人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。

by butako

ニューヨークタイムズの記事ふたつ。

できるだけ英語から離れないように英語の本を読んだり、記事を読んだりしなくちゃ・・・と思うけど、ついめんどくさくて、あんまりしてない私(^oo^;)

でも、最近、気になる記事が二本、ニューヨークタイムズでありました。英語に興味ある人のためにも書いておこうかな。


一つは日本のプロ野球のことについて書かれた記事。記者が東京ドームの巨人-阪神戦での感想を主に書いたもの。最後の方には数日後に行ったという甲子園での阪神-中日戦での感想も少し。応援の仕方について、けっこう丁寧に説明されてると思いました。これを読んで、観光で日本に来たアメリカ人が、もっと野球場に足を運ぶと、それも面白いなぁって思った。

記事はここです(^oo^)



で、もう1本は今朝読んだもの。
デザイナーの三宅一生さんが、自らの被爆体験についてニューヨークタイムズにコラムを寄せた。今までほとんど語ってこなかったんだって。被爆したデザイナーというレッテルを貼られるのがイヤだったし、とにかく被爆したことは忘れて、前向きに楽しいことを提供するデザイナーという仕事でがんばってきたって。でも、4月のオバマ大統領の核廃絶宣言を盛り込んだ演説に感銘を受けた。被爆者として、かくしていないで、自分の体験を語るべきだ、話す機会を作るべきだって思ったって。きっと苦しいことだと思うのに、そんな決心をさせるぐらい、オバマさんのあの言葉は重かったんだなぁって改めて思った。演説の原稿、ダウンロードして保存してあるけど、丁寧に読んでない。読まなくちゃって思いました。

記事はここです。


ここんところ、こないだ図書館から借りてきた太宰を読んでいたんだけど、さすがに名作といわれる「斜陽」と「人間失格」は重かったなぁ。まず最初に最後の「グッド・バイ」を読んで面白かったと書いたけど、あれを最初に何の前感情もなく読んでよかったなって思った。なんでって、いくつかの短編とこの二つの有名作品を読んだ後に、最後の「グッド・バイ」にいってたら、全然違う感想を持っていたような気がする。もっと重い雲がのしかかったみたいな気持ちになっていたかもしれない。文章は明るく、ギャグさえきいているような作品なのに、漫才のかけあいみたいなのが面白い作品だけど、最後の作品、それまでの作品の最後・・・って思うと、全然違うことになる。でも、そういう先入観、太宰さんは読者に持ってほしかったのかな。持ってほしくなかったような気もするねんなぁ。分からんけど。

で、「斜陽」。これを読んで、なんかもう頭の中がグルグルまわった。一番思ったのは、「戦争が人の心に与える影響」ってことかなぁ。人生のなかで、一度でも戦争という出来事を体験してしまったら、人の人生はまったく違うものになるんじゃないかってこと。その後の人生、いろんな方向にいくと思う。逆に明るく生きようとする人もいるし、立ち直れない人もいるかもしれないし、哀しみをかかえたままの人、忘れて明るい未来を見ようとする人、生きていることにすごく責任というか、生きててごめん、という罪の意識のような気持ちをかかえる人もいるのかもしれない。私には、経験がないことなので、本当に想像することしかできないんだけど。

時代がめぐっても、戦争が終わって何十年もたっても、今の社会にまだまだ戦争を体験した人たちが残っておられる。いろんな形で経験した人たちが。軍隊にいた人、空襲を体験した人、親をなくした人、兄弟姉妹をなくした人、配偶者をなくした人、大切な友人を失った人、そして原爆を体験した人、その後遺症に肉体的にも精神的にも苦しんでいる、戦い続けている人・・・・。戦争って何なのかな、なんでやまないのかな、どうしてみんな武器を持つのかな、どうしてみんな相手を脅して、これだけの武器を持ってるんだぞーって示しことでしか安全意識を得られないんだろう・・・。

これだけ一人一人の心に、大きな大きな、深い、哀しい傷を残すことなのに。どうしてなくならないのかな。

「斜陽」を読んだあと、そんなことを考えていた。
そして、広島へ再び旅するぞって計画。
それから、今朝、三宅さんの記事。

私は平和ボケしている世代だけど、まだ親は戦争を体験している世代だし、子供の時は親戚の年配の人たちに育てられたから、お米は絶対残しちゃいけない、食べものは本当に大切だ、食べたくても食べられないときが戦争のときはあったんだから・・・とか、教えてくれる人たちがいた。今でも、シルバーコーラスにいることもあって、夫を戦争で亡くした人もいるし、どうやって食べものや着るものを工面したか、どんな風に戦地に向かう兵隊さんを送ったか、笑顔さえ交えて語ってくれる大切な友人たちがいる。まだ間接的にでも、知ることができる。これは幸せなのかもしれないなぁ。


毎年、この時期には特に、意味を思うべきなんでしょうね。個人的な恨みではなく、国同士の利益のために戦うことのおろかさとか、一人一人の命の重さとか。難しいこと、歴史とか、宗教的な関係とか、詳しくわかっていない無知な私だけど、なんか、このとてつもなく哀しくて、なくならなくちゃいけないってことは、身体で感じる。きっと誰もが感じることだと思うんだけど。


三宅さんの記事のことは、日本語でここにも載ってました。
by butakotanaka | 2009-07-15 12:39 | メディア・ラジオ