この日に何も書かないわけには・・・・

という気持ちになりますね。さすがに。
東日本大震災からちょうど一年がたちました。
今日、地震が起きた時間には、家のテレビで野球を見ていました。
グラウンドの選手とスタンドのファンが黙祷を捧げるのと一緒に私達も目を閉じて黙祷を。
ふと、「阪神大震災は何時やったっけ・・・」と想い出そうとしましたが、しばらく考えないとわかりませんでした。東日本大震災という大きな悲しみがあって、その前に起きていた神戸の震災が、少し思い出に変わったのかなと思いました。風化させてはいけないけど、それほど去年の出来事が日本全体にショックを与えたということでもあるのかも。そのことで、改めて神戸を思い出したというのもあったのだけど。

去年のこと、思い出しています。
地震が起きたときは、たこぶは会社、私は家でピアノの練習してました。
弾きながら頭がクラクラするなぁ、貧血かなと思っていたら、ピアノの横にかけてあるカレンダーがゆっさゆっさ揺れて、電灯の紐も揺れていた。これは地震だと思ったけど、すぐにおさまるだろうと、それでも弾き続けていました。それでも、揺れがおさまらない。これは、どこか近くであったのか・・・と一応テレビの速報を確かめに上にあがりました。テレビをつけたら、なんと震源が遠い東北。なにこれ・・・・。大阪でこんなに揺れるって、ほなら、近いところはどのぐらい?と背筋が少し寒くなって、神戸のときを思い出しました。すごい揺れだーって思って、大阪が震源に違いないって思ったら、神戸だった。ほなら神戸はどうなってるねんって、神戸に住んでる友人にすぐに電話したんだったなぁと。

PCをつけて、mixiや、twitterで友達の様子を確認。どんな反応やったのか、もう覚えてないけど。
とにかくNHKをつけっぱなしに。そのうち、テレビ画面に津波の様子が生中継でうつしだされる。武田アナだったと思うけど、家が流れていきます・・・・と、感情をおさえつつも、かなり驚いた様子を隠しきれずに実況してはった。目の前で起きていることが信じられなかった。とにかく、会社にいるたこぶにえらいことになってるとメール。たこぶの会社では、テレビとか見てなかったから、私からのメールをみんなに話してえらいことになってる・・・ってなってたらしい。とにかく、一人でいるのが怖かった。大阪だからたいしたことなかったけど、それでも、これからどうなるんだ、何人の人を失いつつあるんだって想像するだけで、怖かった。

それからの数日は、何が何やら分からない日々。
アメリカや外国の友人たちと主につながっているfacebookで、できるだけ現状をレポート。大きな余震が起こるたびに最初の頃は怖かったから、書いてた気がする。そのたびに、大丈夫か?と励ましてくれる友人たちがとてもありがたかった。大阪は日本のどのあたりかわからないから、私や家族が被害にあったんじゃないかと、本気で心配する人たちから、たくさんのメッセージが届き、facebook上や、メールに返信する日々。英語だから大変だったけど、とにかく夢中で毎日のように長い長い英文を書いていた。

そのうち福島の事故が起こり、政府を信用していいのかという論調も出てきた。
その頃、NYにいたときに友達になったラジオ番組の元プロデューサーが、その後BBCに仕事を変えてイギリスに住んでいて、BBCラジオで日本人の一人として政府を信頼できるか話してくれないかと、出演依頼がある。驚いて最初は無理ですーと断るも、他に誰もいなかったらとなり、結局出演することに。あの時は緊張したなー。何を話したかたいして覚えてないけど、とにかく今は政府を信頼して、私達日本人が心をひとつにするしかないということを話した気がする。でも、政府からの情報が遅いのは気になると。スタジオには専門家が何人か来ていて、その議論も電話の向こうから聞こえてきた。

驚いたのはその後、なんと3日連続、BBCのスタッフから電話が入ったのだ。それぞれ別の番組だけど、今度はテレビのショーで電話で声だけの出演はできないかとか、別のラジオ番組は・・・とか。最初は被災地には連絡がつかなかったろうから、私のような遠くに住んでいてあまり影響されていないものでも、誰でもいいから日本人に出演してほしかったんだと思う。日がたつにつれて、被災地にいる人達、もっと影響を受けた人たちに話があったのだと思う。でも、最初の三日間、夜になって電話をとると、「こんばんは、イギリスのBBCです」とか続いたときは、びっくり。友達にだけ電話番号を知らせたつもりだけど、きっとその記録が残っていて、コンタクトを共通で使えるようになってるんだろうなぁ。毎日同じように、どこに住んでるの?影響は?被災地に友達はいないか?紹介してもらえないか?今の政府の対応をどう思う?ボランティアに行くと思うか?とか色々きかれた。結局真夜中の放送で無理だからと出演は断ったから、最初の一回だけラジオに出ただけだけど、BBCのスタッフと3日連続で話をしたというのは、多分生きていてこの先にも起きないと思うし、貴重な経験だったともいえる。こんな悲しいことがきっかけでこんな経験はもうしたくないともいえるし。

現地でできればボランティアしたい、必要とされていれば・・・と思ってはいたけど、結局体力にも自信がなくて、行けなかったなぁ。大阪から物資を運ぶ団体の仕分けボランティアに二度ほどお手伝いにいったぐらいか。

あと、そうそう、夏になって、楽天の試合を観に、これも応援なんだと仙台まで二泊三日で出かけたのだった。楽天が開幕試合を甲子園でしたときにスタッフさんと話す機会があり、仙台にも絶対応援にいきますね、と約束したのがきっかけ。そのスタッフさんと仙台でも再会でき、そして、試合帰りに知り合ったファンの方に、被害が大きかった仙台市若林地区を思いがけず車で案内までしていただいて、とても思い出深い旅になったなぁ。

地震のすぐ後、特に福島のことは、アメリカ人の友人何人かから、本当に深刻な問題なんだよとメールをもらった。個人的にヨウ素を手に入れた方がいいというアドバイスもあったぐらい。

放射能の影響が分からないということで(今だって分からないままだけど)、横浜に住む友人が、ストレスいっぱいの暮らしから少し疎開したいと、大阪に来たこともあったなぁ。友人と娘ちゃんと。受験を前にして大切な時期なのだけど、なかなか集中できないということもあったりして。大阪に来て、うちで一緒に勉強したり、少し買い物したり、ご飯食べにいったり。東京は、ネオンが消えて、お店もお休みが多くて、通りが暗いんだよーって、大阪の明るさに驚いて姿がまだ目に焼き付いてる。その娘ちゃんも、今年無事志望校に合格。よかった。

瓦礫の処理が丸一年たつというのに、まだ5%しかされていないのというは、心底驚いた。これはいったいどういうことなんだろうと。もしこれが、東京近く、もっと関東中心の被災なら、あるいは大阪近辺なら、日本がたちゆかなくなるということで、もっと進んでるんじゃないのって疑ってしまう。東北は、日本全体の経済にあまり関係ないし(関係なくないけど)、たくさん土地が余ってるからほっておく場所もあるってこと? でも、それはおかしい。日本中の都道府県に割り当てたら、もっと進むんじゃないのって思うけど、そんなカンタンなことじゃないんやろなぁ。

一年たっているのに、何が進んだのだろう。
どうしてあげたらいいんだろう。私達に何ができるんだろう。
神戸のとき以上に、政府の対応がとにかく進んでいない印象。
いや、神戸と比べるとあかんのかもしれん。被害の大きさが甚大だし、原発のことが併発しているし、土地や家を持っていた人も、神戸のときみたいにそのままの場所にあって、権利関係がはっきりしていたのと違って、今回は流されてどこにあるか、ご遺体や財産その他、かなり分からなくなっているわけで、きっとややこしいのだろうとは思う。悲しすぎる教訓だけど、でもこれを無駄にしてはいけないのだと思う。それは分かる。でも、この経験を次にいかすとはまだ言えないぐらい、何も終わっていないと思えてしまう。

去年ボランティアに行けなかったとさっき書いたけど、私のように体力はないけど、たとえば少しだけ音楽ができるとか、話し相手ならできるとか、そんなことしかできない人にも、もしかしたら一年たった今年、これから先に機会があるのかもしれない。体力がいるボランティアから精神的な支えにかかわれる何かが必要になることもあるのかもしれない。今年これから、そんな機会があるといいのにな。子供やお年寄りや障碍のある人達のことが、特に気にかかる。弱い人達。助けを必要している人たち。

つい自分の周りのこと、人にばかりかかってしまうけど、東北は近くないけど、いつも思っていたい、思っていなければ・・・そんなことを心にもう一度刻み込んだ今日だった。

こんな悲しいこと、もう二度とありませんように。
自然のことだから、予測できない、決められない、ないとは言えない、わかってるけど、何かが起きても、被害が少しでも少なくてすむように、そんな営みも進んでいきますように。いや、私達が協力して進めていくべしなのですね。

小さい祈りだけど、私のお祈りを、被災された方々、亡くなられた方々、その家族の方々に、捧げます。
神様、どうか豊かな慰めと励ましを与えてください。よろしくお願いします(_●_)
私達みんなが自分の与えられた器にふさわしい働きを見つけられますように。その働きを果たす機会を与えられますように。
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by butakotanaka | 2012-03-12 00:38 | 日常生活