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ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。

by butako

最後の最後で情けないことに(^00^;)

さて、土曜までのワークショップ第一弾が終了して、マサチューセッツからニューヨークに戻っています。今は月曜の朝を迎えたところ。ちょっとだけえらいことがありました(^00^;)

こないだ書いたのは、木曜の夜。
金曜は、盛りだくさんの一日です。午前中と午後早い時間に小グループのアンサンブルをして、その日の夜のセミナーに備えます。五日間コースは水曜から金曜まで三回のセミナーがあり、それぞれちょっとしたコンサートのように他の参加者の前で演奏を披露して、先生方からアドバイスをもらうのですが、金曜のセミナーは最終セミナーということで、公式に録音されて、後でCDが作成されます。希望すればそれを購入することができます。土曜の午後がファイナルコンサートでそれも録音されるので二回分のCDができるということになります。なので金曜のセミナーは少し気合いも入るのですね。私はサマータイムという六部コーラスを六人で、つまり一人で一つのパートを担当するというのが特に難しかったなぁ。アレンジが凝っていて、音がややこしくて、ものにするのに時間がかかりました。かかりましたといっても、前日から練習始めて翌日に発表するのだから、本当に初見能力とそれから短い時間で曲をつかむ力にかかっています。

金曜の午後後半は、小グループの練習はなく、二つのコンサートがあります。
コンティヌオコンサートというのは、古楽のコンサート。レベル別のグループと関係なく、個人同士でデュエットやトリオぐらいの小アンサンブルを組み、昼休みや夕食前などほんまに合間をぬってそのグループで集まって練習します。古楽のコーチ、つまり先生は2人いて、ビオラダガンバやバロックバイオリンの奏者ボブ(このスミス大学の教授でもあります)と、セオルボやリュートなどの奏者チャーリーです。この2人に15分ほどのレッスンを二回ほどしてもらうこともできます。

私はトリオで参加。パートナーは週末から同じグループで歌っているリズとマーク。2人とも素晴らしい歌い手さんなので、安心してアンサンブルを楽しむことができます。Strozziという作曲家の曲をボブが与えてくれました。そう、このコンサートの曲も行ってから練習するわけです。歌い相手も行ってから決まります。すべて事前に準備しないところにある意味すごさがありますね(^00^;)繰り返し練習したらできるかもしれないことを、ほんの短期間の準備だけで、お客さんを意識して演奏するところまで持って行くという。

もう一つ、大切なことは、アンサンブルで歌うということは、指揮者がいないのですね。
だから小グループの演奏もこのトリオの演奏も、テンポが変わったりするところ、曲の出だしなど、さんはいっと言う人はいなくて、みんなで話し合って決めていた流れで演奏していくのです。これが慣れてくるととても面白いです。特に曲の出だし、五日間コースの私のグループは九人とかなりの人数なんだけど、なんとなくシーンとなって、これからなんだなと思うと、みんながいっせいにブレスをとるのですね、それで自然に曲が始まる。指揮者がいないこの始まり方はうまくいったときは、ドキドキします。特に誰が先導すると決めるのでもなく、みんなが一緒に始められるというのが理想です。

コンティヌオコンサートは無事終わり、その後はジャズコンサート。先生の一人、日本人の由美子さんが主催という形で、由美子さんアレンジの曲や参加者がみずから持ち込んだオリジナル曲などが演奏されました。エレキギターとかも登場したりして、かなり賑やかなモード。とても楽しかったです。

夜のセミナーの演奏もそこそこうまくいきまして。。。。
寮に戻ったのはもう10時近くだったけど、この金曜の夜というのは、ほとんど人が土曜には帰ってしまうので名残を惜しむ最後の夜になります。大仕事を終えた由美子さんと、リビングの一角に居座り、日本語でどどどどーっとたくさん話しました。由美子さんからは、今回のワークショップで前回よりもずっと私がいろんな面で成長したとほめてもらいました。声の面でもチューニングの面でも。がんばってきてよかったなーという感じ。

まっここまではよかったのです。
問題は土曜に待ちかまえていました(^00^;)

土曜、前半は好調でした。
午前中は小グループの練習。午後には45分ほどしか練習時間がなく、二時半からはファイナルコンサートなので、午前の練習が大切になります。コンサートでやる曲を決めて、ってそうこの時点でやっと決めることもすごいけど(^00^;)
ジャズ、古楽楽器と一緒にやるモンテヴェルディなどこなしていきます。午前の練習が終わったら、エリオットが迎えに来ていて、由美子さんとエリオットと三人で上の教室に移動。

実は由美子さんがエリオットと私がこの一週間取り組んできたシューマンのリーダークライスをぜひ聞かせてほしいとリクエストしてくれて、めちゃ時間がないんだけど、昼休みの始まりの時間、半時間ぐらいでもやろうということに。やれたのは三曲ぐらいだったし、いつもの部屋と違っていてピアノが新しくて鳴りにくくて、かなりはちゃめちゃやったけど、とにかく、由美子さんに聞いてもらえてよかった。

大急ぎでエリオットの車で三人でダイニングに向かいまして、12時半からは、コンサートの最後で全員で歌う一曲をこの土曜の昼のランチタイムに食堂スタッフへの感謝の気持ちをこめて演奏するのがならわしとなっているのです。私たちは事前に食べる暇がなかったので、歌った後に食べることに。食堂全体に広がって歌ったのはとても気持ちよかった。スタッフみんなも喜んでくださっていたし。

昼のメニューはチリという南米の料理。ご飯の上にカレーみたいにかけていただくもの。とてもおいしくいただき、デザートにはチョコアイスクリームを。

ここからです(^00^;)問題は(^00^;)

一時半からの最後の45分間練習。仕上げです。とても大切な仕上げ。自分が一人で歌うパートもたくさんあって一人一人の責任も重大です。ところがっ!この練習が始まってすぐ、お腹というか胃というかめちゃ痛くなり、激しい吐き気がしてきたのです。やばい。。。と最初はみんなが立っているところ、座らせてもらうことに。それも五分ほどしたところで、あかんこれはトイレに行かなければとなり、隣で歌っていたグレイスにだけ言って、急いで練習場所であったホールステージを出ます。トイレは地下にあるので階段を降りる。。。

しかし、この時点でかなり気分が悪くて貧血になってきて、ものすごい汗が出てきて、ふらふらになってきました。周りの景色がかなり見えにくい。それでもなんとかトイレまでたどりつかなくては。。とがんばってフラフラとたどりついたら、なんとそこは建物のまったく反対側、練習室のエリア。あわてて、というかあせって、反対側に向かおうとするも、その時点で体の自由はかなりきかなくなっていて、途中、床を這うありさま(^00^;)
視線の向こうに三者の一人レイというおじさんがいたので、「レイ、私気分が悪いの。トイレまでつれていってくれる?」とお願いする。彼に支えられてやっとトイレの入り口へ。

トイレに入った瞬間から食べたものを、たぶんランチだけでなくて朝から食べたもの全部を吐いてしまう。汗が滝のように流れ、息が荒くなって、体がうまく動かない。途中から由美子さんがドアの外に立ってくれて声をかけてくれるんだけど、それにもうまく答えられない。事情を知った人たちが次々に集まってきている様子。トイレの外からはエリオットの声も聞こえる。

やっとほとんどのものを出しきって、トイレから出る。ここからがまた大変(^00^;)
どこかの部屋に移動して寝かせようと周りの人が話していて、私もそうしたいのは山々なんだけど、とにかく座ることも立つこともままならない。とにかくここで寝かせてくれーという感じ。階段は無理だろうということで、廊下の先にある荷物用のエレベーターに乗せようとみんなが話し合っている。そこにいた人たちの中で一番体が大きいエリオットにつかまって、途中までなんとか歩いたけど、歩いているうちに足が麻痺してくるというかしびれてつらい。手も震えてくるし、なんか自分の体じゃないみたい。とにかくハーハーと息が苦しいし。エレベーターに行く真ん中あたりで、「ここで休憩してもいいですかー」と思わずつぶやき、その床で寝転がってしまう。みんながとても心配して話しているのが聞こえてくるけどどうすることもできない自分(^00^;)

次に立ってエレベーターまで歩こうとしたけどうまくいかなくて、まったく力が出ない模様。とうとうエリオットが私を抱えることに(^00^;)げっ私重いのに。。。すまんー、エリオットー。お姫様だっこされたのなんて、人生で初めての体験です。こんな情けないときじゃなかったら、ちょっとはロマンチックだったのにね。やっとのことでエレベーターまで運んでもらい、エレベーターの中ではまた座り込む。

一階について、エレベーターから部屋まで移動。その部屋についているトイレにまた駆け込み、さらに戻す。もう何もないはずなのに、何かが出てくる。

ソファがあってそこに寝るかと聞かれたけど、とにかくすぐにでも寝ころびたくて、カーペットが敷いてある床で寝転がる。とにかくめちゃ寒くて、誰かの上着かけてもらったけどきかなくて、どこかからシートみたいなものを誰かが持ってきてくれて、かぶせてくれて少し楽に。

観客の中にお医者さまがいて、駆けつけてくれた。お腹をさわって、脈をとって、食事があたったか、それと共に脱水状態になっているということ。脈がとても下がってしまい、このまま一時間たってもまだ状況が改善しなかったら、なんとERに行くべきかもしれないと言われた。後でみんなに聞いたら、この時点での私の肌色は真っ白でかなりみていてやばい状態だったみたい(^00^;)

もうそのころにはファイナルコンサートが始まる時間。病人が出たということで、開演時間を少し遅らせたと後で聞いた。

コンサートが始まってからも、ウェスタンウィンドのメンバーの人たちが交代で私の横についてくれる。最初についてくれたのはミシェルでこの五日間コースの担当の先生。何も心配しなくていいのよ、私が尚子の代わりに歌うから大丈夫と安心させてくれながら、首筋をそっとさわってくれていた。その手でとても温かくて気持ちよかった。この頃はまだ寒くて寒くて、息も荒かったけど、だんだん少しずつ息が楽になってきて、浅い眠りについていたみたい。

次に来てくれたのはリンダ。ミシェルもリンダも数年前からの新しいメンバーで私は今回が初対面なんだけど、この十日間でとてもいい友人になれた気がしていて、リンダもただ横に私と一緒に寝ころんでくれて、何も言わないんだけど、温かい心遣いが伝わってきた。

次がエリオット。ほんまに迷惑かけてしまったなーこの人には。エリオットには手を握ってもらった。なにせ寒いので自分で体温をつくれないという感じだったから。その手のぬくもりが自分の両手を通じて伝わってきて、それでなんかだいぶ楽になった気がする。その頃には少し話すこともできるようなって、コンサートはもう終わり?と聞いたら、まだやってるよ、聞きたいか?と言われて、うんと答える。エリオットはドアを少し開けてくれて、ホールからの音が聞こえるようにしてくれた。ちょうど私のグループが最後の出番で歌い始めたところ。うまいなーみんな。。。と人事のように演奏聴いてる自分がちょっと悲しいんだけど、ほんとに素敵な演奏でこの人たちと一緒に私も歌ってたんやぁと、悲しい涙と感慨の涙の両方が出てきた。

グループの演奏が終わって最後には全員で歌う曲。エリオットが指揮をするので、ここでビリーと交代。でも、グループのリーダーでもあるビリーにも最後の演奏に加わってほしかったし、もう気分もだいぶよくなっていたので、来てくれたビリーに、ビリーも歌うべきだから、ステージに行ってほしい、私は大丈夫だよ!と言った。ビリーは、気分がマシになったのか?それはいいニュースだ!本当に大丈夫なんだね!と確認した後ステージに向かっていった。

コンサートが終わってすぐ、またさっきのドクターが来てくれて、脈をみる。脈がだいぶ戻ってきたということで、私もほっとする。座ってみますかと言われて、おそるおそる起きあがってみる。おっさっきほどしんどくないぞ。座れたぞ。まだ少しフラフラするけど、そんなに悪くない。生きている心地がするという感じ。

脱水状態に一度なったから、飲むにしても食べるにしても、ほんの一口からはじめて、少しずつ少しずつ量を増やしていきなさいとアドバイスされた。来週には東京に実は行くんだよって少し雑談もして、名刺をいただいた。後でお礼のメールしなくちゃ。

コンサートを終えた参加者で親しい人たちが部屋に入ってきてくれる。座ってる私をみて、少しほっとしたみたい。一時、みんなかなり心配してくれたようで、ほんと申し訳ない。

以前からの友人のキャロリーが体を支えてくれて、旦那さんが車で聞いてるから寮まで送るからねと言ってくれる。直接車に行ってもいいけど、ステージに行ってみんなにお別れの挨拶するか?と聞かれたので、ぜひそうしたいと答えた。体を支えてもらってステージへ。正直この時点では一人ですたすたと歩ける状態ではなかった(^00^;)

ステージには演奏を終えた参加者のみんながハグをしあいながら、別れを惜しんでいた。私のグループの人たちもいて、私を見つけてかけよってきてくれた。ごめんーーーっっといいつつ思わず泣いてしまったよ。せっかく五日間作り上げてきた音楽に最後に参加できなくて本当に残念。でもみんな、私のことを思って歌ってくれたと言ってくれて、謝る必要もないよ、とも言ってくれて心に響いた。このことは大変だったけど、音楽に恵まれ、人に恵まれ、いい時間を過ごしたと実感。お義父さんが亡くなったこともあって、きっと気がつかないうちに体も心も疲れていて、このハードスケジュールの最後までたどりつけなかったということやねんやろな。

寮まで車で送ってもらい、私よりずっと年上のキャロリーが体を抱えてくれて、荷物も全部持ってくれる。あー申し訳ないっと思いつつ、全部自分でできる自信もないので、してもらうのに任せる私。

私の部屋は二階なんだけど、キャロリーが泊まっていた一階の部屋に寝なさいと言われた。もう彼女はこれからチェックアウトして帰るから。

私は数人の人たちともう一晩泊まり、日曜に帰ることに。ビリーが送ってくれることになった。そこからとにかく寝た。水と葡萄を少しベッドサイドにおいていたけど、ほんとにたくさん口にすることが難しい。それでも回数でかせぐのだと、ちょっとずつがんばる。
みんなが夕食に出かけたけど一緒に行けるはずもなく、寝てお留守番。

翌朝にはフラフラしつつも、なんとかシャワーを浴びる。
みんなが朝食に出かけたけど、とにかく私は寝ているのみ。

そこから、寮にセッティングしたすべての楽譜やTシャツやコピー機などを車に積み込み、後かたづけをして寮を出たのは、もう夕方近く。ビリーは私に向かって、とにかく最後の瞬間まで横になっていなさいと、寝かせていてくれた。

車でニューヨークのシンのアパートまで三時間半ぐらい。行きしなより二時間も早かった。車ですいていたせいかな。横になっていると楽なんだけど、座っているのは少しつらくて、車の中ではしんどかったけど、ビリーが気を使ってくれてありがたい。シンのアパートについて、さよならを言おうとしたら、荷物を持って上まで一緒にあがってくれるという。部屋まで荷物持ってついてきてくれて、シンに何があったか説明。シンにはまったく言ってなかったので驚いていた。ビリーがシンに電話番号を教えてほしいと頼んでいた。私がよくなっているかどうか何日か後にチェックするためだと。とても心配しているのが伝わってきた。独立記念日に花火をみる集まりをするんだけど、来ないかと誘われた。元気が出ていたら、お礼の気持ちも込めてありがたく行かせてもらおうかなと思う。

シンがさっぱりした夕食と、中華系だけど蒸した魚醤油味、ゆでたチンゲンサイ、ゆで卵を作ってくれた。葡萄ぐらいしか食べていなかった胃がなかなか受け入れてくれなくて、それぞれほんの少しずつしか食べられなかったけど、まあこれが第一歩なのだ。水分をゴクゴクと勢いよく飲むこともまだ難しいけど、だいぶ一口の量が増えてきたし。

これを書いているのは月曜の朝。明日は私の誕生日でキャロリーが招待してくれていて、リタも呼んでお祝いしようということになっている。キャロリーが新しく買ったハープシコードも試奏させてもらう予定。今日は何もないから、荷物整理して、洗濯して、後はゆっくりしよう。シンは合唱団の練習があって帰りが遅いといっていたし、私にとってはのんびりした長い一日になりそう。土曜日のことはダメージが大きかったので、とにかく今日を大切にゆっくり快復の日にしなければ。金曜からのワシントンでの日々に備えて、休息の数日とすべし。

いやーほんまにここまでしんどくなったのも、人生初めてかも。それも外国でこんなことに。
しかし、そんな私に本当に親身になって心配してくれる人たちが周りにこんなにたくさんいて、自分はほんとに幸せものだと思いました。

みんなに感謝。
by butakotanaka | 2013-07-01 22:54 | NY・留学