できたり、できなかったり。。。

オリンピックも終わって、夜更かしする必要もなくなり、平穏な暮らしに戻っている我が家です。
今日はね、たこぶくんのお父さんのお誕生日でした。もう亡くなっているから、お祝いすることもなくなったわけだけど、グーグルカレンダーに登録してあるから、今日の予定としてメールで送られてきたよ。
去年はお誕生日近くに面会に行って、お父さんニコニコ笑顔で写真撮ったなーとか、あの時は珍しくお母さんのこともはっきり分かっていて、元気やったな食欲もあったなーとか、少し思い出してしまいました。そうだ、お母さんにメールしたらいいのかな、こんな思い出一緒に話すといいのかな。今、思いついた。明日になったらメールしよっと。

昨日は、合唱団の練習だったから、昼から出かけたのだけど、その分と思って午前中はめいっぱいピアノの練習して、午後は合唱団の練習も三時間半とかあって、なんだかクタクタに(^oo^;)でも好きなことやってるんだから、贅沢いっちゃいけませんね。団員の方で一人、呼吸や発声のことについて真剣に考えて真剣に悩んでおられる方がいて、その方と話していたら、自分のこれまでの音楽やる中での葛藤やらいろんなことを思い出しました。高校で合唱部に入った頃は、ただ歌が好きで、ハモることが好きで、自分がうまいとか下手とかよく分からなくて、っていうか、時々わりとうまいんちゃいのー?ぐらいにも思ってて、それは大きな思いあがりでしかなかったと、今でははっきり言えるのだけど(^oo^;)

で、音楽の道に進んだわけでなく、幼稚園の先生になるぞと、高校でピアノはバイエルからやりなおして、短大を受けて、でも、短大の途中で音楽の道にということになり(高校時代の恩師の音楽の先生が薦めてくれて、自分もその気になって)、芸大の受験日と短大の最後の実習が重なったことや、まっぶっちゃけて卒業するための成績も多分足りなかったこともあって、もったいないことに短大を中退して、声楽科を受験することに。その受験までの一年は、ピアノも歌も毎週何時間もレッスンがあって、練習も大変で、かなりやった日々やったけど、今から思い出すと、ほんま下手くそやったよ。その気になってただけで(^oo^;)

でも、なんでかわからんけど、声楽科には受かって。きっと楽譜が読めたという点が大きかったのかな。今でもそこんところが自分の長所なのかなと思うけど、音楽の1つの技術でもあるけど。演奏能力はやっぱ、昔から、なんか自信なかったなー。

声楽科にはいったものの、歌の自信がないというへんな話で。大学での声楽の先生も、とにかく一年生では発声しかやりませんという人で、曲はテストのときに一曲のみみたいな感じ。でも、ひたすら喉をあける、お腹をぱんぱんに使うという発声で、力が入りまくり、今から思い出すと、全然響いてなかったし、声帯のピントがあってなかった。うまくならない。楽しくない、という感じ。先生には、もうやめたら?とまで言われたこともあったなー。とにかく伸び悩んでました。でもその頃から、専攻じゃないけどピアノは好きで、ソナタアルバム程度のレベルやったけど、声楽科の友達の中ではうまい方だったから、練習室では友達の伴奏ばっかりしてた。コンコーネとか曲とか。適当にしか弾けないけど、友達の中では一番マシで、伴奏ばっかり頼まれて。いざ、私が歌うとなっても、弾ける子が他にいないことと、人前で歌ってきかせるなんて、先生以外の前ではすごくイヤで(^oo^;)、なんでやねんっ、ほんならなんで声楽科に入るねんって、自分で突っ込みたくなるけど、そんな子で、だから、ますます全然うまくならない。

親の経済状態が悪くなったこともあって、その大学も二年で結局は中退で、大学というカテゴリで、私は人生最大の無駄遣いを時間においても、お金においてもしたって感じ。

でもまっ、50代になった今となっては、その無駄遣いも、とてもいい勉強だったと思うし、受験するまでに学んだことは、今でも生きているし、そう考えるとやっぱり無駄ではなかったのかな。

その後の人生でも、独奏はずっと苦手で、誰かと合わせたり伴奏したり、どこか目立たない感じのものが好き。で、一人でやらされると、緊張してひどいのだーって、自分でそう決めてた。

きっと、あれは、自意識過剰だったせいかなと思う。自分が目立っている、見られている、恥ずかしいーっていう。で、恥ずかしくないように、失敗しないように、と思うと、身体が動かないし、うまくできない、それがまた次へのトラウマになる感じ。でもって、自分の演奏に自信がないから、自分の歌やピアノで誰かがいい気持ちになるとか、楽しんでくれるとか思うはずもなく。

でもって、それが変わってきたのは、なんでだろう。
やっぱり、もしかして、これって、英語の勉強に関係あるかも。
英語って私の人間性にほんまに大きな影響与えてくれてるなーと、改めて実感。

英語を学ぶようになって、外国の人と少しずつ話せるように。
もう何年も前だけど、所属していた合唱団がイギリスの団とジョイントコンサートをすることになり、その時の本番の舞台袖で、短いソロをした私の声を、イギリスの団の人たち何人もが、ラブリーな声だねーと声をかけてくれたのだ。それがお世辞という感じはしなくて、他に何人もソリストはいたのに、わざわざ私を探してくれて、通じるか分からないのに、英語で一生懸命話しかけてくれたのだ。私の歌声は、ビブラートが少なくて、響きもあまりなくて、ストレートで、いわゆる愛想がない系(^oo^;) 自分でもそれがコンプレックスだったのだけど、その時のイギリスの団は、団の音色がそんな感じで、で、初めて知った。こんなまっすぐな声がいいって思ってくれる文化があるんだって。

そこから、もしかしたら自分のこんな声も、音楽のジャンルによったら生きていく道があるのかなーと思えてきた。自分を受け入れる、自分を好きになるはじめの第一歩という感じ。

で、何度か経験した語学留学で、語学が目的だったけど、その滞在のときに通った教会の聖歌隊や、入ったコーラスで、自分の声を受け入れてくれる感じが、日本よりもすんなりいっていて、驚きもあったけど、とても幸せで、そしてまた自信も少しずつ育ってきた感じ。でも、今から思うと、呼吸も発声も何もわかってなかった。原石にも満たない未熟な歌。そのことに気がつくのに、高校時代合唱をはじめてから、なんと二十年以上かかったことになる。2008年にNYで一年滞在したときにレッスンを受けた先生、多分はじめて、呼吸の大切さ、響きの大切さを学んだ気がする。日本で習っていた先生が繰り返し教えてくださっていたことも、多分同じことを言っていたと思うけど、私は理解していなかったと気がついた。そこから一生懸命呼吸のことを考えだして、その時にはまだわかってなくて、帰ってきてから、また何年もかかって、先生の言っていたことを過去にさかのぼって思い出しながら、だんだん理解しているのかなーという感じ。

今日のタイトルの、できたり、できなかったりは、発表会に向けて、とてもむずかしいショパンのバラードの練習を続けながら、ちょっとやっては分かった気がして、テンポあげて弾いてみたら、まったく弾けなくて、いつも同じところで間違えて、手がこわばって、脱力もできないのかよーって落ち込んで、またゆっくり、リズム変え、基礎練習とやって、できた気がして天国気分になって、翌日はまた落ち込んでの繰り返し。そんな今の私でもあるけど、これまでの何十年もかかって、わかったような、わからんような、の繰り返しで、でも何十年というスパンで思い返してみると、いろんな経験、そう、すべての経験と、すべての指導してくださった先生方や仲間たちのおかげで、今の私の音楽があるのだなーということ。どれも無駄はない。学んでいたということに気がついていなかったこともあるし、ばっちり学んでいるやんけ、と自信満々だったときが大間違いだったことも今になったらわかったり。

学ぼうとしたときから、自分がいかに知らないかを知り、いかに知らないかを知ったら、学びたいと思い、学び続けていると、終わりがないということをますます知る。だからやめられないし、だから、苦しいとも言えるけど、楽しいとも言える。この繰り返しなんかなー、人生って。

時々息抜きが必要なのも事実で、時々息が詰まって、あーなんて自分は才能がないのだ、どんだけやっても一緒やで、と落ち込むことも多々。そんなときは、どんなに小さな進歩でも幸せを感じようと心が思えるような癒やしや、気分転換も必要だったり。そんなときは音楽以外の、旅だったり、美術だったり、お笑いだったり、映画だったりがよかったり。

私の疲労感なんて、真央ちゃんや高橋くん、オリンピックに出た人たちに比べたら、米粒よりも小さいな(^oo^;)間違いないっ。

さて、生徒さんのおさらい会で曲を聴いてもらうまで、一ヶ月を切りました。
ぶつぶつ言うてないで、落ち込んで練習する気になれんとか言うてないで、コツコツやる、それのみなのだ。
健康な身体が与えられて、時間も与えられて、好きなことができる、これ、一番の幸せやで、あんた、と自分に言い聞かせる日々です。

幸せだな、うん(^oo^)
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by butakotanaka | 2014-02-24 23:14 | 音楽・趣味