人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。

by butako

DC旅から~私の英語。~

英語のブログにも少し書いたんだけど、去年の春までNYにいて以来、久しぶりにアメリカにいって、日本人にはほとんど会う機会もなく、ずっと英語だけの生活を三週間ちかくしていて、その中で歌ったりする機会もあって、自分の英語のことでも色々思うことがあった。


ワークショップの参加者で日本人は私だけ。でもって参加している人たちはほとんどアメリカ人。数人、スペイン語が母語の人がいたかな。あと、ワシントン近郊だけでなく、オハイオ州とか、セントルイスとか、フェニックスとか、NYとか、遠いところからの参加者もいた。

参加者の人たちとの会話も、休憩のときや食事のときなんか少し大変だったけど、何よりも大変だったのは先生たち。先生は、六人で、そのうち三人がアメリカ人。そのアメリカ人のうち一人は、めちゃめちゃ早口(^oo^;) この人には苦労した。残り三人はイギリス人。思い切りイギリス英語。そのうちの一人は指揮者で、この人、たとえ話が非常に多く、話が長い。楽譜の指示や曲想の指示を話し始めたはずなのに、食べもののことになったり、で、面白いことで話をしめようとするんだけど、ただのギャグじゃなくて、イギリス人のばやい、皮肉というかサーカズムっていうんですか、それで終わろうとする、で、言い終わって、なっ、面白いやろー? とみんなに確認するように。で、みんな、ヒヒヒッと低く笑うわけです。私、一人だけ笑えない(^oo^;) だって、話があっちいってこっちいって、文化の底辺がないと笑えないようなこと言われてもついていかれへん。

そういう「ついていけない」という感覚が積み重なってくると、たまらないほどの孤独感がつのります。大阪人だからか分からんけど、ギャグというか、笑いが分からんというのは、音楽が分からんよりつらいかも(^oo^;) みんなが笑ってるのに自分は笑えないというは、積み重なるとかなりのストレスやったなー。

同じイギリス人でも、他の二人の先生は話も分かりやすくゆっくりで、言いたいことも分かる。だからイギリス人全部が分からんわけでもないらしい。でも、イギリス人には、おもろいことを皮肉を込めていう文化はあるみたいで、この指揮者のことをアメリカ人の参加者の皆さんは、「めちゃめちゃイギリス人やねー」とかいうてはりました(^oo^;) 最後の方は、この皮肉についていけないだけで、かなり疲れを覚えた私です(^oo^;)


で、話す方はどうかというと、なんとかコミュニケーションはとれるというか、私が言いたいことは相手に伝わるけど、食事のテーブルトークとかで、アメリカ人同士の会話になると、容赦なく早いから、私一人に話すときと違って、私はこれまたついていけなくて、多人数での会話は相変わらず苦手だなーと思いました。これはいつまでたっても変わらないなぁ。パーティがますます苦手になるのだ。

時々、落ちこんだりしたときは、誰か一人ゆっくり話してくれそうな人、やさしそうな人を見つけて、「少し話してもいいですか?」と、二人だけの会話をしてもらったことも何度か。あと、音楽面も含めて色々落ちこんで人知れず狭い部屋で泣いてたときは、気がついた一人の人が入ってきてくれて、とてもゆっくり事情を聴いてくれた。

それから、友人のベンもすごく助けてくれた。行き帰りの車のなかで愚痴を聞いてくれたし、自分の愚痴も聞かせてくれて、その中でも彼のコメントで「ぶたこは、自分の英語のことで悩んでるみたいだけど、今回の参加者のなかには音楽初心者の人も多いみたいだし、指揮者の話というと、英語以前に彼がいう音楽用語や理論の話なんかは、まったく理解できていない人が多いんじゃないかなー、それで落ちこんでる人も多いと思うよ。ぶたこはその点では理解できているんだから、そっちの方が大切かもしれないよ」と。なるほど、そういうことで悩んでいる人もいるよね、きっと。自分だけが特別、じぶんだけがつらいんだなんて、なんて悲劇のヒロインになったんや、私・・・と少し気がついた。

だんだん開き直ってきて、分からないことは休憩中に質問するようになったし、指揮のセッションにも挑戦したりして、みんなの中でも認知してもらって、だんだん話しかけてくれる人も増えてきたし、先生たちとも親しく話せるようになって、自分の居場所ができてからは、英語も少しずつ落ちついて話せるようになってきた気がする。こういうのって精神的な要素ありますね。安心できて、受け入れてもらえていると思うと、安心して話せるというか。これは意識の問題だけど。

全体的にいえるのは、英語を話す時間、機会が増えて、あー、やっぱり時間が必要なんだなということ。度胸もいる、もちろん努力もいる、そして試してみる場所も必要。毎日、音読していても会話じゃないし、どんな形でも誰かと話せる機会が持てるというのは本当に幸せなことだなと思った。今でも、音読した方がしっかり発音できるし、緊張しないけど、誰かと話したら文法も発音もめちゃくちゃになるけど、その「めちゃくちゃ」加減が、少しずつマシになってきているのかなと思う。

お世辞だろうと思うけど、今回も、
「アメリカに住んでるのかと思ったわよー」
「アメリカに住んでる人より話せてるかもよー」
「話してるとき以上に歌ってるときのディクションは素晴らしいわ」
など、嬉しいコメントももらった。全部そのまま受け取ったらあかんと思うけど、励みにしてこれからもがんばろうっと。


で、もう一つの大きな収穫。
これは、今回で改めて、イギリス英語とアメリカ英語についての違いや特徴を学んだし、認識したということ。

先生たちがアメリカとイギリス半々だったこともあって比べやすかったのもある。

それから、発声を担当したアメリカ人の先生が自虐も含めて、今回のワークショップで歌った言語、イタリア語やラテン語と比べて、アメリカ英語の発音の特徴を話してくれたこともある。
「アメリカ英語だと、アの発音は、すごく下向き、べたーっとしてます。これ、歌には向いてません。もっと息が上昇するような音でないと・・・」とか。「イ」でも「ア」でも「ウ」でも、はい、アメリカ英語だとこういいますねー、悪い例で、いつも発音するようにいってみてー、はい、では、次、ラテン語のいい母音、歌にいい母音で言ってみましょう、と比べる練習を毎朝やってた。私にとっては、どちらも母語でなく、どちらかというとずっと歌ってきたイタリア語やラテン語の方が日本語に少し近い母音であることもあるし、歌いやすい。「o」という綴りを見ても「オウ」と最後に狭くはならない、「オー」と伸ばすだけ。でも、アメリカ人だと必ず「オゥ」となってしまうらしい。面白いね。アルファベットだと向こうの人の方がうまいに決まってると思いこんでいたのに。

そんな発声の先生の例を聞きながら、ほーっと思ってた。

で、そんな毎日の中で、少し仲良しになったソプラノのイギリスから来ている先生がいて、声の面でも発音の面でも人格でも、その先生のことが日に日に大好きになってきた。ワークショップでは、希望すれば、一時間50ドルで個人レッスンが見てもらえる。決して安い金額じゃないけど、一生もんやと思えば思い切って受けてみようかしら・・・という気になってきた。事前に申し込むこともできたけど、どんな先生にあたるか分からないから申し込んでなかった。もういっぱいかなーと不安になりつつ、その先生に直接「できれば個人レッスンを見ていただきたいのですが・・・」というと「喜んで! 時間とれるわよ」と言ってくれた。やたー。

こんな機会のときのために、10月にリュートソングのクラスの発表会で歌うダウランドという作曲家の曲二曲の楽譜を二部ずつ用意してきていた。「ダウランドの英語の曲を二曲、秋に歌うのですが、その曲を見ていただくことはできますか? 歌い方と発音を教わりたいのです」といってみると、「もちろん! 楽しみにしてるわ」といってもらった。

先生とのレッスンは本当に素晴らしかった。
これまでにもいろんな先生に教わってきたけど、本当に先生が変わると、また新しい発見がある。この先生からも、今までのどの先生にもなかったこの先生だけの歌があった。響きも独特で、ソロとしていうよりは、これまでタリス・スコラーズやザ・シックステイーンといった古楽系のアンサンブルで歌手としてずっと活動してこられた、そんな経験からきた発声。

あ、この項は英語のことだから、音楽的なことはこんくらいにして。

発音に関して、私の歌をきいて、特に不自然に聞える発音をなおしてもらった。

一番言われたのは、where there air といった「えあ」的な発音。これ、イギリス英語独特の音なのよって、何度も見本を見せてくれて。真似しようとするんだけど、なかなかうまくいかない。何度も何度もやってもらって、何度も何度も真似して、その中で「あっ、今の、ちょっといいわよ。それそれ、いい方向よ」と、完璧じゃないけど、いいといってもらったのでとりあえずそこでヨシとする。思ってたよりもずっと開いた音という感じ。

それから「over」とかにある、オウという発音。これもイギリスとアメリカでは全然違う音。これも何度かなおしてもらった。それから、「オ」の暗いやつ。mournにある暗い暗い音。これとmorningと moon。全部違う。でもうまくいえない。

歌詞を全部読んでもらって、一通り歌ってくださって、先生のレッスンを録音した。
帰って来てから何度か聴いている。ほんと、おかしくなるぐらい、先生が見本を示してくれて私がその後で真似してるのは、ぜんぜんうまくいってない。人の音をその通り真似するのって難しいんだなー。これでも何年か一生懸命発音のことを学んで、少しは耳がよくなってるつもりで、それでもできないんだもんなー。これまでの人生でやったことのない音って感じやった。この一時間のレッスンは本当に宝物の時間だ。

先生とまた会える日が来るかどうかは分からないけど、本当に受けてよかったし、出会えてよかったし、それだけでもこのワークショップに参加した意味が深かったなーと思う。


これまでの英語学習の経験で、いろんな英語にふれてきた。
そして、私の場合英語学習のモチベーションは、テストなんかで点数をとることでなく、コミュニケーションであり、歌に役立つ発音であるわけで、最初の頃から発音に特に興味があった。


最初のカナダでは、英語学校で、個人レッスンを気に入った先生に頼んで、詩の朗読して発音をなおしてもらった。この頃は今思えば相当にカタカナ英語やったと思う。気がつかなかったけど、今から思い出すと、先生の英語はまさしくカナダ英語で、「R」がすごく激しかった気がする(^oo^;)

次にいったニュージーランド。ここではイギリス寄り英語に衝撃。ペンがピンに聞えるし、カナダで習った発音で通じないし(^oo^;) なんで違うの、どう違うの? と学校の先生に質問しても、さぁ・・・って(^oo^;) 考えてみたら、自分たちの話してる英語の発音のことは言えても、アメリカ人がどう発音してるか比べることなんて、音声学の研究してるわけでもない限り、普通の英語学校の先生ぐらいだったら知らないことも多いのね。私の疑問はあんまり解決されないまま、ただ、ほー、英語ってこんなんもあるんやーという経験。で、ちょっぴりここの英語の発音もマスターほどいかないけど、真似しできることもあった。

で、次がNYです。アメリカ英語。といっても、ここでの先生は、移民英語というんでしょうか。世界中のアクセントが混ざったいろんな英語。そかー、通じたら、とにかく堂々と自分の国のアクセントを恥じずに話せばいいのね・・ということは学んだな。で、アメリカにも住んでる州によっていろんな訛りがあるんだということも。それが相当違うのだということも。

で、ここではいくつかの合唱団に所属したこともあって、アメリカ人でさえ、英語の歌をうたうときは、それぞれの独特の発音を統一するために、ここは、こんなアでいきましょ、ここはこんなウで・・・・と、話し合ってどんな色の母音か決めていた。英語はなす人たちだから英語の歌は楽勝でしょうと思うと、逆にややこしいのねと学んだ。



そんなこんなの経験から、私の、自分自身の英語の発音は、こんがらがってきていたと思う。
「きていた」と過去形にはできないな。「きている」と現在進行形かも。
いろんな人のいろんな地方の英語を聴いて影響受けて、でもって、何よりも自分の母語である日本語のアクセントも混ざって。

今回の経験で、そんな自分の英語が少し整理できるチャンスをもらった気がした。
とりあえず、自分が思ってきたどの音がイギリス寄りで、どの音がアメリカ寄りなのか、知りたい。で、秋に歌うことになっているダウランドの曲は、イギリスの作曲家で古い時代の曲だし、できるだけイギリス英語に近づけた発音で歌いたいなーということ。


そんな思いが強くなってきたここ数日、先生とのレッスンの録音だけではわからないことも出てきた。発音記号ごとにどんな音なんだろうと、歌詞に出てくる全ての単語の発音記号を記入しているうちに、はっきりしない音が出てきた。たとえば、gotの母音とか。アメリカだとアに近いけど、イギリスは? 発音記号は、aをさかさまにしたみたいな記号だけど、こんなんアメリカ英語にはないぞ。

で、ウロウロしてたら、いいウェブ見つけたよ!
BBCの英語学習サイト。
ここ です。

発音記号ごとに一つ一つビデオがあり、学べるようになっています。間違いやすい、まぎらわしい、ややこしい発音同士比べたりもしていて、本当に分かりやすい。音だけでなく口の形もビデオで見られるのもすごい。このビデオや教材がダウンロードできたりもするのです。太っ腹やなー、BBC。とりあえず母音は全部見てみた。で、驚いた。これまで、発音記号さえわかっていれば、同じ発音記号は同じ音のはずと思ってた。でも、違う。たとえば、catの母音。アメリカ英語のイメージ、キャって音よりも、イギリスの音は、だいぶ日本語のアの明るめというか、素直なアに近いような気がする。同じ発音記号でもまったく違う音が出てくるんだと気がついた。それぞれの発音記号のイギリス英語の音をしっかり頭に入れたくなった。何度かここで練習して、歌に生かすのだ。

日本語のウェブでは、ここ がありました。
これは、アメリカ英語とかイギリス英語とか書いてないみたいだけど、やはり発音記号ごとに映像も見られるようになっていて便利です。まだ詳しく見てないけどいくつか見てみて、なかなかよかった。


で、今、思うことは。
じゃあ、私は自分の英語はどうなって欲しいのかということ。
ある程度目指す音のイメージがないと、いつもどっちつかずになるんじゃないかなーって。
聴きとりの方は、いろんな種類の英語が聴けた方がいいと思う。でも話す方は、ある程度自分で定めておいた方がいいんじゃないかなーって。自分自身の英語の音の方向性を考える時期に来ているのかなーって。

こんなえらそうなこというてますが、たいして発音いいわけでもないんでっせ(^oo^;)
でも、そうやって目標を定めることは悪くないんじゃないかなってそう思うにいたったわけです。
英語学習もここまで来たのかなって思うと、なんとなく、少しはがんばってきたのかなって。
まだまだ、語彙も文法も全然なんですけどね(^oo^;)


とりあえず今日、現在の思いでした(^oo^)
by butakotanaka | 2010-07-28 20:54 | 英語・学校