自分の状態が反映されるということ

こないだ個展を見に行った感想を書いたとき、ネガティブなエネルギーにさらされて弱っているときでも、作品に向かい合い続けることの難しさ、を思ったと自分が書いたことが、ずっとあれから心に残り続けている。

音楽を聴いたり、絵を見たりするとき、その時の感想って、同じものを聴いたり、見たりしても、その時の自分の状態によって本当に違うなぁと。
癒されたり、励まされたり、落ち着いたり、元気をもらったり。
こないだあんな感想を書いたときの自分って、しばらく安定して練習したり、自分磨きができていない状況だったり、東京で特別な非日常の体験をしてきて、どこか心の中が興奮しているというか、平和でない状態やったんやろなぁ。嬉しい興奮もあるし、不必要な興奮もあるし、疲れもあるのかも。

世間はお盆休みだけど、うちの旦那様の会社は、それぞれが自分の希望で夏休みをとるので、今週お休みの人は多くはあるけど、旦那様は普通に今朝も出勤していきはりました。

私は今週金曜に、春以来久しぶりにピアノの友人とシューベルト歌曲の合わせをするというのに、全然準備が十分でないから、少し生徒さんが少ない今週、金曜までに集中してやらねば。

やりたいことが複数あると、集中するのは難しい。
時間を分けたり、日を分けたりして、今日は特にこれ、今は特にこれ、とすべきだけど、一つをやっているともう一つが気になったり、計画していても、思ったよりも気持や体が疲れて、休んでる間に一日が終わったり。

50代に入って、老眼も進んできて、人生ってまだまだ先が長いと思ってたけど、案外短いのかなーとも思いだして、そしたら、あせっても仕方ないのに、妙にあせったりして。

若かった頃の自分は、まだまだ時間があると思っていて、でもって、自分に対しても思いあがっていて、自分はけっこうできる人とか、根拠のない自信があって、努力や積み重ねをしない人だった。

少し年齢を重ねて、積み重ねることを覚えてきたら、たった一つのこと、一つの作品に向き合うのに、本当に膨大な時間が必要だと分かってきて、そしたら、人生が短く思えてきた。

でも、落ち着いて。
短く思ったところで、能率よく使えるわけじゃないんだし。
できるところまでしかできないし。
いけるところまでしかいかない。

まだまだ足りない、まだまだやりたい、そう思いながら人生を閉じるのが、きっと幸せなのだと思うし。

時々、若いころもっと努力していたらなぁとか、そんな後悔の気持ちも浮かぶけど、若いころは若いころで、遊んだり無駄に過ごしたような時間が、それはそれでどこか自分の栄養になっていた、そうだ、マヂメに何かに向かい合う時間だけでなくて、人と触れ合ったり、どこかを訪れたり、誰かと話したりする時間だって、結局は自分を磨くことにつながってるんだし。ずーーーっとたった一人で練習や研究ばっかしていても、そこで学んだ喜びを誰かとシェアする喜びがなければ、その喜びはきっと半分なんだろうし。

こうやって、わけのわからんことを、ぐるぐる書きながら、夏の非日常な出来事の後、自分を落ち着けて、また地道に一歩一歩進んでいく日常に戻ろうとしているのかな。

今日は昨日までより、ちょっと涼しい?冷房つけなくてもいける感じ?
よし、これからちょっと歌詞を読んで、歌の練習やろ。ピアノもね(^oo^)
[PR]
by butakotanaka | 2017-08-14 09:53 | 日常生活