感覚ひとつずつに焦点を当てる

音楽にも語学の発音にも、はたまた生き方にもからまってくるのだけど、とりあえず音楽カテゴリにしました。

歌は、あまり毎日すると喉が疲労してしまうし、体調悪いときにやると悪化するので毎日しないけど、
ピアノの練習は、できるだけ毎日と思っていて、少々体調が悪くても、短時間でも・・・とつとめています。しかし、実際は、しんどいよー、だるいよー、気分がのらないよーって、毎日とはいかないんですけど(^oo^;)

体調が万全でなくても、ヤル気がなくても、とりあえずやるというのを続けていると、本当に日々自分の中に変化がおきるというか、感じることが変わってくるのです。面白い。

大体、時間がない、でもちょっとだけ・・・と思ってやる練習は、集中力があるようで、やっつけ仕事になるので、実りが少ないのが私の場合です。とりあえず、全部の曲をさわっておこーって、走ってしまうというか、じっくり取り組まないのであまり「気づき」がありません。

だらだら長いのも、無駄に疲れてよくないけど、ある程度時間に余裕がある方が、何かに気づいたとき、それにこだわって、何度も繰り返したり、いろんな曲で試してみたりできるので、やっぱり実りは多いです。

昨日のピアノの練習で気づいたのは、「振動」。
先々週、風邪ひいて、それも一段落したと思ったら、先週は、奥歯の下が腫れまして(^oo^;)
体調が弱って疲れが溜まって、抵抗力がないせいもあるかも・・・と歯医者さんに言われました。確かにその前ちょっと忙しかったからなー。そのせいかどうか分からないけど、あっ、風邪の後だから鼻づまりが続いたせいかな、耳の調子もよくなくて。そんなときは、ピアノ弾いててもワンワンと変な響きがして、うるさくて、なかなかつらいです。

耳が元気なときは、聴こえの違いで、少しでも「いい音」にしようと弾いてみます。あるいは歌だったら、身体の外に聞こえるいい響きで・・と思える。

でも、耳が元気じゃないと、耳がアテにできないので、違う感覚を使うことになります。たとえば、指、手首、ひじ、肩、身体などが無駄に緊張していないかとか、目で見て変な形になっていないかとか。

昨日は、「振動」に気持ちがいきました。
どちらかというと「触覚」になるのかな。
時間がなくて必死で弾いてるときには、感じないこと。見てるだけでは感じないこと。聴いてるだけでも感じないこと。

昨日は、できるだけ打鍵の瞬間に、「すぱっとした」振動、「ゆがまない」振動、「割れない」振動を得ようとしてみたら、すごくいい感じだった。五本のうちどれかの指を押さえっぱなしにしたまま、他の指が別のことを弾くというのもよく出てくるのだけど、この「保持音」も、振動を消さないように、振動を気持ちよく続けて、振動の波を変えないようにうまくフェイドアウトして・・・と思ってると、今まで強く弾いたり、やたら保とうとしたときには得られなかった効果が出てきました。

おっ、これは英語の発音にも使えるなーと思いましてちょっと意識して、英語の音読。口の中で起こっている振動を意識。気持ちいい振動、ゆがまない、割れない振動で、各子音、母音を発音しながら、フレーズをつないでいくと、なんとなく言葉もスムーズに聴こえる気がする。

で、また考えました。
健康はありがたいと思うけど、すべて揃っていることはありがたいと思うけど、たとえば、すべて揃っていない人は、かわいそうなのか、不幸なのか。そこは違うことも多いのかなと。
いわゆる五感というもの、すべて揃っていると、逆にわからない、鈍感になることってあるなーって。

視覚に集中して、あえて聴かないで、弾いてみる、歌ってみるとわかることがある。
聴覚に集中して、たとえば目をつぶったりして、あるいは暗闇のなかで、弾いたり、歌ったりしてみると、わかることがある。
触覚に集中して、あえて見ない、聴かないでやってみて、初めて、わかってくることがある。

昔、全盲の方のピアノを短期間だけど指導していたことがあって、素晴らしく暗譜が早いのに驚いたのを思い出しました。見える情報を得られないことで、聞こえてくる情報や、さわって得られる情報にその分集中するというか、それが生きる術になっていて、磨かれるのでしょうね。

聞こえない方は、逆に見える情報や触って得られる情報にとても敏感だったり。

全部揃ってると、そのことに慢心するというか、感覚一つ一つに対して、とても適当に付き合っているような気がするなぁ。時々、あえてそのどれか一つに集中して、他をシャットアウトしないと、その感覚本来の働きを認識できないというか、生かし切れないのかもしれないですね。

こんなことを考えたのは、ここ最近の体調不安定も原因かなー。といっても、たいして深刻なものではないんだけど。いわゆる「お年ごろ」というのもあって、考えこんでしまうだけなのかも。悩んでいるというのとも違うんだけど。

たとえば、耳鳴りがたくさんするとき、何年か前に突発性難聴したこともあって、いつか耳が聞こえなくなったらどうしようって考える。とても悲しいといったんは思うのだけど、あー、そうなったら、見えることに集中できるはずだから、音楽はさすがに難しいだろうけど、本をたくさん読んだり、何か思いを書き残したり、そんなことを楽しめる人生になるかもねーって行き着く。

こないだ、歯の治療に行った時、去年ブリッジにしてもらった歯、抜いた歯を支えているお隣の歯の根本が弱ってきていて、もしこれがダメになったら部分入れ歯になり、そうなると、かなりしゃべりにくくなるって言われて、ちょっと落ち込んだ。しゃべったり、発音したり、歌ったりすること、それを時々指導することで暮らしているのに、ちょっと困るかもなーって。そうなったらどうしようってちょっとだけ思った。

でも、しばらくしたら、落ち着いてきて、なるほどね、もしそうなったら、また違う境地が開けるかもって。入れ歯になったらなったで、その状態で、いかに効率的に発音するか、完璧でなくても、趣味としていかに楽しく歌や語学を続けられるかを開拓するチャンスやろなぁって。そうなって初めてきっと、弱い人達の気持ちが理解できるんやろなぁって。

はたまた、口から音に出すのが苦手になったら、ピアノをやれってことかもなとも。両方ちゃんとなんて無理だよ、どっちか一つにしなさいという、神様からのアドバイスなのかもねーって。力ぬきなさい、気持ちを楽にしなさいってことなのかもなーって。歌や語学が、そんなに突き詰められないって決まったら、それはそれで、ピアノに集中できるチャンスかもね。

こんな風に考えていくと、まぁ限界というのはあるかもしれないし、そうはうまくいかないのかもしれないけど、人間、何か一つでも感覚が残されていれば、それを生かして、人生を楽しめることができるのかもしれないし、それは逆に、何かとても深いことを究めてゆくときには、助けになる場合もあるかのもしれないですね。

大病された方が、落ち込みそうな人生なのに、そのことによって、逆に人生の意味を知って、喜びを知ったと言われるのを聞くと、すごいなーと思うけど、そう思えることがきっと本当にすごいのだと思うけど、それはそれで真実なのかもしれないですね。


そうそう、感覚の話とは違うけど、こないだ阪神の金本選手がインタビューで、「オフが勝負だと思って、一年目からやってきました。自分は体格的にも才能にも恵まれたわけではなく、ホームランは無理だろううと思われていたから、逆にそれをバネに、他の選手が遊んでいるときが勝負だと思って、自分に課してやってきました」と。去年と、今年、ピアノの発表会に出て、出るたびに、まだまだやなーって落ち込んだけど、そのあいだの時期、今こそが勝負なのかもしれんなぁ。発表会があって、その曲だけ練習して、それはそれで弾けるようにはなるけど、表現できることには限界があって、それはやっぱり基礎力の差。その基礎力を得るには、結局毎日の積み重ね。

今年50歳になったわけだけど、この年になって、毎日ちょっとずつ練習する生活してる自分が不思議。こんな大人になってる自分を子供の頃は想像してなかったな。大人になったらもっとのんびりというか、余裕で生きてるのかと思ってた。特に50代なんて、もう坂道降りてるやんとか想像してたかも。でも、実際、なってみると、まだまだやん、青いやん、未熟やん、その分成長できるやんって感じ。しんどいけど、楽しいね(^oo^)
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by butakotanaka | 2012-09-25 08:40 | 音楽・趣味