唱歌を歌う集いをお手伝い(^oo^)

今日は、住んでいる地域にある司馬遼太郎記念館というところで、「美しい唱歌を歌おう」というイベントのお手伝いをしてきました。

アメリカに出発するほんの数日前に依頼を受け、出発前にはほとんど準備ができなかったので、間に合うかどうかかなり不安だったのですが、本番はとても楽しい時間になり、おかげさまでどうやら好評でもあったようで、よかったですー!

このイベントを依頼されたきっかけは、いつも指導させていただいているシルバーコーラス。数年前、コーラスの初代団長さんが亡くなり、その方が司馬さんの関係者でもあったということで、館長さんの奥様が葬儀に来ておられて、葬儀で私たちコーラスが捧げた歌を聴いてくださったという出来事がありました。そして、その館長さんの奥様という方が、私たちがその昔参加していたカペラ・ノーバという合唱団で一緒に歌っていた仲間という偶然!年賀状でのお付き合いは続いていたのですが、実際にお会いしたのはその時がもう何十年ぶりとか。それからまた数年の月日がながれ、今回の依頼を受けたわけです。

記念館でこんなイベントを催されるのは今回が初めてとのことで、お互いに手探りでさまざまなことを決めていきます。

版画家の田主誠先生という、童謡唱歌を研究されて、各地で唱歌を楽しむ集いを開催されている方を招いて解説していただき、解説いただいた曲を順に私の指揮とピアニストさんの伴奏で歌っていくというもの。

先生から正式な歌のリスト15曲が届いたのは先週帰国後のこと。出発前に大体こんなラインナップでと送っていただいたものと少しだけ変更があり、とにかくその曲の伴奏譜をそろえるのに一苦労。我が家にない曲は、週末、大きな楽譜店に出向いて探索したりもして。ピアニストさんとの打ち合わせは今週の火曜。ランチしながら、用意した各曲数種の楽譜から、伴奏のアレンジの美しさや歌いやすさ、それから音域の高低による歌いやすさなどを検討して決めて行きます。

田主先生やスタッフとの打ち合わせはその翌日の水曜。記念館の中にお邪魔するのは初めてでその美しさ、落ち着きに感動。スタッフの方が誠実に準備をすすめてくださっていることも心強かったし、何より、初めてお会いした田主先生のお人柄が少年のように純朴で、楽しくて、時々脱線するそのお話しぶりが、本当に唱歌を愛して、それを作り出した作曲家や作詞家に尊敬、感謝の気持ちがあって研究を積み重ねてこられたのだなーと感じ入りました。

先生に気持よくお話ししていただきつつも、15曲という量の曲を十分に味わって参加者の皆さんに歌っていただきつつ、そしていくつかの曲は先生のリクエストによって二部合唱に挑戦したりしつつ(^oo^;)、時間内にしっかり終わる!このミッションのハードルはとても高く思えました。でも、しかし、やるしかないのだ!

時間割を考えて、どこでどうやって調整するかシュミレーションしたりして、楽譜を使いやすいように順に貼り付け、前奏、間奏、後奏を考えて、今日を迎えました。

会場は150が満席で、打ち合わせの時点では80人余りの申し込みがあったとのことで、それでもたくさんの方々が来られるんだなーと驚いていたら、なんと今日は140人もの方が来てくださいました。ほぼ満員です。

シルバーコーラスやライゼコールからも何人かの方々が来て下さり、歌声がとても力強いものになり、その歌いなれた人たちの歌声に包まれて、初めて参加された皆さんも、いやきっとその中にもコーラスがお好きな方、唱歌を歌いなれた方がきっと多くおられたとも思うのだけど、とにかく素晴らしい歌声でした。二部合唱も期待以上にうまくいったし、何より私のつたない指揮に、本当にぴったりついてきてくださって、ピアニストの先生のピアノもとても美しくて、そしてその歌声を聴きながら体を揺らす田主先生の表情が心から幸せそうで、私も、指揮をしながら、歌う皆さんの顔や顔、田主先生の顔、そしてスタッフの皆さんも楽しんでくださっているのを見ていて、心から幸せな気持ちになりました。

作家の記念館にホールがあって、ピアノがあることが素敵で、そこで先生がお好きだった菜の花という歌詞から始まる朧月夜でイベントの幕が開き、最後の故郷にいたるまで、会場全体が美しい唱歌を楽しむ空気に包まれていて、イベントの後も、今日1日幸せの余韻に包まれて過ごすことができました。

とても好評だったということで、またやろうという話も早くも出ていてうれしいことです。実現するといいなと思います。

いつもシルバーコーラスではどちらかというと歌いなれた唱歌よりも、もう少し新しい歌、難しい歌に挑戦してして、少ない曲に長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり練習を重ねていくスタイルですが、たまには、こんな集いも素敵だなと思いました。

ただ歌っていくだけではなく、その一つ一つの歌が作られた背景をうかがい、作った人たちの人生のお話しをうかがいながら歌っていくというスタイルも、とても学びになったし、味わい深いものなりました。

こんな機会を与えてくださった司馬遼太郎記念館の皆さんに、素晴らしい解説をしてくださった田主誠先生に、お手伝いしてくださったピアニストの長尾有子さんに、そして、今日参加してくださったすべての皆さんに感謝です。

また明日から、がんばろう!
[PR]
# by butakotanaka | 2016-07-23 22:44 | 日常生活 | Comments(0)

積み重ねるということ~英語学習~

タイトルを英語学習としたけど、私にとって、英語学習を積み重ねるということと、外国にいる友人たちとの友情を積み重ねるということが、ほぼ同義だなーと思う。
そういう点で、英語学習の目的だったりきっかけだったりが、世の中の多くの人と違っていたりもするのかな。

仕事で必要だったわけでもなくて、テストでいい成績を得たいわけでもない。
元々旅行に行ってその先でその土地の人たちと交流することが大好きだったけど、ふとしたきっかけで、しかもけっこうネガティブなきっかけで英語学習まぢめにやりだして、一度きりだと思ったその出来事が今まで続いてるわけやもんなー。

今でも覚えてるけっこう悲惨でアホらしいともいえる理由(^oo^;)
2001年のこと、旦那様のお仕事先の景気が悪くなり、次の春から、それでなくても多くはなかったお給料がひと月につき10万円減るということが決定。私はそのずいぶん前からフルタイムの仕事は辞めていて、そのころはレッスンで教えるということもなかったし、音楽の仕事はほぼやってなくて、というか音楽活動自体もお休みしていた時期。その後再開とも思ってなかった。なんというか、若いころかなり濃密にやっていた合唱だったり、合唱の伴奏だったり、ピアノを習うことだったりに、音楽そのものもだけど、人間関係とかいろんなことに疲れて夫婦して音楽から遠ざかっていた時期。

春から生活に困るのねって悲惨な気持になり、きっと私はまたフルタイムで必死に働くべきなんだわと覚悟、で、普通なら節約に走るところ、逆に行動にでる、ここが私のアホなところというか(^oo^;)
フルタイムで働く前に、まとめて時間がとれる最後のチャンスかもしれないから、そんなにお金がかからない範囲で、夢をかなえたい、その夢は、幼いころから大好きだったアメリカのテレビドラマ、大草原の小さな家みたいに、外国の家にホームステイして、英語を学んで、あこがれの暮らしを経験してみたいねんってもの。夢やってんってことで、色々調べて、飛行機代、英語学校代、ホームステイに食事代を含んで、4週間で33万円で行けるということが分かり、たこぶを説得して、4月になる直前の3月に4週間、カナダのバンクーバーに旅立ったのでありました。

その時は、ほんまたいして話せなくて、学校でのクラスも真ん中の下ぐらいで、それでもやっぱり「音」に興味があって、学校の授業以外に個人レッスンを申し込んで、発音の指導を特に受けていたんやったなー。あの頃は声楽のレッスンとかお休みしていたんだけど、外国語を話す人たちって、どんな風に口の中とかあごとかを使って話してるのかな、どうやったらあんな音が出るのかなって、そのことに特に興味があった。あの頃から、意味を調べるだけでなくて、発音記号を調べるためだけにも辞書をこまめにひいてたなー。

ホームステイ先でも、特に子供が話す英語はお手あげぐらいわからなくて、苦労しまくり。失敗談もありありで、それでも、4週間が終わったとき、学校からは特によくがんばりましたというオナラブルメンションという特別なお褒めの言葉つきの修了書をもらって、涙流して喜んだんやったなー。自分は優秀からはかけ離れているといつも落ち込んでたから。優秀だったわけではないけど、よくがんばりましたと認めてもらっただけでも力になった。帰国するまでにカナダの本屋で、先生推薦の文法書、発音書を買い込んで、それっきりで終わるはずだった夢の学びの旅だったのに、あきらめきれず、もっと学びたい、もう一度行きたい、次に行くときは、もっと進歩してから行きたい、と、そこから毎日、1日に1ページずつ買ってきたテキストを自主学習し続けて一年やり遂げたのであった。

で、フルタイムの仕事はどうしてん?というところが間抜けな話で(^oo^;)
結局、贅沢しなくて、少し節約して暮らせば、たこぶの収入でもやっていけることが分かり、私はフルタイムではなく、昔の職場に呼ばれて、パートタイムで働いたりして、それで生活はなんとかなったのでした。

限りなく理解があり、こんなアホな私の生き方を面白いなー(^◎^)と楽しんでくれる素晴らしい旦那様のおかげで、その後もできる範囲で、お金を貯めては、英語を学び続ける日々。カナダの1年後には、きっちりニュージーランドに3か月。なぜニュージーランドか。なぜかというとそのころのニュージーランドドルは、50円以下で、何をするにもアメリカの半額ぐらいだったのだ。3か月間、飛行機代と学校代とホームステイ代、1日二食も込みで、48万円やったのを今でも覚えてる。前の年にバイトしたお金で間に合った。今から考えたら、安かったなー。いや、大金ですよ、もちろん。でもあんな遠いところまで飛行機乗って、学校行って、寝泊りして、と思ったら、旅行に行くのと比べるとかなり安いと言えます。

で、私の場合、その外国に行かない日本にいる間、そのころは国内の英語学校には通ってなかった。それにかけるお金がもったいないと思ったから。

そのあとは、3年おいて2005年にNYに3か月。これもホームステイと英語学校。このときに行先をNYに決めたのは、前にも書いたけど、ここから流れるラジオ番組との縁。ファンになって、日本で聴くようになってメールを送って、交流が始まって、日本から放送に電話で出て、その中で次の勉強する先を探してると話したら、ホストから、NYはどない?とふと言われ、ほんまや、このラジオが流れてる、いつもタクシーの運転手とかいろんな人が電話かけていて生き生きと自分の思いを話してるのを聴いてた、この街に行ってみたい!って思ったんやったなー。

その3か月の間に、ラジオ番組のイベントでケイラという友人ができて、英語学校のクラス分け面接のときに担当した黒人の先生がクラシック音楽好きで話が合って、その先生がすすめてくれたのが、その後通うことになるブルックリンの教会で、そこで親友になったリサに出会ったんやったなー。リサは、その3か月の途中で、ホームステイ先でトラブルになって追い出されそうになったとき、救い出してくれて自分の家に私を住ませてくれて、その3年後に老人ホームでボランティアしたいねんっ、大決心の告白したときに、私にまかしとき、探したる!って請け負ってくれて、ほんまに私が後にボランティアすることになるホームを探してくれて、1年滞在のときは身元引受人になってくれて素敵な推薦状も書いてくれたんやった。

3か月の滞在の途中から通うようになった教会の礼拝で、ある日隣に座ってたのがジャッキーで、私の歌声聞いて、「教会の聖歌隊に入りなさい。紹介してあげるから」と聖歌隊のパムに紹介してくれて、そのほかにも「ルネサンスの音楽に興味があるんやったら、私のパートナーのマージが毎週金曜にやってるグループがあるからそこに行ってみたら?」と紹介してくれたんやった。そして、毎週通うようになった金曜コーラスに場所を提供していたリチャードとリタの夫婦が、その後、1年滞在したときに、ウェスタンウィンドのワークショップに参加すべきや、車で連れていったるから、費用はかかるけど、価値があるから参加しなさい!と促してくれたんやった。

英語学校に通うような滞在はもう卒業と自分で決めて、何かええことしたい、誰かの役に立ちたいし、アメリカのお年寄りの人たちの話をたくさん聞きたいと、とうとう一年のボランティアでの滞在が実現することになったわけやけど、3か月滞在したときに作った友人関係が、なくならずそのまま継続したばかりか、深まったり、またそのまた友人までつながったりして、ホームでの入居者の人たち、牧師をしていて教会のメンバーでもあるイェバ、その旦那さんで音楽家のトーグ、いろんな人たちと新しく友達になった。

2008年の1年の滞在の後は、3年前に1か月、そして今回1か月と長期ではないけど、訪ねることになって、音楽の学びはもちろんなんだけど、こうやって、継続したつながりがある友人がいる、次に行ったときにもっと本音で、もっと微妙な感情まで話したい、知りたい、分かりたい、表現したい、そんな思いがあるからこそ、日本でも毎日は英語はなさないけど、英語に興味を持ち続けるし、どうやったらもっとすんなり話せるのかな、どうやったら発音よくなるのかなって考え続けてるんやろなー。モチベーションを保つのが難しいって、何事にもよく言われることやけど、それはほんまやと思う。確かに難しい。でも、私はすごく恵まれていて、こうやって行く機会があるということ、行くことを許してくれる家族がいるということ、向こうでも受け入れてくれる、待っていてくれる友達がいるということ、お金をかけずに滞在できるように住ませてくれる人がいたり、協力してくれる人がいてくれて。

今回も何人かの人たちから、あなたはもうただの旅人ではないのね、いつも何かプロジェクトをもって、やるべきこと、知りたいことをもってやってくるのね、こんなに継続して、仕事や何か利益のためではなく、英語を学び続け、自分たちのことを知りたいと思い続けてくれて、そして理解しようとして、実際に理解してくれて、という日本人に会ったことがない、と言われました。珍しいと(^oo^;)
もうあなたはタダの日本人じゃないのよとも言われた(^oo^;)
2つの国に片足ずつを置いて、両方の国を理解しつつ、それでもしっかり自分自身は日本人ではある、という面白い人だと。なんというか、アメリカの友人たちから見て、外国人、とも言えないし、アメリカ人であるわけでもないと。でも理解してくれているという安心感があるから、誤解を恐れずに、色々な質問ができるし、色々な話もできると。

これまでの積み重ねがあるから、だからこそ得られた、友人たちからのこんなコメントだなと感じました。音楽にしても、英語にしても、人との縁にしても、積み重ねることの大切さ、今回の旅では改めて、本当に強く強く感じました。

そして、もうこれは、行きたいから行く、とかそういうレベルではなくて、切ってはいけない縁ができてしまったんだなってこと。親戚がいるようなもんで、何年か間は空いてしまったとしても、これからも行くべき場所、会うべき人たち、会っておきたい人たちがいる場所になったんだなってこと。お金がかかるからとか、しんどいからとか、そういう理由ではあきらめられない、あきらめてはいけない、大切な友情が育った場所なのだということ。それを実感しました。

こんな風に積み重ねられたこと、自分ひとりの思いでは成し得なかったことだから、どれか一つではなくて、可能にしてくれたたくさんのことに感謝の気持ちしかないし、これからも誠意をもってこの大切な関係を続けていくことが、その一つ一つのことへの恩返しになるのかなと信じて、コツコツまたがんばろっと。

いつものごとくまとまらないけど、今夜のとりとめない思いでしたー。
暑いですー。皆様も夏バテにはお気をつけて。
おやすみなさい(^oo^)/~~~
[PR]
# by butakotanaka | 2016-07-21 21:58 | 日常生活 | Comments(2)

3年ぶりNY2016日記 ワークショップのこと4

帰国してから、あっという間に1週間がたちました。
記憶がどんどん薄れていきますー(^oo^;)ってことで、あの時の気持ち、書いておかなければ。


困ったこと、混乱したこと、難しかったこと、自分のことや周りのことも含めて、思い出す限り書いていきたいと思います。

・どの曲が一度きりで、どの曲が継続するのかわからない

これ、ほんまに難しかったです。
おそらく、譜読みがゆっくりなグループの場合は、譜読みした曲は、ほぼ本番でもやる、という流れになると思うのですが、私が所属したグループは譜読みが早くて、1日でできてしまうこともあるぐらいなので、とにかく読んだ曲が、これからもやり続けるのか、これで終わりーなのかが、わからないのです。

こんなことがありました。
ある日のセミナーで歌った曲、特に私に対してのアドバイスを受けました。10人で歌っていて、私のパートだけ音が動く場面、聞こえないからもう少し聞こえるように歌いなさいということでした。その日の夜、寮に戻って一生懸命曲を分析し、自分の歌い方もよく検討してみたけど、楽譜を見れば見るほど、9人対1人では、どう対応しても私ががんばるだけでは無理だと思いました。時間をかけて分析して、翌日、メンバーの一人に、「あのさ、昨日のあの私のパートが聞こえないって曲なんだけど、一生懸命曲を分析して考えてみたけど、みんなにも協力してもらって、聞こえるようになんとかできないかなー」と持ち掛けると、「あー、あの曲ね、ボクも、あそこはナオコ一人で動くところだから、他のパートがもう少し抑えた方がいいんじゃないかって提案はしたんだけど、みんなが、いや、ナオコがもっとしっかり歌えば済むことだと、とりあってくれなかったんだよ。そもそもさ、あの曲、これから先もう歌わないかもしれないよ。そのあたりもボクにもわからないんだよね」という返事。

これには二重の意味で、ガクーっと落ち込みました。一人のためにみんなが声を少し抑える聞こえるようにするという感覚がなくて、その言われた一人ががんばればいいと思ってる人が多いということ。少し冷たい世界なのかなと感じてしまいました。きっと冷たいということだけでなく、誤解もあるのかもしれないけど。それと、あんなに時間をかけて分析したり考えたりしたけど、その曲をもうこれから先やらないのかよーってこと(^oo^;)実際その曲を練習することも、コンサートにのせることも、その先はありませんでした。

何度も参加している人なら、そういうカンがきくのかもしれないけど、セミナーでアドバイスをもらって、言葉のイントネーションをもう少しがんばりなさいとか、音程に気をつけなさいとか、並び方を変えてみなさいとか、いろいろ受けて、そうしたら、これから先もやるのかなと思う人も多いと思うけど、実際はそうではない場合もあって、かけた時間、その疲労感がどどーっと増しました。こういうことは一度ではなく、数回あったので、先が予測できない、前が見えない感覚になり、言語面での遅れに加えて、空気が読めないこともつらかったです。

それから上に書いたことだけど、数年前に参加したときは、小さな声の人にもっと大きな声でというアドバイスももちろん少しはあったけど、逆にそのときは、大きすぎる人にもっと聞きあってとか、和声面でこの機能の音は大きく歌いすぎたらいけないとか、そういうバランスの整え方もあって、いつも大きな声の人に合わせるということはなかったんだけど、今回に関しては、どちらかというと、そちら側に合わせるように言われることが多くて、「もっと大きくしっかり歌って!」と言われるのはいつも私のような気がして、日程が進むにしたがって、その言葉が出てきただけで、涙がこぼれそうになるという精神的な反応になってしまいました。人間、ほんま弱いですねー。

今回、古楽コンサートでは、自分のグループからでなく他のグループから声が会いそうな人を誘ってパーセルの曲をデュエットしたのだけど、全日程の中でも一番のびのび歌えた本番だったかなと思います。なぜなら「無理する必要がなかったから」彼女と私の声は、音量的にも音質的にも共通点があって、自然に寄り添ってハモりあうことができるんですね。声が合うと自然に響きあって、音量も自然に出てくるというか、不思議な感覚で、というか、そう、こういうのが好きやねんなーって思えました。声の相性も大切だし、互いに聞きあって、音質を揃えようとする営み、発声や発音面でのいとなみって本当に大切なんやなーと改めて実感しました。


・逆にこれは一度きりやろーっと思ってたらそうでなかった事例(^oo^;)

私のグループは強者ぞろいで、どちらかというと、たくさんのパートに分かれた曲をやることが多いのですが、ある朝、12人の私たちメンバー全員で、4パートしか分かれていない曲を、続けて3曲譜読みしました。テンポも結構速い、現代風の讃美歌みたいな曲で、リズムもノリが良くて気持ちいい曲でした。メンバーの一人が持ち込んだ楽譜で、ええ曲やねー、とはなりましたが、朝一番に読んだこの三曲、私の中では、遊びというかウォームアップ代わりというか、そんな感じなんかなと予測しました。で、私は歌えたかといえば、音は難しくないから、その点では「歌えた」んだけど、なにせ英語の歌詞が全然追いつきません。ラララーとかそんなレベルでごまかしながら、みんなにやっとついていったという感じです。でも、これをセミナーやコンサートに持っていくことはないやろ、と自分で勝手に予測していたら。。。。。

翌日になって、昨日やった中から、あの曲よかったから、もう一回練習しようとなったのですー!えーーっ!他のもっと難しい曲とか、自分が一人で1パートの曲とか前日からの休憩時間に自主練したけど、この曲は全然予測してなかったやんっ。んじゃ、本番でやるとして、もっと言葉を強調して、テンポもよくして、こんな風に、とみんながどんどん歌いすすめ、話し合いも進めるなか、私は完全に孤立、取り残されてしまいました。涙がどんどん出てきて、止まらなくなってしまい、仕方なく、トイレへ。気持ちを取り直してなんとか戻ったけど、すごく落ち込みました。落ち込んだ、と同時に、少しだけ腹が立ちました。前日の3曲からこの曲を続けるって、やるならやると事前に教えてほしかったなーと。私にとって英語の歌詞、しかもテンポが速い曲は、余分に時間をとって練習しなければできないわけで、それを誰一人としてわかってくれていないんだなって。そう、私自身がもっと主張してできないというべきなのかもしれないけど、このころになると、できないできないと主張して、みんなの貴重な時間を止めるのが、そのこと自体が情けなくて、できなくなっていたのです。

私以外のメンバーがさらさらさらーってその曲を気持ちよく歌っているのが、トイレから戻ってきたら聞こえてきて、あー、このグループって私さえいなかったら、もっといろんな曲がたくさんできて、その方がいいんちゃうのん、とかネガティブな気持ちが出てきてしまいました。このあたり、本当に気持ちの持ちようが難しかったです。

その後、この曲に関しては、コンサートでやるのだと確認し、メンバーに言葉が難しいと告白して、自主練もしたうえで、個人的に発音を見てもらったりして、本番はなんとか乗り切りました。

ある時、言葉が追いつかなくて、情けない、悲しい、もう少しどの曲をやるかわかっていたらフォーカスをその曲にあてて練習しておけるのに。。。。みたいなことをあるメンバーに話したときです。

「ナオコ、無理なときは、ハミングでもラララーでもいいのよ、そんな風にあなたが歌ってても、誰も気にしないわよ」と言ってくれました。もちろんこれは、思いやりの気持ちで、無理しなくていいのよって言ってくれているんです。でも、私にとっては、それは悲しい言葉に響きました。「もちろん私一人がラララーって歌っても誰も気にしないかもしれない。でも、私の達成感はどうなるの?自分だけ言葉がつけられない、英語を学びにきていて、音楽を学びにきていて、歌にとっての音楽は言葉ももちろん含んだもので、その大切な要素が欠けている音楽しかできない自分のままでいて、それでいいって思えない」とそう答えました。

英語がネイティブな人たちと英語の歌をうたうときが、とにかく難しかったです。
いきなり振り付けをつけて歌ってみようとなった時もありました。私にとって、譜読みして、早口の英語の歌詞をつけて、そのうえで、歩いたり回ったりの指示を耳から聞いて、という作業は、マヂで気持ちがバラバラになっておかしくなりそうでした(^oo^;)やめてーーーって叫びたくなったぐらいです。でも、他の人たちにとったら、英語が歌詞だと、言葉の問題はないわけで、すすすっと行くのは当たり前ともいえます。

対して、ロシア語やフランス語だったら、ゆっくり発音をしてみたりという時間をとってくれるわけです。あるいは、メリスマといって、同じ母音でどんどん音が動いていくバッハの音楽のような場合は、譜読みの能力だけの問題になるので、私にとってはみんなと同じでいられる数少ない機会です。今回はそういう曲はほとんどなかったけど。

ある日の朝のストレッチと発声練習の時間。
発声担当の指導メンバーが、使ったのが、なんとアメリカ国歌!
アメリカ国歌を歌いながら、発音をもっとハッキリと、声をしっかりと、と何度も何度も歌っていきます。後半のもう終わりかけで、では何か違う曲を。。。。と今度は有名なミュージカルナンバーで、やはり英語の曲(^oo^;)
発声パターンとかはナシ。みんなが楽しそうに生き生きと国歌をうたってる間、私はステージ後ろの椅子に座って、うらめしそうに眺めるのみでした。今になって思い返してみると、こんなしょうもないことで泣いたり落ち込んだりしなくても、と思うのですが、とにかく毎日忙しく、神経使いまくりで、敏感になって疲れているから、どんな小さなネガティブにも体が強く強く反応してしまって涙が出てくるんですよねー。

朝の大切な発声の時間、私は一声も出せずに終わってしまいました。声が温まらなかったということよりも、やっぱり「置き去りになった」「ついていけなかった」という気持ちの方が強くて、その日の午前中いっぱいぐらいは、立ち直るのにかかりましたねー。その指導された方に何も悪気はなかったことは確かだと思います。でも、アメリカからの参加者のみ受け付けるのではなく、こうやって外国からの参加者も受け付けるのなら、少しは配慮があってもいいんちゃうのん?と思った私は間違ってるのかなー。たとえば最低でも、前日とかに「ナオコ、明日、ウォームアップでアメリカ国歌を歌ってみようと思ってるんだ。ちょっと歌詞を見ておいてくれる?」と一言いってくれていたら、まったく違うことになっていたと思うんですね。あー、これを機会にアメリカ国歌の歌詞が覚えられてラッキー!アメリカでワークショップを受けた思い出になるわーって。

ほんと、ちょっとしたことで人間の気持ちって前向きにも後ろ向きにもなるって話ですな。
こういうことって、自分が指導する側になったときに、気を付けなければいけないことでもありますね。

言葉の問題でいうと、英語以外の言葉で歌うとき、たとえばイタリア語やフランス語ロシア語などのとき、訳を説明する場合も、もちろん英語でなわけです。しかもめちゃ早くペラペラーって。それで意味がつかめるところまで私の英語能力は高くなくて、いつも意味が曖昧なまま歌ってしまう、それを克服するには、自分で別にネットとかで意味を調べるしかないんだけど、そういう時間がなかなか持てないぐらい忙しい、これもありましたねー。

要するに、まだまだな自分を痛感したってことか(^oo^;)

涙を流していたのは、私だけでなく、他のメンバーでも泣いていた人はいました。
何がどうというのは、人のことなので、あまり詳しく書きたくないけど、パーソナリティのぶつかりあいとかそういうのが多かったかな。

ある人にとっては、曲の練習を進めるにあたって、話し合いながら、こうしていく、ああしていくというのが大切だと思い、別の人にとっては、話ばかりに時間をとるのではなく、もっと歌う時間を多くすることこそここに参加している意味があるのだと思う。

ある曲の楽譜を与えられて読んでいると、今は便利だからネット上で別の版の楽譜を探してくる人がいて、それを見比べて、ここが違う、あそこが違う、それはどう処理するのか、こちらの方が正しいと思う、歌いやすいと思うと、よかれと思って意見を述べる。でもみんなが持ってる楽譜と違うわけだから、それを採用しようとすると、みんなの楽譜を書き換えることになって、時間をとる。。。。それが一度きりだといいけど、何度もとなると、メンバーの中にイライラ感が募ってきたり。

基本的に鍵盤で音をとるという作業は譜読みの中ではなくて、楽譜を見て、自分のパートを歌う。で、最初はうまく歌えない人、音がとれない人がいるとしても、基本、何度かは放置。。。というか、それぞれがしっかりした音楽家なのだからというリスペクトのもと、繰り返すうちの自己修正するやろというやり方がここの流儀。初めて参加した人にとっては、このやり方に慣れない場合も多くて、何度もうまくいかないのに、鍵盤で音をとらないのかとか、何度も繰り返すうちに声が疲れるやろとか、テンポが会わないと、私が振りましょうか?とかなってくる。で、誰かがよかれと思って振り始めると、それをまたうっとおしいと思う人も出てくるわけです。うちのグループの人たちは普段の生活では、多くの人が指揮者であったりリーダーであったりするわけで、それぞれが仕切りだすと、収拾がつかなくなる。リーダーばかりが集まるというこのグループならではの苦労かもしれないですね。

よい音楽、よい演奏というのには、いろんな要素があって、ハーモニーが美しい、声質がそろっている、あるいは逆に個性が豊かなんだけど一つの音楽になっている、リズム感が気持ちいい、その曲の時代にあったスタイルになっている、ピッチが一定であること、言葉がよく伝わること、母音の形がそろっていること、あげだすとキリがないのだけど。

メンバーそれぞれいろんな音楽背景を持った人たちが集まっているわけで、この価値観にも差が出てきます。

クラシックの世界からだけでなく、ジャズを特に好んでいる人、ポップスも好きな人、クラシックの中でも古楽系が専門で、現代曲は苦手な人、いろいろです。

うちのグループには絶対音感を持つ人が何人かいて、だから、最初の音をもらうときにも、ピッチパイプとか楽器は不要で、「Fちょうだいー!」というと、その音が聞こえてくる、という仕組み。

で、そんな人がいて、カルテットとか小アンサンブルを歌っていると、「えー、この曲の後半ぐらいになると、半音まではいかないけど、四半音下がってきているんですね。いや、別に僕はどっちでもいいんですよ。付き合って下がりますから。でも一応言っときます」みたいに言われます。別にいいんですよー、と言われても、あなたはここでこんな風に下がる、別にいいけど、と言われた時点で、気になるやんか(^oo^;)
そっからはずっと、あー私、下がるねんや、下がるねんやー、と気になって気になって、あげようあげようと無理して、さらに下がる、あるいは無理して声がだんだん傷んでくる、という悲しい末路をたどるわけです。メンタルがやられるのですな。こういうことにも、強く立ち向かうためのテクニックは、肉体的なものもだけど、気持ちとしてどうとらえるかというメンタルトレーニングも必要なのかなと思いました。とりあえず下がってる音が引きずりあげるのがいいわけはなく、ハーモニーの点で修正するのか、母音の形が暗いのか、支えが弱くて息が上昇していないのか、さまざまな要因を自分で考えて、何よりもリラックスしてベストな状態で発声できるように、自分自身をもっていってやることもすごく大切。しかし、それが難しい!

母音の形ひとつで、緊張した局面を迎えたこともありました。
誰かが、ここはもっとフォーカスされた母音の形でといったとき、それはどういう意味か?と別のメンバーが食い下がり、しばらくその二人のやり取りで練習が中断したのですね。普段なら、このアドバイスに素直に従うメンバーだけのもとで指導されているんだろうけど、違う背景をもった別のメンバーにとったら、自分はできていないと言われた、指摘されたように感じて、傷ついてしまったのかな。

私だけでなく、声量がないということが、弱点である人にとっては、もう少し大きな声でと言われるだけで、切れてしまう、こんな局面もありました。それは多分、そのことだけが原因なのではなく、日程が進んできて、疲れも進んでいて、さまざまな他の要因で気持ちが疲れていたところに、その言葉がスイッチになったのだと思います。よーわかりますー。

今から思い出してみると、今回が五回目の参加だったんだけど、初めて参加した八年前は、この全日程の間に、どんどん眠れなくなって食べられなくなったんやったなー。夜になって寝ようとしても、今日やった音楽が頭の中をぐるぐる回って、毎日が本番って感じで、脳みそが興奮状態からさめなくて、とにかく寝ようとしてもカッカとして眠れない。考えること、感じることが多すぎて、次はこうしようああしようと思い続けていると、食事を落ち着いて楽しむことができなくて、お腹は空いてるはずなのに、食事が進まない、で、どんどん体力が奪われる、この図式です。

今回、少しは進歩したのは、ある程度眠れたことと、ある程度食べられたこと。これも回数を重ねたからなのかな。少しはサバイバルできたってことかな。

自信満々で歌ってるように見えたあるメンバーがある日の昼休み、涙を流して座り込んでいて、ゆっくり話を聞いてみると、自分の声が逆に大きすぎてみんなを邪魔しているように思われてるんじゃないか、攻撃性があると思われているんじゃないか、自分はそういうつもりはないのに。。。。と批判を一身に背負って苦しんでいた。こんなに優秀な人なのに、こんな苦しみ方もあるんやなって、少し親しみを覚えたし、彼女の苦しみが伝わってきて私もつらくなった。

軽い素敵な声を持ったあるメンバーが、ラフマニノフの曲を歌っていくなかで、ロシアの深い響きを要求されて、無理をしてしまい、少し声を痛めてしまった。日程が進んでいく中で、丸一日歌わずに見学しているだけのときもあって、たぶんだんだん気持ちの面でも落ちていったと思うんだけど、なんとか最終日には間に合って、一緒にコンサートで歌うことができた。気持ちの持って行き方が難しかったと思うけど、私たち他のメンバーにとっても、みんなで歌って終われたことは大きかったので、コンディションを持ち直してくれたことに感謝。

8日間の間に、そんなこんなの大波小波があって、途中で泣きながら出ていく人、怒って出ていく人、声が出なくて歌わない人、議論が伯仲してしまうこと、やる気が失われること、何度練習しても、その曲のその音になると必ず音を外してしまうという悪夢のようなことが続いて、プログラム以外にもそのカルテットのメンバーが集まって何度も練習を重ねたこと。。。。。
食事のとき、ふとすれ違ったメンバーに「私たちのグループ、大丈夫かな?演奏のことはもちろん心配ないけど、グループとして、一つの集まりとして、大丈夫かな?」と持ち掛け、30分ぐらいそのまま話し込んだこと、そして、そんな小さな営み一つ一つが、たぶん機能して、実って、ファイナルコンサートでは、12人のメンバーがまっすぐ互いの顔を見つめあって、指揮者がいない、さんはいっ!とかいうきっかけも何もない中、すーーっと息を一緒に吸うことで、曲を始めるあのゾクゾクとする瞬間を共有できたこと、曲のクライマックスに向かって、みんなのブレスがどんどん深くなって、みんなの声が響きあって、ホールの天井に響いて返ってくるのを感じたこと。。。。。

ファイナルコンサートのあと、そのままステージ上に残ったメンバーが、互いにハグしあい、涙を流しあって、互いをたたえあうのだけど、何人かのメンバーと「きっとこの期間私たちが体験した、葛藤や苦しみは、必要だったこと、用意されたことなのかもしれないね。だからこそ、最後の演奏が意味深く、心に深く刻まれるものになったんだよね」と言い合いました。

すごくすごく苦しかったり、悲しかったり、落ち込んだりしたことはあるけど、それと同じぐらい、楽しかったり、幸せだったり、多くを学んだり、自分の進歩も感じた、大切な大切なワークショップの体験になりました。

次回またいつ参加できるかはわからないけど、次回があったら、もっと技術的にも肉体的にも精神的にも、成熟した進歩した自分でありたい、だから、次にいけるまでの間、しっかり自分で学び続けなければ、と決意を新たにしているぶたこなのでありますー。

ワークショップに関しては、プログラム内での活動以外に、銭湯みたいなお風呂に有志女性何人かで出かけたり、他にもいろんなことがあったから、また追々書くかもしれないけど、一応、今回で一区切りとしますー。

NYでの思い出はまだまだ続くかもしれないけど。
そうや、ダイナのこと、また書きたいな。
また時間があるときに(*^oo^*)
[PR]
# by butakotanaka | 2016-07-18 08:00 | 日常生活 | Comments(0)

3年ぶりNY2016日記 ワークショップのこと3

火曜から土曜までの5日間コースは週末コースを拡大したような感じ。

少しゆったりしているので、もっとたくさんの曲ができるし、課外活動も入ってきます。
進捗状況を発表しあって、指導メンバーたちからアドバイスをもらうセミナーは水曜、木曜、金曜の夜にあります。火曜の夜はセミナーはなく、古楽系のゲスト教員で会場のスミス大学の教授でもあるボブのレクチャーです。ルネサンス期の音楽について毎回テーマをもうけて、たくさんの楽譜を用意してくれて、レクチャーを聞き、写真や資料を見せてもらったりしながら、その作曲家の曲を全員でどんどん歌っていくという形式。大好きな時間です。

課外活動というかオプションとして参加できるのが、古楽コンサートとジャズコンサート。メインの小グループのアンサンブル活動だけで精一杯という人は、この2つのコンサートは聴くだけというのでもOKです。でも、この2つのコンサート、参加すると必ず学ぶもの、得るものがある素晴らしい機会です。

古楽コンサートは、古楽器、弦楽器やチェンバロ、オルガンなどの楽器との共演で、ソロと楽器もあり、歌同士のデュエットやトリオなどもあり。自分でパートナーを決めてのぞむこともできるし、事前に曲を用意して練習してからのぞむ人もいます。私は今回、小グループの中の人ではなく別のグループから声が合いそうな人にお願いしてパーセルの曲をデュエット。これに参加することになると、パートナーと合わせの練習を休憩時間などの合間に持つ必要があって、そのうえで、古楽器の先生たちから数回にわたって指導も受けられます。素晴らしい機会だけど、その分また時間もとられることに。もちろん疲労も増します(^oo^;)エネルギー配分のバランスが難しい。

ジャズコンサートは、バークリー音楽院の教授でもあるゆみこさんのコーチが受けられます。私は今回、日本人であるというメリットを生かして、日本の「小さい秋見つけた」という曲をゆみこさんがアレンジしたものを歌わせてもらいました。カルテットでしたが、他の3人は、日本語が少しだけできる、カナぐらいならなんとか読めるという人たち。漢字になるとそれでもみんな難しくて、面白かったのは、普段のアンサンブルの練習だとアルファベット言語がほとんどだから、いつも余裕がないのは私。でも、このときの練習ばかりは、一番上のグループの人たちばかりでテクニックのレベルはばりばりのはずなのに、歌詞がかなや漢字で書いてあるということで、それにローマ字で読み仮名?をふっているということもあって、みんな歌っている間、楽譜にかじりつきなのですー。要するに余裕がない。私が歌ってる間、何度もアイコンタクトをとろうとしても、誰も見てくれないという怪奇現象が起きました(^oo^;)
私のいつもの苦労がわかったかーーーっ!という面白い体験でした。メンバーの一人からは、「ナオコ、これはすごく面白い体験だったよ。君の苦労がわかったよ。ワークショップで一度はみんな日本語の曲をやってみるべきだと思うなー」と言ってもらえました。イタリア語やフランス語など難しい言語はたくさんあるけど、アルファベットで書いてあるというだけで、英語を話す人たちにとってハードルはぐんと下がるんでしょうね。私にとって、だいぶ勉強してきているとはいえ、まだまだアルファベットで書かれた言語は、読み、理解するのに時間がかかるということ、それは彼らにとっての日本語も同じことなんだとわかった貴重な時間でした。


通常の小グループのアンサンブルのプログラムに対応するだけでも、できない曲を自主練したりとかして大変なのに、今回の私の場合は、古楽コンサートにも出たからその相手との自主練や指導を受ける時間、ジャズの仲間との自主練の時間調整や指導を受ける時間、そして、そのまた合間を縫って少しでも個人的にやっている詩人の恋のピアノ伴奏の練習と、ほんまに、時間の使い方に苦労する1週間でした。

週末、金曜の午後に古楽コンサートとジャズコンサートがあり、その夜に最後のセミナーがあり、土曜の午後にファイナルコンサートがあって、ワークショップが終了です。○毎日午前と午後に合わせて5時間近くは小グループでのアンサンブルの時間があり、いつも全員で練習するのでなく、いくつものトリオやカルテットやゼクステットなどのグループ分けがあったので、時間の割り振りもとても複雑でした。うまくできないグループの曲は、これまた休憩時間に集まって余分に練習したり。とにかく正規のプログラム以外に余分に集まって練習するというのがいくつもあって、自分の予定がどんどん詰まっていって、食事をとる時間を確保するのがやっと、という状態にだんだんなっていきます。

3年前に参加したとき、私は最終日になって体調を崩してしまいました。
脱水症状でおう吐などで出て、けいれんし、意識もうすくなってしまい、コンサートの客席に居合わせたドクターに診ていただいて、なんとか回復したけど、最後のコンサートには出られなくて、みんなに迷惑をかけたし、自分にとっても心残りだったという経験があります。そのことがあったから、今回は、とにかく最後まで体調を保つこと、これが一番の課題でした。そして、なんとか感情的にも肉体的にも、自分をコントロールできて、最後のコンサートに出演できたことは、大きな達成感になりました。

もちろんできなかったことや、途中で混乱したこともたくさんあるけど、終わってみれば、その混乱や落ち込んだこと、すべてが学ぶために必要だったのかもしれないとも思えました。この混乱は、私の中だけで起きたことではなく、グループの中にもさまざまな心の動き、難しかったことがありました。

そんな難しかったことについて、次に思い出しながら書いてみたいと思います。
[PR]
# by butakotanaka | 2016-07-17 11:18 | 日常生活 | Comments(0)

3年ぶりNY2016日記 ワークショップのこと2

3日目・日曜日(*^oo^*)

この3日目は週末コースの最終日でもあります。
仕事が忙しかったり、予算が少なかったりする人たち、あるいはこの緊張状態で長期間はしんどいなと思う人たちは、この3日間の週末コースをとることが多くて、今回のワークショップも名簿で数えてみると、週末コースのみの参加者が10名、火曜から土曜の5日間コースが20名、で、その全てつまり8日間コースが15名です。週末は合計25名が4つのグループに分かれていたと思います。平日の方は人数も増えて5つのグループ分けでした。

日曜は、朝のウォームアップ、全員合唱の後、週末コースの人向けにチェックアウトの説明、そのあと2時間の小グループ練習、ランチ、そして午後から1時間半のグループ練習で、そのあとは週末コースのファイナルコンサートが早くもあって、それで一つの区切りを迎えます。これだけの期間で、ある程度の仕上げまで持ってくるわけだから、ほんまに忙しいというか、根性いりますー。

この後、週末の人たちが帰って行って、残った人たちは夕食の後、しばしゆるんだ空気が流れます。いったんグループも解散して、次は5日間コースの人たちが翌日の月曜夕方にきて、その顔ぶれによってまたグループ分けが違ってくるからです。今回はそうならなかったけど、時々、週末では一番上のグループにいた人が、週明けになって、レベルの高い人たちがたくさん来て、2番目のグループに分けられる、そんなこともあります。そういうのって、プライドが傷ついたりもするし、微妙ですよね。心理的に。そういうのでなくても、人間って、特に声という体の一部が楽器である歌というのは、レベル分けなんてされてしまうと、自分の人格が傷つけられたみたいに受け止めてしまう人だっていると思います。その気持ちもわかります。自分の実力はこれぐらいあるはずと自分で思う評価と、外から受ける評価が違っている場合もあります。音楽をよく知り、経験も長くても、このワークショップの場合は、あくまでも譜読みの実力だったり、そのほか、歌声のバランスだったりもするのかなー、とにかく指導メンバーの人たちがグループ分けを決めるので、それに納得がいかなくて、もういたくない、帰るぞっなんてことも、時々はあるのかもしれないです。お金を払って参加している参加者たちは、主催グループにとってお客様でもあるんだけど、かといって、甘く甘く扱っているだけでは学びにならないし、そのあたりのバランスは難しいんだと思います。

今回、日曜の夕方は、何人かの人たちと映画を見に行きました。
ファインディグ・ニモの続編、ファインディング・ドリーという映画です。

この週末コースで、私はさまざまな落ち込みがありました。
声量が足りないといわれること、ピッチが下がるといわれること、歌ってる間はいいんだけど、歌についてみんながこんな風に歌おう、ここはどんな風にしようとディスカッションするとき、あまりにも話が早くて、全然ついていけないこと、ファシリテーターと呼ばれるリード役の先生(あくまでも指揮者ではなくリードしてくれるという立場)の無茶ぶりというか、それについていけなかったこと。。。。
3年前よりは英語についても音楽についても、少しは進歩しているはず、だから今回はなんとかみんなに食らいついてがんばるって、そう誓って参加したものの、この3日間、やっぱりあかんのかな、ついていけないのかなって、何度も涙が。。。。
泣かない!というのも自分の誓いの一つだったのに、あっさりそれが破られて、もうオトナのはずの自分が子供みたいで情けなくて、そんな気分でした。

でも、この映画を見たことで少しだけ気持ちが上がったのです。なぜかというと、もちろん日本語字幕なんてないわけだけど、映画の中のセリフが全部理解できたんですー!もちろん子供向けのアニメだから、ものすごーくはっきりと発音されているんですよね。わかってます。それでも!言葉が聞こえてきて、その意味も分かって、ストーリーが追いかけられる、これは大きな大きな進歩です。数年前にここで映画を見たときはそこまでは理解できなかったから。

で、思いました。なんやっ、私の英語、少しは進歩してるんや、やっぱり。
そうや、グループ練習のときみんなの話についていけなかったのは、若い人たちの英語が早かったり、もごもごしていたり、特別な言い回しとか、省略語があったり、そんなんがわからんかっただけなんかも。外国人がおるねんから、もうちょっと気を使って話してくれてもええやんかーっ!と逆に思えてきたりしました。

この3日間の間に、2回か3回は、「もうちょっとゆっくり話してもらえませんかー?」と思い切って頼んでみたり、「今の話、結論はいったいどうなったん?」と聞いてみたりはしたんだけど、そのたびに、すまんすまん、こういう話やねんって誰かが教えてくれるねんけど、それで一瞬後には、みんなまたモゴモゴ、スピードぉぉぉぉって話っぷりに戻るわけです。だんだん「ゆっくりお願い」って頼むのが面倒になってくるし、みんなの会話を止めてるのが自分だけって気がして、後ろめたい気持ちにもなって、情けなくなって、黙ってしまいます。黙っているとそのうち涙がじわーっ。そんな感じです。

この落ち込み、実は進歩とも関係してるのかなと思いました。
なぜかというと、少しずつわかるようになってきている、だからこそもっと深くわかりたいと落ち込むのです。もっとわからなかった頃は、歌のときだけ歌えてたらまーええわ、とも思ってたような気がします。ディスカッションのときは理解するのを放棄して、後でまとめて聞いたらええか、とも。でも今は、少しわかってきたから、だからこそその過程を知りたい、分かりたいという欲が出てきて、それでわからないから悲しい、となっているのかも。そんな気もしています。進歩のしるしなのかな。

今でも覚えているけど、初めて参加した8年前は、英語は少しは話せたものの、音楽用語を英語で、というのは全然知らなくて、ほんまに唖然としたんやったなー。4分音符とか、小節とか、何調とか、音程が何度とか、拍とか拍子とか、作曲家の名前とか、アッチェレランドがアクセルだったりとか、ほんま何を言うてるのか、よく知ってる音楽の話のはずなのに、まったく音からは理解できなくて、くやしくてくやしくて、ワークショップが終わってNYに戻ったとき、すぐに市立図書館で音楽辞典という英語で書かれた本を借りて、次に参加した1か月後までに一冊を読み切ったんやったなー。そのおかげで2回目は、音楽用語が少しは聞こえてきたんやった。それでも今に比べたらもっともっとわからんかったはず。うん、そのときのことを思い出したら、だいぶ進歩してるはず、こうやって冷静に振り返ったら、そう思えます。

週末コースが終わり、月曜は夜のコンサートから5日間コースが始まるまではフリータイムです。

でも、今回の私にとって、このフリータイムは、落ち着いてピアノの練習ができる唯一のまとまった時間。ワークショップが終わった後、マンハッタンで小さなコンサートを開くことも決まっていたから、それまでになんとか聞いてもらえるぐらいにはなりたい、と必死の気持ちもありました。エリオットが歌いたいテンポにまだまだついていけない曲もたくさんあったし。

月曜は昼近くに一時間エリオットと詩人の恋の合わせをした以外、とにかく、音楽棟のピアノルームにこもって練習していました。食事以外はずーっと。
気が付いてみたら、なんと8時間もピアノの部屋にいたことになります。自分でもようそんなにおったな。。。。と感心したぐらい(^oo^;)よほど必死やったんでしょね。
音楽棟のピアノ練習室は、さすが歴史の古いスミス大学だけあって、すべての部屋(30ぐらいあるかな)のピアノがグランドで、しかもスタインウェイ!しかし、名器スタインウェイといっても、教室とかで使ってた楽器のお古みたいで、でこぼこのがほとんど。うまく音がならない楽器も多くて、これがええ修行になります。そういう弾きにくい楽器でいかにちょっとでもまともな音が出るか、毎日違う部屋で弾きながら、探っていく作業は、すごくいいトレーニングになりました。

他のみんなは、町に買い物やお散歩にいったり、池で泳いだり、部屋でゆっくり読書したりと、いろんな過ごし方をしたようです。私にとっては、まとまってピアノを弾きたいと思い続けていたから、心ゆくまで練習できたこの日は、自分にとって瞑想みたいなものというか、いい過ごし方だったんだろうと思います。英語をはなし続ける環境の中で、自分がゆっくりしか話せなかったり、相手がいうことをうまく理解できなくて、何度も聞き直したり、相手が私のいうことがわからなくて、何度も聞き返してきて何度も言い直して。。。。こんな作業を続けているとストレスがたまります。ピアノを弾いているときの自分は、嫌悪感を感じなくて済むし、自分でいられる、自分を取り戻せる、そんな時間だったような気がします。

お休みの1日もあっという間に過ぎて、月曜の夜はまた5日間コースのオープニングとしてのコンサート。そのあとオリエンテーション。そして全員合唱の練習です。5日間コースの曲はラインベルガーの曲でした。5日間の人たちを迎えてのそのあとはレセプション。

火曜からのことはまた次回に(*^oo^*)
[PR]
# by butakotanaka | 2016-07-17 00:41 | 日常生活 | Comments(0)


ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。


by butako

プロフィールを見る
画像一覧

最新のコメント

Yuko H. さま(^..
by butakotanaka at 22:17
演奏会で指揮をされたりピ..
by Yuko H. at 16:18
ゆうこさま(^oo^) ..
by butakotanaka at 21:57
お帰りなさい。素晴らしい..
by Yuko H. at 15:09
ゆうこ様(^oo^)コメ..
by butakotanaka at 21:32
久々にブログを開いてみた..
by Yuko H. at 08:43
伸浩さま(*^oo^*)..
by butakotanaka at 08:29
 突然ですが、コメントを..
by 萩原伸浩 at 23:00
Yukoさま(^oo^)..
by butakotanaka at 00:07
久しぶりにブログにお邪魔..
by Yuko H. at 18:25

最新の記事

生徒さんのおさらい会とピアノ..
at 2017-06-26 13:21
四月ですねー
at 2017-04-12 08:51
練習日記的に。。。。
at 2017-02-16 00:22
二月に入ってますが今年もよろ..
at 2017-02-05 23:31
ピアノの発表会終わりましたー!
at 2016-10-17 21:27

記事ランキング

カテゴリ

全体
日常生活
ぶたこぶのコレ書いて
英語・学校
音楽・趣味
メディア・ラジオ
NY・留学
Watch&Say
MONO
ぶたこの自己紹介

スポーツ
読書
未分類

リンク

フォロー中のブログ

multicultura...
宝やの宝物。
ミンサイ・ドラゴマン

ブログジャンル

音楽
語学

以前の記事

2017年 06月
2017年 04月
2017年 02月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 01月
2015年 10月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月

検索

ファン

画像一覧