人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ぶたこな日々(^oo^)にようこそ。音楽で言葉で心で、今年もいろんな人と対話したいなぁ。

by butako

出発から到着まで(^oo^)

ぶたこ@ブルックリンです(^oo^)
出発の様子はたこぶが報告してくれているとおりですが・・・。
とにかく、一番の問題は雨でした。全ての荷物におっきなビニールのゴミ袋をかけて、準備万端。それでも傘をさしながら駅まで荷物を押していくのは、大変だなぁって思ってました。降水確率は90%。絶望的だー・・・って。でもっ。雨がやんだのです。午後から!もしかしたら今だけかもしれないって思って、さっさと半時間早めに出発しました。まったく雨にもぬれずに空港まで順調に到着。その日の朝は、友人からFAXが入っていたし、丁度、空港バスを待っているときにたこぶのお姉さんから携帯電話に伝言メッセージも。みんなに見送られている気分。

空港には、二日前にアイルランドから帰国したばかり友人が見送りに来てくれました。チェックインも早々と済ませ、お茶飲んで、友人のアイルランド報告、そして私の近況報告をしているあいだに、あっという間に時間に。

なんか、ちょっと行ってくるわって感じで、出発ゲートでお別れしました。ほんまに、一年もこれから会わなくなるなんて、信じられないし、なんかたこぶも私もまったく実感がなかったです。

行きの飛行機の中は、中央の四人並んだ列。関空出発だからありえることなのかもしれないけど、なんと全員が日本人でした。私は左から二番目の席。列は一番後ろ。右隣は、スポーツのトレーナーさん。整復師とも言うみたい。阪急曽根駅近くのジムで接骨院を開いているんだそうです。で、奥さんが空手の選手で、これからデンバーで行われる世界大会に出場する奥さんのケアと応援に行くんだとか。すごいなー。とっても好青年で、気持ちよくいろんな話をさせてもらいました。私のこれからの一年のこともとても感動してくれて、応援してくれた。デンバーは短大時代に初めて訪れたアメリカの都市。懐かしいなぁ。阪急の曽根は合唱祭がよく行われていたからなじみのある場所だし。駅前の「タンネ」って喫茶店のことを言ったら、「よお知ってますねー」と感心されてしまったさ(^oo^)

左隣は、若い女の子。23歳だって。今日はこれから乗り継いでカナダのバンクーバーへ。そこで友人の家に二日ほど滞在して、そっから赤毛のアンの島、プリンスエドワーズ島へ飛び、そこから一年ワーキングホリデービザでカナダに滞在するんだそうです。彼女にとっても大きな決心。空港では家族との別れが寂しくて泣いてしまったといってました。飛行機がすごく好きで、飛行機にかかわる仕事をしたいんだってキラキラした瞳で話してましたよ。がんばれっとおばちゃんは応援したくなった。私のおばあちゃんのお墓がある伊賀上野から来た子で。バンクーバーは行ったことがあるところだし、偶然の一致も多くて、話がはずみました。

さて、楽しく話しているうちに、サンフランシスコに到着。
伊賀上野の子が乗り継ぎが不安だから、一緒に行動しようと言ってくれいてたんだけど、そんな場合ではなくなる私なのでした(-oo-;)

まず、入国審査の列に並びます。
ほとんどの人はツアーとか観光。
私の番になって、前に進みでた。係官は若かった。最初は明るく私の名前を呼んだりしてた。たぶん日本人だからきっとビザなしの三ヶ月以内の観光滞在だろうって思ったみたい。でも、パスポートをめくっていって、ビザを見つけたときにちょっとトーンが変わった。

「どうしてビザを持ってるの?」
「これから一年滞在するからです」
「何をするの?」
「老人ホームでボランティアです」

彼は、こういうことに詳しくないみたい。詳しくないっていうのもおかしいけど、めったにいないからか。どういうことか分からんから、誰か詳しい人を呼ぼうとして誰かの名前を呼んだ。でもその人は来ない。

で、隣のボックスの少し年配の同僚に声をかけ、私の事情を説明する。そしたら、その年配の同僚さんは
「あかんあかん、長くても半年。一年なんてながすぎる!半年にしても、とりあえず三ヶ月した頃に延長願いを出しなさい」と言われた。え?なにそれ?

「あの、私、ビザをとったんですけど。推薦状もあります。日本の領事館で面接も受けたんです」というと

「じゃあ、推薦状を見せなさい」ときた
推薦状を見せるとしばらく読んでいた。
それで、「じゃあ、向こうに・・・」みたいなことを年配の人がいって、若い人が用意に何か書き込みながら私に
「じゃあ、これをもって、推薦状も何もかも全部を持って向こうの部屋に行きなさい。審査官があなたの滞在を許してくれるかどうかは、僕にはわからないけど、とにかく行ってみて」

カウンターが並んだ右奥に「SECONDARY」と書かれた部屋があった。
そこにいって、自分のパスポートや入国の用紙や推薦状などの書類を順番待ちのファイルに置いた。五人ほど順番を待って私の名前が呼ばれた。他の人は、カウンター越しに話して、すぐに許可をもらってるみたいだけど、大体が、実はここに来なくてもいいのに、来てしまった三ヶ月以内の滞在の人とか、会社の転勤の人とか、大丈夫な人ばっかりみたい。

私は、別室に通された。そこにはラテン系のおぢさん(たぶん50代かな)が座っていて、パソコンが机の上にあって、椅子が三つほど。

ナイストーミートユー(^oo^)と笑顔で言ってみたものの、表情をまったく動かさない。いきなり

おぢさん(以下お)「なぜ一年も滞在したいんだ。一年は長すぎる。そんなに長く滞在する理由は何なんだ」ときた

(^oo^)「一年滞在して、老人ホームでボランティアをしたいんです。いろんなことを学びたいんです。この国の文化やこの国の人の考え方、ホームでのケアの素晴らしい方法なんかを」

お「収入は一切ないのか」

(^oo^)「はい、収入はいただきません」

お「そしたらその間の生活費はどうするんだ」

(^oo^)「自分で払うつもりで来ました」

お「資金はあるのか」

(^oo^)「あります。銀行にこれだけのお金を入れてきました」
とCitibankの明細を出して、ここがドルの表示だと指差す。実は英文での残高証明があったんだけど、領事館の面接のときに提出したら、返送されてこなかった。向こうで保管しているみたい。もう一通取り寄せようかと思ったけど、お金かかるし、もう日本語のでいいやって思って、念のため持っていってたもの。たこぶとも「一回見せて、面接で通って、ビザもおりたんやから、入国審査で見せることってないよね」と予想していたから。

で、おっちゃんその書類のことは、一応信頼してくれたみたいで。

お「なるほど、これだけのお金があるねんな」あれ・・・大阪弁になってきた(^oo^;)

(^oo^)「はい。」

お「君、病気になったらどないすんねん。アメリカの健康保険はいってないやろ」

(^oo^)「はい、でも日本の保険はあります」

お「どういう意味や。証明できるんか」

(^oo^)「あの、日本人には日本の保険があって、外国で病気やけがしても、あとで治療費が戻ってくる仕組みが・・」と説明しているのに、まったく話を聴いている様子なし。

お「とにかく、医療費が高いねん。この国は。そやから病気になったらどないすんねん。全部自分で払えるんか?」

と健康保険のことにえらいこだわってる。もう説明してもわかってくれないみたい。いやー。

次。
ビザの話になって
お「なんで、ビジネスのビザをとったんや」

(^oo^)「あの、このビジネスビザB2のカテゴリの中には、ちゃんとボランティアというのが含まれています」

お「これは、ビジネスのためのビジネスビザや。ボランティアなんか入ってないんぢゃ。ワシの方がよう知ってるんや。ビジネスするために来たんちゃうんか。そやからビジネスビザをとったんやろ」

(^oo^)「違います。ちゃんと調べたんです。この中にボランティアが含まれていたんです。ちゃんともう一度確認してください」

おっさん、画面を見て確認してる。でも
お「見たぞ。ほら、B1とB2ビザは、ビジネスのためのビザ。それだけや、ボランティアなんかあれへんぞ」

(^oo^)「ほんなら、なんで私は、領事館で面接まで受けて、そこでちゃんと今と同じようにアメリカで一年間老人ホームのボランティアをしたいんですって言って、それで許可されたんですか?」

お「面接受けたんか。領事館で。どこの領事館や」

(^oo^)「大阪神戸です。あるんです」

お「知っとるわ。ほんなら言うてみ。どんな人が面接したんや。白人かそれとも違うか?(コケイジャンって言葉を使ってた)」

(^oo^)「白人です」

お「何歳ぐらいや」

(^oo^)「たぶん40歳前後だと思います。感じのいい人でしたよ」

お「わかった。そやけどな、一年もボランティアなんて、変なんや。どう考えてもおかしいんぢゃ。おまえ、何歳や?」

(^oo^)「45歳です」

お「そらみてみろ。二十歳や二十三と違うやろ。45にもなって、お金も儲からんのに、一年もの長い間、ボランティアなんて、おかしいやろ。だれが考えてもおかしいんじゃ」

(^oo^)「でも、ほんまにずっとやりたかった夢なんです。私、日本でも年配の人に歌を教えていて、その前は障害者の人たちにも教えてたんです。いろんな経緯があって、英語も勉強して、アメリカでも何か人の役に立つことがしたいって。ニューヨークに三年前に三ヶ月滞在したんですけど、そのとき、いろんな人と知り合って、でももっと深い関係が築いてみたいって思うようになって・・・」

そういってるあいだに、おっさんは、推薦状を読み始めた。で、私に質問しておいて、私が答えているのに

お「うるさいんじゃ。これを読んでるんやから、黙ってろ」という。なんやねんー。

しばらく黙ってたら、そのうち、読み終わり、ウェブを調べ始めた。老人ホームのページを探してる様子。で、

お「この名前、おらんぞ」

とイェバの名前がないという。
私は、チラッと画面を見たけど、いつも見ているホームのウェブと違う気がした。丁度、飛行機の中で勉強しようと、いくつかのページを印刷してあったので、それを示して、

(^oo^)「イェバはここです。パストラルケアの責任者なんです」と指差した。

お「なるほど、マネジメントスタッフか・・」とさがすも見つけられない様子。

(^oo^)「あの、グーグルで探されましたか?それ、本当にそのホームのウェブでしょうか?」と言ってしまった私(^oo^;)だって間違ってる気がしたんだもん。私自身がホームを検索したときに、すんなり行き着けなかった経験があるから。

お「何をいうんじゃ。だまっとれ。それからな、このリサとかいうのもおらんぞ」

(^oo^)「あの(^oo^;)リサはホームの人じゃないです。私の友達で、保証人になってくれた人なんです。教会で知り合いました」さっきから何度も言ってるんですけど、あんたかが話しを聞いてくれてないだけやろ。

お「そうか、リサはホームで働いてないんか。ほんなら何の仕事してるねん」

(^oo^)「彼女は〇〇で働いてるんです」

お「そうか」

こんだけいろいろ聞いて、何度も何度も戻る質問は

お「一年は長いっちゅーねん。おかしいやろ。何も儲からんのに。一年もこの国でボランティアしたいっていうやつがどこにおるねん。あんたも考えたらわかるやろ」

(^oo^)「でも、私はやりたいんです。本当にお金儲けのために来たのですないんです。私の周りの人も応援してくれているんです。一年いるからこそ意味があるんです。お願いします」

そういうてるあいだに、アジア系の若い係官が入ってきた。ちょっとこっちの方が若いねんけど、えらいみたいで、おっさんが状況を説明して「なっ、おかしいと思わんか?あかんやろ、これは」と確認するような言い方。

で、そのアジア系の若者が私にまた大体同じ質問を。でも、今回は悪意を感じない。

「どのぐらい滞在するの?一年?長いけどどうして?学校にはいかないの?どんなことをやりたいの?あー、インターンシップみたいなものね。なるほど・・・」ってな感じ。

私の答えは「一年です。前に三ヶ月滞在したことがあるんですが、今回はもっと深い関係を築きたくて。学びたいんです。この国の文化や考えや人々の物語を聞きたいし、この国のホームでのケアシステムを学びたいんです。それから私は音楽をするので、私の国の音楽を伝えることもできるし、この国の音楽を学ぶこともできます。アメリカで経験したことを、お金ではなくて経験したことを日本にまたもって帰りたいんです」

お兄さん、「一ドルも儲けないんだよね?ここでは」

(^oo^)「はい。私を信じてください」この頃には、もうウルウル状態になってきた。
そしたら、お兄さんが「わかった」といった。わかった・・・・なんてええ言葉なんやろ。分かってくれたんかな。もしかしてほんまにわかってくれたんかな。

もう何十分もおっさんに同じ質問されて、価値観がまったくあわないから、話が行き違っていたし、審査官なら当然知ってるやろっていう、ビザのカテゴリのことも知らん人と話してることがしんどかった私にちょっとあたたかい空気が流れた。

そしたら、そのあと、「じゃあ、これからこの人たちに電話をしてみたり、いろいろ問い合わせるから、向こうの椅子に座って待ってて。また名前を呼ぶから」といわれた。どうなるんやー。かなり厳しいぞ・・・・。

椅子に座って待ってるあいだも、部屋のドアが開いているから、おっさんが電話しているのが見える。お兄さんは、表に出てきて、別のもっとえらい感じの2人の審査官と話していた。ちょっともれ聴こえるところでは、どうやら私のことを言ってるみたいや。「一年は長いやろ。」「普通はムリやろ」「そりゃおかしいやろ」「ありえへんやろ」とかなんとか。

でも、私が感動したのは、お兄さんの「why not?(なんでダメなの?)」という言葉。どうやら、このお兄さん、私のことを信頼してくれたみたいや。応援してくれてるみたいや。他の人が全員否定的なのに、この人が、一生懸命どうやら「別にお金儲けするっていってるわけじゃないし。どうして一年ボランティアしたらあかんの?悪いことするわけじゃないでしょ?そんなこといってて、これからボランテイァをしにアメリカに来たいって人、みんな断るんですか?」とか言ってるように聴こえた。確かじやないけど。とにかく、けっこうな言い合いで、それでもお兄さんは、ひるまずに、がんばってくれているように見えた。

おっさんの電話の方も長引いている。

半時間ぐらいは待たされたかな。やっと名前を呼ばれた。
「ナオコー」とおっさん。なんか、このときの「ナオコ」はさっきと違う発音っていうか響きに聴こえた。なんでかわからんけど、リサやイェバに電話して話したあと、このおっさんの中で「ナオコ」という名前が、馴染んだ響きになってきたんかもしれん。

私は椅子に座って待ってるあいだ、その待合に他にも人がいっぱいいたのに、かまわず、泣き続けていた。涙がとまらなかった。あかんのんちゃうかなー。もう絶対ムリやー。私、やっぱり、よっぽど変わったことをやろうとしてるんやー。誰にもわかってもらわれへんねんやー。昔から私を知ってる人やったらともかく、今日今あったばかりの考えも文化も背景も違うおっさんにわかってもらえるように、英語で説明するなんて、不可能に近いもん。もうあかんー(;oo;)(;oo;)ってね。


でも、名前を呼ばれて部屋に入ると、おっさんが私のパスポートに何か紙を貼り付けながら、

お「今な、イェバとリサと話したで。イェバはあんたのことをどんなことがあっても、責任持って面倒見るっていうとったわ。わしわな、リサが気に入らんかったわ。失礼な言い方しとった。そやけどな、あんたにこれから一年の滞在許可を与えたるわ。その代わりな、よぉ覚えておくねんで、この国で一ドルのお金も儲けないと誓うこと、それから、病気になっても、この国の保険はないんやってこと。ええな。一年の許可は与えるけど、早く帰るのは自由やから。わかったな」


ええーーー???ええのええのええの?許可してもらえたってこと(@oo@)(@oo@)もう涙いっぱいになった。おっさんキライやけど、ここで失礼なこと言うて、取り消されたら困るから

(^oo^)「本当にありがとうございました。そして、ごめんなさい。もしさきほどの話で私があなたの気持ちを傷つけたとしたら、本当にごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。」そしたらおっさん

お「いや、君がワシの気持ちを傷つけたわけやないねん。リサや。ワシはリサが気に入らんかったんや」と、最後に言いよりました(^oo^;)

それからもう一つ

お「ええか、そやけどな。やっぱりおかしいであんた。たとえばな、ワシが日本に行くやろ。それでな、ワシがボランティアして一年滞在したいんですって言うたら、あんたは、おかしいと思うやろ?思うに決まってるやろ?そういうことや。わかったか」

って・・・(^oo^;)おかしいと思うぐらいやったら、私はここにいないと思うけど(^oo^;)私にそんなことを思うやろ?って聞くことがどこかおかしいと思うんですけど。

あとでリサがその人との話しで何を言ったか聞いたけど、痛快やったなー。
会議中に携帯に電話してきて、いつもなら出ないけど、私のことがあるから、何かあったのかと思って出てくれたらしい。で、「今日誰か来る予定があるんか?」ときき「あります」と答えると「日本からか?」「はい」「何ていう名前の人物や?」とテストみたいな質問。で、いきなり「知ってるか、この人物はアメリカの健康保険がないねんぞ。そんなヤツが一年も滞在してどうすんねん。病気になったら、アメリカ人が払ってる税金から出るねんぞ」と来た。

リサが何て答えたか。
「アメリカには、4500万人の無保険の人が住んでいるんです。それが1人増えたからってどうなんですか?」だって。あー、痛快。それで審査官は怒ったわけやね。失礼やって。でも、リサはその一言をいったあとに、「あっ、なおこに不利になるわ・・」って思いなおして、そこからあとは、ずっと丁寧に応対したっていってたけど。私は、リサがそういってくれたことで、なんとなくすかっとしたのでした。

三時間も乗り継ぎ時間があると思ってたけど、乗り継ぎ手続きをしてニューヨーク行きの国内便乗り場についたのは、ほんまにギリギリ前。

まだ涙も残ってたし、機内に入っても心は沈んだまま。なんか、ほっとしたんだけど、さっきの怖かったこと、しんどかったこと、絶望しかけたことが頭に残っていて、余計に涙が・・・・。

でも、この飛行機の中でも隣の人に恵まれていた。ほとんどがアメリカ人らしい機内で、右隣は福岡からの女の人。私よりも少し年下。彼女は離れた席に座ってる両親と一緒に初めてのニューヨーク。温和だけどすごくしっかりしていて、可愛くて魅力的な彼女。英語学習が大好きで、いつかホームステイを実現したいと思ってるんだって。二人で話がはずんだ。六時間近く乗ったけど、ほとんど眠らなかった。途中から、左隣のアメリカ人らしき男性も話に加わってきた。この人は、スペインからの移民でアメリカに住んで9年。グリーンカードを持ってるんだって。で、カリフォルニアの大学の教授。専攻は経済学。経済学の教授ばっかり集まる会議がニューヨーク大学であって、そのために来たそう。彼は日本が大好き。日本にも会議でいったことがあって、阪大やら一ツ橋やらで講義したこともあるんだって。またぜひ行きたいといってた。大学院のときに日本語の授業をとっていたそうで、片言の日本語を覚えていていろいろ披露してくれた。彼も、いつか長期滞在のフィリピンから戻ったときか何かに、入国審査官にひどい扱いを受けたんだって。だから気持ちがわかるといってくれた。

3人で、楽しい話をずっとしているうちに、私の気持ちはどんどん明るくなった。
すっかり元気になったところでニューヨークJFK空港に到着!

荷物はすぐに出てきた。
カートで持って出ようと思ったら、この空港、カートを借りるのに5ドルもかかるのだ。もったいないから、カートなしで必死で押して出口を出ると。。。
リサが「NAOKO」とカラフルででかい文字で書いたプラカード持って笑顔いっぱいで待っててくれたよ(^oo^)

2人で思わず抱き合って、しばらくお互いの名前を呼び続けただけ。それで、2人で泣いて泣いて・・・・。「You did it! You made it!」ってリサは何度も繰り返して。

友達のジョナサンも来てくれていて、車で家まで。
車の中では、さっきの審査官の様子をずっと話していた。
リサもかなり彼の態度に腹が立ったみたい。

でも、とにかく、来られたんだ。
とにかく許可されたんだから、万事よかったってことなのかな。

それにしても、聞きしに勝るってのはこのことですね。
ほんまに厳しかったです。
乗り継ぎのサンフランシスコで審査されるっていう覚悟もあまりイメージできなかったから(なぜかニューヨークの空港で審査されると思い込んでたところあり)、ふいをつかれたのもあるかも。

あー、もうお昼だ。今日はここまでにしようかな。

それからあとの時間は、リサの家について、2人で紅茶飲みながら、切ってくれたりんごを食べて、それからしばらく話してから、お互い寝室に。荷物を大体タンスにおさめて、ブライアンの番組の再放送を本物のラジオで聴きながら寝ました。

一日目の報告は以上(^oo^)
はー。
by butakotanaka | 2008-04-18 11:40 | NY・留学