェンバロの先生からも嬉しいコメントをいただいた。次回に来るときは先生のお宅に泊まってレッスンしてあげるという素敵なお言葉まで。レッスンしていただけたらどんなに素敵だろう。そうだ、その日までに、やっぱりチェンバロもちょっとでも進歩していたいのだ。

そんなこんなで、やりたい、やらねば、やるぞってことが、山積みな今。一区切りがついた後って、すべてが新しくて、すべてが最初からで、すべてがしんどいともいえる。新しい旅の始まりはワクワクするけど、いつ辞めることもできるというか、やらないって思うことも簡単。登り始めてしまって、途中まで行くと逆に引き返したり辞めたりするのがもったいなくなるけど。そこに至るまでは、なんとかくらいついて、あきらめないでたどりつかなければ。

9月には、所属する合唱団の本番で小さなステージを指揮することになっていて、大好きなルネサンスの音楽なんだけど、思うような音色、思うようなフレーズ、思うような音楽にするためには、そうするための道のりを歌ってくださる人たちに伝えなくてはならず、技術面でも音楽面でも指揮の面でも、自分の未熟さを感じる日々。これまた不器用に地道に、一つ一つのパートを歌ってみたり、何回読んでもすぐに忘れる意味を何度も読んでみたり、いい演奏の録音を何度も聞いてみたり、そんな繰り返しでしか、ヒントは与えられない。

もちろん好きでやっていること。なんだけど、こうして暑い日々が続くと、ばてるなーっ。たいして動いてないのに疲れるなーと思ったり。いかんいかん。

無理は禁物やけど、ちょっとずつは進んでいかんとね。
大好きなことをしているわけやから。
大好きなことを共に楽しんでくれる仲間がいて、指導してくださる先生がいて、理解してくれる家族がいるわけやから。

今夜は、意思表明。
一つの旅が終わり、これからまた新しい旅の始まり。不器用でもいいから、少しずつ。やめないで少しずつ。生きている間は、知らないことを知る学びがずーーっと続いていくわけで、それが何よりも幸せなはずだから。


ちなみに、我らが阪神タイガースの応援も最後まであきらめへんでー(^oo^)/~~~
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# by butakotanaka | 2016-07-25 22:27 | 日常生活 | Comments(0)

唱歌を歌う集いをお手伝い(^oo^)

今日は、住んでいる地域にある司馬遼太郎記念館というところで、「美しい唱歌を歌おう」というイベントのお手伝いをしてきました。

アメリカに出発するほんの数日前に依頼を受け、出発前にはほとんど準備ができなかったので、間に合うかどうかかなり不安だったのですが、本番はとても楽しい時間になり、おかげさまでどうやら好評でもあったようで、よかったですー!

このイベントを依頼されたきっかけは、いつも指導させていただいているシルバーコーラス。数年前、コーラスの初代団長さんが亡くなり、その方が司馬さんの関係者でもあったということで、館長さんの奥様が葬儀に来ておられて、葬儀で私たちコーラスが捧げた歌を聴いてくださったという出来事がありました。そして、その館長さんの奥様という方が、私たちがその昔参加していたカペラ・ノーバという合唱団で一緒に歌っていた仲間という偶然!年賀状でのお付き合いは続いていたのですが、実際にお会いしたのはその時がもう何十年ぶりとか。それからまた数年の月日がながれ、今回の依頼を受けたわけです。

記念館でこんなイベントを催されるのは今回が初めてとのことで、お互いに手探りでさまざまなことを決めていきます。

版画家の田主誠先生という、童謡唱歌を研究されて、各地で唱歌を楽しむ集いを開催されている方を招いて解説していただき、解説いただいた曲を順に私の指揮とピアニストさんの伴奏で歌っていくというもの。

先生から正式な歌のリスト15曲が届いたのは先週帰国後のこと。出発前に大体こんなラインナップでと送っていただいたものと少しだけ変更があり、とにかくその曲の伴奏譜をそろえるのに一苦労。我が家にない曲は、週末、大きな楽譜店に出向いて探索したりもして。ピアニストさんとの打ち合わせは今週の火曜。ランチしながら、用意した各曲数種の楽譜から、伴奏のアレンジの美しさや歌いやすさ、それから音域の高低による歌いやすさなどを検討して決めて行きます。

田主先生やスタッフとの打ち合わせはその翌日の水曜。記念館の中にお邪魔するのは初めてでその美しさ、落ち着きに感動。スタッフの方が誠実に準備をすすめてくださっていることも心強かったし、何より、初めてお会いした田主先生のお人柄が少年のように純朴で、楽しくて、時々脱線するそのお話しぶりが、本当に唱歌を愛して、それを作り出した作曲家や作詞家に尊敬、感謝の気持ちがあって研究を積み重ねてこられたのだなーと感じ入りました。

先生に気持よくお話ししていただきつつも、15曲という量の曲を十分に味わって参加者の皆さんに歌っていただきつつ、そしていくつかの曲は先生のリクエストによって二部合唱に挑戦したりしつつ(^oo^;)、時間内にしっかり終わる!このミッションのハードルはとても高く思えました。でも、しかし、やるしかないのだ!

時間割を考えて、どこでどうやって調整するかシュミレーションしたりして、楽譜を使いやすいように順に貼り付け、前奏、間奏、後奏を考えて、今日を迎えました。

会場は150が満席で、打ち合わせの時点では80人余りの申し込みがあったとのことで、それでもたくさんの方々が来られるんだなーと驚いていたら、なんと今日は140人もの方が来てくださいました。ほぼ満員です。

シルバーコーラスやライゼコールからも何人かの方々が来て下さり、歌声がとても力強いものになり、その歌いなれた人たちの歌声に包まれて、初めて参加された皆さんも、いやきっとその中にもコーラスがお好きな方、唱歌を歌いなれた方がきっと多くおられたとも思うのだけど、とにかく素晴らしい歌声でした。二部合唱も期待以上にうまくいったし、何より私のつたない指揮に、本当にぴったりついてきてくださって、ピアニストの先生のピアノもとても美しくて、そしてその歌声を聴きながら体を揺らす田主先生の表情が心から幸せそうで、私も、指揮をしながら、歌う皆さんの顔や顔、田主先生の顔、そしてスタッフの皆さんも楽しんでくださっているのを見ていて、心から幸せな気持ちになりました。

作家の記念館にホールがあって、ピアノがあることが素敵で、そこで先生がお好きだった菜の花という歌詞から始まる朧月夜でイベントの幕が開き、最後の故郷にいたるまで、会場全体が美しい唱歌を楽しむ空気に包まれていて、イベントの後も、今日1日幸せの余韻に包まれて過ごすことができました。

とても好評だったということで、またやろうという話も早くも出ていてうれしいことです。実現するといいなと思います。

いつもシルバーコーラスではどちらかというと歌いなれた唱歌よりも、もう少し新しい歌、難しい歌に挑戦してして、少ない曲に長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり練習を重ねていくスタイルですが、たまには、こんな集いも素敵だなと思いました。

ただ歌っていくだけではなく、その一つ一つの歌が作られた背景をうかがい、作った人たちの人生のお話しをうかがいながら歌っていくというスタイルも、とても学びになったし、味わい深いものなりました。

こんな機会を与えてくださった司馬遼太郎記念館の皆さんに、素晴らしい解説をしてくださった田主誠先生に、お手伝いしてくださったピアニストの長尾有子さんに、そして、今日参加してくださったすべての皆さんに感謝です。

また明日から、がんばろう!
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# by butakotanaka | 2016-07-23 22:44 | 日常生活 | Comments(0)

積み重ねるということ~英語学習~

タイトルを英語学習としたけど、私にとって、英語学習を積み重ねるということと、外国にいる友人たちとの友情を積み重ねるということが、ほぼ同義だなーと思う。
そういう点で、英語学習の目的だったりきっかけだったりが、世の中の多くの人と違っていたりもするのかな。

仕事で必要だったわけでもなくて、テストでいい成績を得たいわけでもない。
元々旅行に行ってその先でその土地の人たちと交流することが大好きだったけど、ふとしたきっかけで、しかもけっこうネガティブなきっかけで英語学習まぢめにやりだして、一度きりだと思ったその出来事が今まで続いてるわけやもんなー。

今でも覚えてるけっこう悲惨でアホらしいともいえる理由(^oo^;)
2001年のこと、旦那様のお仕事先の景気が悪くなり、次の春から、それでなくても多くはなかったお給料がひと月につき10万円減るということが決定。私はそのずいぶん前からフルタイムの仕事は辞めていて、そのころはレッスンで教えるということもなかったし、音楽の仕事はほぼやってなくて、というか音楽活動自体もお休みしていた時期。その後再開とも思ってなかった。なんというか、若いころかなり濃密にやっていた合唱だったり、合唱の伴奏だったり、ピアノを習うことだったりに、音楽そのものもだけど、人間関係とかいろんなことに疲れて夫婦して音楽から遠ざかっていた時期。

春から生活に困るのねって悲惨な気持になり、きっと私はまたフルタイムで必死に働くべきなんだわと覚悟、で、普通なら節約に走るところ、逆に行動にでる、ここが私のアホなところというか(^oo^;)
フルタイムで働く前に、まとめて時間がとれる最後のチャンスかもしれないから、そんなにお金がかからない範囲で、夢をかなえたい、その夢は、幼いころから大好きだったアメリカのテレビドラマ、大草原の小さな家みたいに、外国の家にホームステイして、英語を学んで、あこがれの暮らしを経験してみたいねんってもの。夢やってんってことで、色々調べて、飛行機代、英語学校代、ホームステイに食事代を含んで、4週間で33万円で行けるということが分かり、たこぶを説得して、4月になる直前の3月に4週間、カナダのバンクーバーに旅立ったのでありました。

その時は、ほんまたいして話せなくて、学校でのクラスも真ん中の下ぐらいで、それでもやっぱり「音」に興味があって、学校の授業以外に個人レッスンを申し込んで、発音の指導を特に受けていたんやったなー。あの頃は声楽のレッスンとかお休みしていたんだけど、外国語を話す人たちって、どんな風に口の中とかあごとかを使って話してるのかな、どうやったらあんな音が出るのかなって、そのことに特に興味があった。あの頃から、意味を調べるだけでなくて、発音記号を調べるためだけにも辞書をこまめにひいてたなー。

ホームステイ先でも、特に子供が話す英語はお手あげぐらいわからなくて、苦労しまくり。失敗談もありありで、それでも、4週間が終わったとき、学校からは特によくがんばりましたというオナラブルメンションという特別なお褒めの言葉つきの修了書をもらって、涙流して喜んだんやったなー。自分は優秀からはかけ離れているといつも落ち込んでたから。優秀だったわけではないけど、よくがんばりましたと認めてもらっただけでも力になった。帰国するまでにカナダの本屋で、先生推薦の文法書、発音書を買い込んで、それっきりで終わるはずだった夢の学びの旅だったのに、あきらめきれず、もっと学びたい、もう一度行きたい、次に行くときは、もっと進歩してから行きたい、と、そこから毎日、1日に1ページずつ買ってきたテキストを自主学習し続けて一年やり遂げたのであった。

で、フルタイムの仕事はどうしてん?というところが間抜けな話で(^oo^;)
結局、贅沢しなくて、少し節約して暮らせば、たこぶの収入でもやっていけることが分かり、私はフルタイムではなく、昔の職場に呼ばれて、パートタイムで働いたりして、それで生活はなんとかなったのでした。

限りなく理解があり、こんなアホな私の生き方を面白いなー(^◎^)と楽しんでくれる素晴らしい旦那様のおかげで、その後もできる範囲で、お金を貯めては、英語を学び続ける日々。カナダの1年後には、きっちりニュージーランドに3か月。なぜニュージーランドか。なぜかというとそのころのニュージーランドドルは、50円以下で、何をするにもアメリカの半額ぐらいだったのだ。3か月間、飛行機代と学校代とホームステイ代、1日二食も込みで、48万円やったのを今でも覚えてる。前の年にバイトしたお金で間に合った。今から考えたら、安かったなー。いや、大金ですよ、もちろん。でもあんな遠いところまで飛行機乗って、学校行って、寝泊りして、と思ったら、旅行に行くのと比べるとかなり安いと言えます。

で、私の場合、その外国に行かない日本にいる間、そのころは国内の英語学校には通ってなかった。それにかけるお金がもったいないと思ったから。

そのあとは、3年おいて2005年にNYに3か月。これもホームステイと英語学校。このときに行先をNYに決めたのは、前にも書いたけど、ここから流れるラジオ番組との縁。ファンになって、日本で聴くようになってメールを送って、交流が始まって、日本から放送に電話で出て、その中で次の勉強する先を探してると話したら、ホストから、NYはどない?とふと言われ、ほんまや、このラジオが流れてる、いつもタクシーの運転手とかいろんな人が電話かけていて生き生きと自分の思いを話してるのを聴いてた、この街に行ってみたい!って思ったんやったなー。

その3か月の間に、ラジオ番組のイベントでケイラという友人ができて、英語学校のクラス分け面接のときに担当した黒人の先生がクラシック音楽好きで話が合って、その先生がすすめてくれたのが、その後通うことになるブルックリンの教会で、そこで親友になったリサに出会ったんやったなー。リサは、その3か月の途中で、ホームステイ先でトラブルになって追い出されそうになったとき、救い出してくれて自分の家に私を住ませてくれて、その3年後に老人ホームでボランティアしたいねんっ、大決心の告白したときに、私にまかしとき、探したる!って請け負ってくれて、ほんまに私が後にボランティアすることになるホームを探してくれて、1年滞在のときは身元引受人になってくれて素敵な推薦状も書いてくれたんやった。

3か月の滞在の途中から通うようになった教会の礼拝で、ある日隣に座ってたのがジャッキーで、私の歌声聞いて、「教会の聖歌隊に入りなさい。紹介してあげるから」と聖歌隊のパムに紹介してくれて、そのほかにも「ルネサンスの音楽に興味があるんやったら、私のパートナーのマージが毎週金曜にやってるグループがあるからそこに行ってみたら?」と紹介してくれたんやった。そして、毎週通うようになった金曜コーラスに場所を提供していたリチャードとリタの夫婦が、その後、1年滞在したときに、ウェスタンウィンドのワークショップに参加すべきや、車で連れていったるから、費用はかかるけど、価値があるから参加しなさい!と促してくれたんやった。

英語学校に通うような滞在はもう卒業と自分で決めて、何かええことしたい、誰かの役に立ちたいし、アメリカのお年寄りの人たちの話をたくさん聞きたいと、とうとう一年のボランティアでの滞在が実現することになったわけやけど、3か月滞在したときに作った友人関係が、なくならずそのまま継続したばかりか、深まったり、またそのまた友人までつながったりして、ホームでの入居者の人たち、牧師をしていて教会のメンバーでもあるイェバ、その旦那さんで音楽家のトーグ、いろんな人たちと新しく友達になった。

2008年の1年の滞在の後は、3年前に1か月、そして今回1か月と長期ではないけど、訪ねることになって、音楽の学びはもちろんなんだけど、こうやって、継続したつながりがある友人がいる、次に行ったときにもっと本音で、もっと微妙な感情まで話したい、知りたい、分かりたい、表現したい、そんな思いがあるからこそ、日本でも毎日は英語はなさないけど、英語に興味を持ち続けるし、どうやったらもっとすんなり話せるのかな、どうやったら発音よくなるのかなって考え続けてるんやろなー。モチベーションを保つのが難しいって、何事にもよく言われることやけど、それはほんまやと思う。確かに難しい。でも、私はすごく恵まれていて、こうやって行く機会があるということ、行くことを許してくれる家族がいるということ、向こうでも受け入れてくれる、待っていてくれる友達がいるということ、お金をかけずに滞在できるように住ませてくれる人がいたり、協力してくれる人がいてくれて。

今回も何人かの人たちから、あなたはもうただの旅人ではないのね、いつも何かプロジェクトをもって、やるべきこと、知りたいことをもってやってくるのね、こんなに継続して、仕事や何か利益のためではなく、英語を学び続け、自分たちのことを知りたいと思い続けてくれて、そして理解しようとして、実際に理解してくれて、という日本人に会ったことがない、と言われました。珍しいと(^oo^;)
もうあなたはタダの日本人じゃないのよとも言われた(^oo^;)
2つの国に片足ずつを置いて、両方の国を理解しつつ、それでもしっかり自分自身は日本人ではある、という面白い人だと。なんというか、アメリカの友人たちから見て、外国人、とも言えないし、アメリカ人であるわけでもないと。でも理解してくれているという安心感があるから、誤解を恐れずに、色々な質問ができるし、色々な話もできると。

これまでの積み重ねがあるから、だからこそ得られた、友人たちからのこんなコメントだなと感じました。音楽にしても、英語にしても、人との縁にしても、積み重ねることの大切さ、今回の旅では改めて、本当に強く強く感じました。

そして、もうこれは、行きたいから行く、とかそういうレベルではなくて、切ってはいけない縁ができてしまったんだなってこと。親戚がいるようなもんで、何年か間は空いてしまったとしても、これからも行くべき場所、会うべき人たち、会っておきたい人たちがいる場所になったんだなってこと。お金がかかるからとか、しんどいからとか、そういう理由ではあきらめられない、あきらめてはいけない、大切な友情が育った場所なのだということ。それを実感しました。

こんな風に積み重ねられたこと、自分ひとりの思いでは成し得なかったことだから、どれか一つではなくて、可能にしてくれたたくさんのことに感謝の気持ちしかないし、これからも誠意をもってこの大切な関係を続けていくことが、その一つ一つのことへの恩返しになるのかなと信じて、コツコツまたがんばろっと。

いつものごとくまとまらないけど、今夜のとりとめない思いでしたー。
暑いですー。皆様も夏バテにはお気をつけて。
おやすみなさい(^oo^)/~~~
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# by butakotanaka | 2016-07-21 21:58 | 日常生活 | Comments(2)

3年ぶりNY2016日記 ワークショップのこと4

帰国してから、あっという間に1週間がたちました。
記憶がどんどん薄れていきますー(^oo^;)ってことで、あの時の気持ち、書いておかなければ。


困ったこと、混乱したこと、難しかったこと、自分のことや周りのことも含めて、思い出す限り書いていきたいと思います。

・どの曲が一度きりで、どの曲が継続するのかわからない

これ、ほんまに難しかったです。
おそらく、譜読みがゆっくりなグループの場合は、譜読みした曲は、ほぼ本番でもやる、という流れになると思うのですが、私が所属したグループは譜読みが早くて、1日でできてしまうこともあるぐらいなので、とにかく読んだ曲が、これからもやり続けるのか、これで終わりーなのかが、わからないのです。

こんなことがありました。
ある日のセミナーで歌った曲、特に私に対してのアドバイスを受けました。10人で歌っていて、私のパートだけ音が動く場面、聞こえないからもう少し聞こえるように歌いなさいということでした。その日の夜、寮に戻って一生懸命曲を分析し、自分の歌い方もよく検討してみたけど、楽譜を見れば見るほど、9人対1人では、どう対応しても私ががんばるだけでは無理だと思いました。時間をかけて分析して、翌日、メンバーの一人に、「あのさ、昨日のあの私のパートが聞こえないって曲なんだけど、一生懸命曲を分析して考えてみたけど、みんなにも協力してもらって、聞こえるようになんとかできないかなー」と持ち掛けると、「あー、あの曲ね、ボクも、あそこはナオコ一人で動くところだから、他のパートがもう少し抑えた方がいいんじゃないかって提案はしたんだけど、みんなが、いや、ナオコがもっとしっかり歌えば済むことだと、とりあってくれなかったんだよ。そもそもさ、あの曲、これから先もう歌わないかもしれないよ。そのあたりもボクにもわからないんだよね」という返事。

これには二重の意味で、ガクーっと落ち込みました。一人のためにみんなが声を少し抑える聞こえるようにするという感覚がなくて、その言われた一人ががんばればいいと思ってる人が多いということ。少し冷たい世界なのかなと感じてしまいました。きっと冷たいということだけでなく、誤解もあるのかもしれないけど。それと、あんなに時間をかけて分析したり考えたりしたけど、その曲をもうこれから先やらないのかよーってこと(^oo^;)実際その曲を練習することも、コンサートにのせることも、その先はありませんでした。

何度も参加している人なら、そういうカンがきくのかもしれないけど、セミナーでアドバイスをもらって、言葉のイントネーションをもう少しがんばりなさいとか、音程に気をつけなさいとか、並び方を変えてみなさいとか、いろいろ受けて、そうしたら、これから先もやるのかなと思う人も多いと思うけど、実際はそうではない場合もあって、かけた時間、その疲労感がどどーっと増しました。こういうことは一度ではなく、数回あったので、先が予測できない、前が見えない感覚になり、言語面での遅れに加えて、空気が読めないこともつらかったです。

それから上に書いたことだけど、数年前に参加したときは、小さな声の人にもっと大きな声でというアドバイスももちろん少しはあったけど、逆にそのときは、大きすぎる人にもっと聞きあってとか、和声面でこの機能の音は大きく歌いすぎたらいけないとか、そういうバランスの整え方もあって、いつも大きな声の人に合わせるということはなかったんだけど、今回に関しては、どちらかというと、そちら側に合わせるように言われることが多くて、「もっと大きくしっかり歌って!」と言われるのはいつも私のような気がして、日程が進むにしたがって、その言葉が出てきただけで、涙がこぼれそうになるという精神的な反応になってしまいました。人間、ほんま弱いですねー。

今回、古楽コンサートでは、自分のグループからでなく他のグループから声が会いそうな人を誘ってパーセルの曲をデュエットしたのだけど、全日程の中でも一番のびのび歌えた本番だったかなと思います。なぜなら「無理する必要がなかったから」彼女と私の声は、音量的にも音質的にも共通点があって、自然に寄り添ってハモりあうことができるんですね。声が合うと自然に響きあって、音量も自然に出てくるというか、不思議な感覚で、というか、そう、こういうのが好きやねんなーって思えました。声の相性も大切だし、互いに聞きあって、音質を揃えようとする営み、発声や発音面でのいとなみって本当に大切なんやなーと改めて実感しました。


・逆にこれは一度きりやろーっと思ってたらそうでなかった事例(^oo^;)

私のグループは強者ぞろいで、どちらかというと、たくさんのパートに分かれた曲をやることが多いのですが、ある朝、12人の私たちメンバー全員で、4パートしか分かれていない曲を、続けて3曲譜読みしました。テンポも結構速い、現代風の讃美歌みたいな曲で、リズムもノリが良くて気持ちいい曲でした。メンバーの一人が持ち込んだ楽譜で、ええ曲やねー、とはなりましたが、朝一番に読んだこの三曲、私の中では、遊びというかウォームアップ代わりというか、そんな感じなんかなと予測しました。で、私は歌えたかといえば、音は難しくないから、その点では「歌えた」んだけど、なにせ英語の歌詞が全然追いつきません。ラララーとかそんなレベルでごまかしながら、みんなにやっとついていったという感じです。でも、これをセミナーやコンサートに持っていくことはないやろ、と自分で勝手に予測していたら。。。。。

翌日になって、昨日やった中から、あの曲よかったから、もう一回練習しようとなったのですー!えーーっ!他のもっと難しい曲とか、自分が一人で1パートの曲とか前日からの休憩時間に自主練したけど、この曲は全然予測してなかったやんっ。んじゃ、本番でやるとして、もっと言葉を強調して、テンポもよくして、こんな風に、とみんながどんどん歌いすすめ、話し合いも進めるなか、私は完全に孤立、取り残されてしまいました。涙がどんどん出てきて、止まらなくなってしまい、仕方なく、トイレへ。気持ちを取り直してなんとか戻ったけど、すごく落ち込みました。落ち込んだ、と同時に、少しだけ腹が立ちました。前日の3曲からこの曲を続けるって、やるならやると事前に教えてほしかったなーと。私にとって英語の歌詞、しかもテンポが速い曲は、余分に時間をとって練習しなければできないわけで、それを誰一人としてわかってくれていないんだなって。そう、私自身がもっと主張してできないというべきなのかもしれないけど、このころになると、できないできないと主張して、みんなの貴重な時間を止めるのが、そのこと自体が情けなくて、できなくなっていたのです。

私以外のメンバーがさらさらさらーってその曲を気持ちよく歌っているのが、トイレから戻ってきたら聞こえてきて、あー、このグループって私さえいなかったら、もっといろんな曲がたくさんできて、その方がいいんちゃうのん、とかネガティブな気持ちが出てきてしまいました。このあたり、本当に気持ちの持ちようが難しかったです。

その後、この曲に関しては、コンサートでやるのだと確認し、メンバーに言葉が難しいと告白して、自主練もしたうえで、個人的に発音を見てもらったりして、本番はなんとか乗り切りました。

ある時、言葉が追いつかなくて、情けない、悲しい、もう少しどの曲をやるかわかっていたらフォーカスをその曲にあてて練習しておけるのに。。。。みたいなことをあるメンバーに話したときです。

「ナオコ、無理なときは、ハミングでもラララーでもいいのよ、そんな風にあなたが歌ってても、誰も気にしないわよ」と言ってくれました。もちろんこれは、思いやりの気持ちで、無理しなくていいのよって言ってくれているんです。でも、私にとっては、それは悲しい言葉に響きました。「もちろん私一人がラララーって歌っても誰も気にしないかもしれない。でも、私の達成感はどうなるの?自分だけ言葉がつけられない、英語を学びにきていて、音楽を学びにきていて、歌にとっての音楽は言葉ももちろん含んだもので、その大切な要素が欠けている音楽しかできない自分のままでいて、それでいいって思えない」とそう答えました。

英語がネイティブな人たちと英語の歌をうたうときが、とにかく難しかったです。
いきなり振り付けをつけて歌ってみようとなった時もありました。私にとって、譜読みして、早口の英語の歌詞をつけて、そのうえで、歩いたり回ったりの指示を耳から聞いて、という作業は、マヂで気持ちがバラバラになっておかしくなりそうでした(^oo^;)やめてーーーって叫びたくなったぐらいです。でも、他の人たちにとったら、英語が歌詞だと、言葉の問題はないわけで、すすすっと行くのは当たり前ともいえます。

対して、ロシア語やフランス語だったら、ゆっくり発音をしてみたりという時間をとってくれるわけです。あるいは、メリスマといって、同じ母音でどんどん音が動いていくバッハの音楽のような場合は、譜読みの能力だけの問題になるので、私にとってはみんなと同じでいられる数少ない機会です。今回はそういう曲はほとんどなかったけど。

ある日の朝のストレッチと発声練習の時間。
発声担当の指導メンバーが、使ったのが、なんとアメリカ国歌!
アメリカ国歌を歌いながら、発音をもっとハッキリと、声をしっかりと、と何度も何度も歌っていきます。後半のもう終わりかけで、では何か違う曲を。。。。と今度は有名なミュージカルナンバーで、やはり英語の曲(^oo^;)
発声パターンとかはナシ。みんなが楽しそうに生き生きと国歌をうたってる間、私はステージ後ろの椅子に座って、うらめしそうに眺めるのみでした。今になって思い返してみると、こんなしょうもないことで泣いたり落ち込んだりしなくても、と思うのですが、とにかく毎日忙しく、神経使いまくりで、敏感になって疲れているから、どんな小さなネガティブにも体が強く強く反応してしまって涙が出てくるんですよねー。

朝の大切な発声の時間、私は一声も出せずに終わってしまいました。声が温まらなかったということよりも、やっぱり「置き去りになった」「ついていけなかった」という気持ちの方が強くて、その日の午前中いっぱいぐらいは、立ち直るのにかかりましたねー。その指導された方に何も悪気はなかったことは確かだと思います。でも、アメリカからの参加者のみ受け付けるのではなく、こうやって外国からの参加者も受け付けるのなら、少しは配慮があってもいいんちゃうのん?と思った私は間違ってるのかなー。たとえば最低でも、前日とかに「ナオコ、明日、ウォームアップでアメリカ国歌を歌ってみようと思ってるんだ。ちょっと歌詞を見ておいてくれる?」と一言いってくれていたら、まったく違うことになっていたと思うんですね。あー、これを機会にアメリカ国歌の歌詞が覚えられてラッキー!アメリカでワークショップを受けた思い出になるわーって。

ほんと、ちょっとしたことで人間の気持ちって前向きにも後ろ向きにもなるって話ですな。
こういうことって、自分が指導する側になったときに、気を付けなければいけないことでもありますね。

言葉の問題でいうと、英語以外の言葉で歌うとき、たとえばイタリア語やフランス語ロシア語などのとき、訳を説明する場合も、もちろん英語でなわけです。しかもめちゃ早くペラペラーって。それで意味がつかめるところまで私の英語能力は高くなくて、いつも意味が曖昧なまま歌ってしまう、それを克服するには、自分で別にネットとかで意味を調べるしかないんだけど、そういう時間がなかなか持てないぐらい忙しい、これもありましたねー。

要するに、まだまだな自分を痛感したってことか(^oo^;)

涙を流していたのは、私だけでなく、他のメンバーでも泣いていた人はいました。
何がどうというのは、人のことなので、あまり詳しく書きたくないけど、パーソナリティのぶつかりあいとかそういうのが多かったかな。

ある人にとっては、曲の練習を進めるにあたって、話し合いながら、こうしていく、ああしていくというのが大切だと思い、別の人にとっては、話ばかりに時間をとるのではなく、もっと歌う時間を多くすることこそここに参加している意味があるのだと思う。

ある曲の楽譜を与えられて読んでいると、今は便利だからネット上で別の版の楽譜を探してくる人がいて、それを見比べて、ここが違う、あそこが違う、それはどう処理するのか、こちらの方が正しいと思う、歌いやすいと思うと、よかれと思って意見を述べる。でもみんなが持ってる楽譜と違うわけだから、それを採用しようとすると、みんなの楽譜を書き換えることになって、時間をとる。。。。それが一度きりだといいけど、何度もとなると、メンバーの中にイライラ感が募ってきたり。

基本的に鍵盤で音をとるという作業は譜読みの中ではなくて、楽譜を見て、自分のパートを歌う。で、最初はうまく歌えない人、音がとれない人がいるとしても、基本、何度かは放置。。。というか、それぞれがしっかりした音楽家なのだからというリスペクトのもと、繰り返すうちの自己修正するやろというやり方がここの流儀。初めて参加した人にとっては、このやり方に慣れない場合も多くて、何度もうまくいかないのに、鍵盤で音をとらないのかとか、何度も繰り返すうちに声が疲れるやろとか、テンポが会わないと、私が振りましょうか?とかなってくる。で、誰かがよかれと思って振り始めると、それをまたうっとおしいと思う人も出てくるわけです。うちのグループの人たちは普段の生活では、多くの人が指揮者であったりリーダーであったりするわけで、それぞれが仕切りだすと、収拾がつかなくなる。リーダーばかりが集まるというこのグループならではの苦労かもしれないですね。

よい音楽、よい演奏というのには、いろんな要素があって、ハーモニーが美しい、声質がそろっている、あるいは逆に個性が豊かなんだけど一つの音楽になっている、リズム感が気持ちいい、その曲の時代にあったスタイルになっている、ピッチが一定であること、言葉がよく伝わること、母音の形がそろっていること、あげだすとキリがないのだけど。

メンバーそれぞれいろんな音楽背景を持った人たちが集まっているわけで、この価値観にも差が出てきます。

クラシックの世界からだけでなく、ジャズを特に好んでいる人、ポップスも好きな人、クラシックの中でも古楽系が専門で、現代曲は苦手な人、いろいろです。

うちのグループには絶対音感を持つ人が何人かいて、だから、最初の音をもらうときにも、ピッチパイプとか楽器は不要で、「Fちょうだいー!」というと、その音が聞こえてくる、という仕組み。

で、そんな人がいて、カルテットとか小アンサンブルを歌っていると、「えー、この曲の後半ぐらいになると、半音まではいかないけど、四半音下がってきているんですね。いや、別に僕はどっちでもいいんですよ。付き合って下がりますから。でも一応言っときます」みたいに言われます。別にいいんですよー、と言われても、あなたはここでこんな風に下がる、別にいいけど、と言われた時点で、気になるやんか(^oo^;)
そっからはずっと、あー私、下がるねんや、下がるねんやー、と気になって気になって、あげようあげようと無理して、さらに下がる、あるいは無理して声がだんだん傷んでくる、という悲しい末路をたどるわけです。メンタルがやられるのですな。こういうことにも、強く立ち向かうためのテクニックは、肉体的なものもだけど、気持ちとしてどうとらえるかというメンタルトレーニングも必要なのかなと思いました。とりあえず下がってる音が引きずりあげるのがいいわけはなく、ハーモニーの点で修正するのか、母音の形が暗いのか、支えが弱くて息が上昇していないのか、さまざまな要因を自分で考えて、何よりもリラックスしてベストな状態で発声できるように、自分自身をもっていってやることもすごく大切。しかし、それが難しい!

母音の形ひとつで、緊張した局面を迎えたこともありました。
誰かが、ここはもっとフォーカスされた母音の形でといったとき、それはどういう意味か?と別のメンバーが食い下がり、しばらくその二人のやり取りで練習が中断したのですね。普段なら、このアドバイスに素直に従うメンバーだけのもとで指導されているんだろうけど、違う背景をもった別のメンバーにとったら、自分はできていないと言われた、指摘されたように感じて、傷ついてしまったのかな。

私だけでなく、声量がないということが、弱点である人にとっては、もう少し大きな声でと言われるだけで、切れてしまう、こんな局面もありました。それは多分、そのことだけが原因なのではなく、日程が進んできて、疲れも進んでいて、さまざまな他の要因で気持ちが疲れていたところに、その言葉がスイッチになったのだと思います。よーわかりますー。

今から思い出してみると、今回が五回目の参加だったんだけど、初めて参加した八年前は、この全日程の間に、どんどん眠れなくなって食べられなくなったんやったなー。夜になって寝ようとしても、今日やった音楽が頭の中をぐるぐる回って、毎日が本番って感じで、脳みそが興奮状態からさめなくて、とにかく寝ようとしてもカッカとして眠れない。考えること、感じることが多すぎて、次はこうしようああしようと思い続けていると、食事を落ち着いて楽しむことができなくて、お腹は空いてるはずなのに、食事が進まない、で、どんどん体力が奪われる、この図式です。

今回、少しは進歩したのは、ある程度眠れたことと、ある程度食べられたこと。これも回数を重ねたからなのかな。少しはサバイバルできたってことかな。

自信満々で歌ってるように見えたあるメンバーがある日の昼休み、涙を流して座り込んでいて、ゆっくり話を聞いてみると、自分の声が逆に大きすぎてみんなを邪魔しているように思われてるんじゃないか、攻撃性があると思われているんじゃないか、自分はそういうつもりはないのに。。。。と批判を一身に背負って苦しんでいた。こんなに優秀な人なのに、こんな苦しみ方もあるんやなって、少し親しみを覚えたし、彼女の苦しみが伝わってきて私もつらくなった。

軽い素敵な声を持ったあるメンバーが、ラフマニノフの曲を歌っていくなかで、ロシアの深い響きを要求されて、無理をしてしまい、少し声を痛めてしまった。日程が進んでいく中で、丸一日歌わずに見学しているだけのときもあって、たぶんだんだん気持ちの面でも落ちていったと思うんだけど、なんとか最終日には間に合って、一緒にコンサートで歌うことができた。気持ちの持って行き方が難しかったと思うけど、私たち他のメンバーにとっても、みんなで歌って終われたことは大きかったので、コンディションを持ち直してくれたことに感謝。

8日間の間に、そんなこんなの大波小波があって、途中で泣きながら出ていく人、怒って出ていく人、声が出なくて歌わない人、議論が伯仲してしまうこと、やる気が失われること、何度練習しても、その曲のその音になると必ず音を外してしまうという悪夢のようなことが続いて、プログラム以外にもそのカルテットのメンバーが集まって何度も練習を重ねたこと。。。。。
食事のとき、ふとすれ違ったメンバーに「私たちのグループ、大丈夫かな?演奏のことはもちろん心配ないけど、グループとして、一つの集まりとして、大丈夫かな?」と持ち掛け、30分ぐらいそのまま話し込んだこと、そして、そんな小さな営み一つ一つが、たぶん機能して、実って、ファイナルコンサートでは、12人のメンバーがまっすぐ互いの顔を見つめあって、指揮者がいない、さんはいっ!とかいうきっかけも何もない中、すーーっと息を一緒に吸うことで、曲を始めるあのゾクゾクとする瞬間を共有できたこと、曲のクライマックスに向かって、みんなのブレスがどんどん深くなって、みんなの声が響きあって、ホールの天井に響いて返ってくるのを感じたこと。。。。。

ファイナルコンサートのあと、そのままステージ上に残ったメンバーが、互いにハグしあい、涙を流しあって、互いをたたえあうのだけど、何人かのメンバーと「きっとこの期間私たちが体験した、葛藤や苦しみは、必要だったこと、用意されたことなのかもしれないね。だからこそ、最後の演奏が意味深く、心に深く刻まれるものになったんだよね」と言い合いました。

すごくすごく苦しかったり、悲しかったり、落ち込んだりしたことはあるけど、それと同じぐらい、楽しかったり、幸せだったり、多くを学んだり、自分の進歩も感じた、大切な大切なワークショップの体験になりました。

次回またいつ参加できるかはわからないけど、次回があったら、もっと技術的にも肉体的にも精神的にも、成熟した進歩した自分でありたい、だから、次にいけるまでの間、しっかり自分で学び続けなければ、と決意を新たにしているぶたこなのでありますー。

ワークショップに関しては、プログラム内での活動以外に、銭湯みたいなお風呂に有志女性何人かで出かけたり、他にもいろんなことがあったから、また追々書くかもしれないけど、一応、今回で一区切りとしますー。

NYでの思い出はまだまだ続くかもしれないけど。
そうや、ダイナのこと、また書きたいな。
また時間があるときに(*^oo^*)
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# by butakotanaka | 2016-07-18 08:00 | 日常生活 | Comments(0)


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